表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

158/242

長野家の城主がめちゃ不機嫌。だが何とか飯を食べてもらう運びまでこぎつける。バッサリいかれる可能性はへったかなwww

長野の殿様は、見るからに不機嫌だった。

寺の門の外から近づいてくる時点で、もう空気が硬い。供回りの者たちも、余計なことを

言わないようにしているのが分かる。特に、いつも博之との間に入ってくれている

長野家の家臣は、顔色が悪かった。

 その家臣が、殿様より少し先に博之のもとへ駆け寄ってきた。

「松坂屋殿、本日もありがとうございます」

「いえいえ、こちらこそ場を整えていただきまして」

「聞けば、今回は前より規模を大きくされたとか。無料で百人分を振る舞われたと」

「はい。津の方々にも、まず食べていただきたかったので」

「領民たちは、たいへん満足して帰っております。それは本当にありがたいです。

 ぜひ続けたい。続けたいのですが……」

 家臣は、そこでちらりと後ろを見た。

「殿の機嫌が、かなり悪うございます」

「でしょうね」

 博之は小さくうなずいた。

「なんで城からこんな寺まで来なあかんのや、と」

「おっしゃっております」

「ですよね」

「こちらでもお諫めはいたします。ですが、松坂屋殿も、どうか言葉にはお気をつけください」

「気をつけるために、九鬼水軍の方にも来てもらっております」

 博之がそう言うと、家臣は複雑な顔をした。

「それはありがたい反面、殿の機嫌が余計に悪くなる可能性もあります」

「分かっております」

「分かっていて、ですか」

「私も、ばっさりいかれるわけにはいきませんので」

 家臣は、額に浮かんだ汗を袖でぬぐった。

「……本当に、胃が痛いです」

「私もです」

「松坂屋殿は、もう少し怖がっているように見せてください」

「怖がってます」

「見えません」

「内心、震えております」

 そんな小声のやり取りをしているうちに、長野の殿様が寺の境内へ入ってきた。

 顔には、はっきりと不満が出ていた。

「おい」

 開口一番、殿様は博之を見た。

「なぜ、わしが城からこんな寺まで来なければならんのだ」

 博之は深く頭を下げた。

「本日はお運びいただき、まことにありがとうございます」

「礼を言えとは言っておらん。わしは城で食いたいと言ったはずだ。文は読んだのか」

「拝読いたしました」

「ならば、なぜ城へ持ってこぬ」

 境内の空気が、ぴんと張った。

 九鬼水軍の者たちは、少し離れたところで黙って立っている。寺の住職も、じっと様子を見ていた。

 博之は、もう一度頭を下げた。

「恐れながら申し上げます。私はまだ、津の地に店を持っておりません」

「それがどうした」

「城下にも、郊外にも、港にも、まだ伊勢松坂屋の横丁はございません。今は、

 この寺をお借りして、飯会という形で、津の方々に飯を食べていただいている段階でございます」

「だから、わしの城へ持ってこられぬと?」

「はい」

 殿様の眉が動いた。

「飯屋が、領主の求めを断るのか」

 家臣の顔がさらに青くなった。

 博之は、そこから逃げずに言った。

「断るというより、筋が通らぬのでございます」

「筋?」

「はい。ここを飛ばして、殿様のお城で飯を作れば、私は長野様のお抱えの料理人のように見えます」

「悪いことか」

「それ自体は光栄でございます。ですが、それをすれば、津の飯屋、商人、寺社、顔役の

 方々に筋が通りません。私は津の人々に飯を知ってもらい、津の魚を活かす道を

 探している段階です。いきなりお城で飯を作れば、周りから嫌われます」

「嫌われるのが怖いのか」

「はい」

 博之は即答した。

「飯屋は嫌われると続きません」

 殿様が少し黙った。

 博之は続ける。

「さらに申せば、私は松坂から始まり、北畠様の地で根を張っております。

 伊勢では九鬼様にもお世話になり、内宮さんにも筋を通しております。

 ここで長野様のお城へ真っ先に飯を持っていけば、松坂へ戻った時、北畠様にも不審に

 思われる可能性がございます」

「つまり、わしの城へ来ると、他がうるさいと」

「はい。恐れながら、そうでございます」

 長野の殿様は、しばらく博之を見ていた。

 そして、ふんと鼻を鳴らした。

「事情は、分からんでもない」

 家臣が、少しだけ息を吐いた。

「だが、飯屋のくせに面倒なことを言う」

「飯を続けるためでございます」

「そんなんで、ばっさりいかんわ」

 その言葉を聞いて、博之は心の中で七割方、命は助かったと思った。

 殿様は、寺の中を見回した。

「まあよい。とりあえず飯を出せ。話はそれからだ」

「ただいま」

 博之はすぐに女衆へ目配せした。

 女衆たちは、恐る恐る膳を運んできた。

 鮪の出汁煮。

 魚のすり身の棒串。

 平たい小判型のすり身天。

 漬物を添えた飯。

 少しの焼き飯。

 殿様は、最初にすり身の棒串を見た。

「これが、噂の棒のやつか」

「はい。魚のすり身に味をつけ、油で揚げたものでございます」

「魚のすり身で、そんなに騒ぐものか」

 そう言いながら、殿様は一口かじった。

 揚げたての熱が残っていた。

 しばらく、黙った。

「……うまいな」

 家臣が、また小さく息を吐いた。

 殿様はもう一口食べた。

「これは、領民が喜ぶわけや」

「ありがとうございます」

「こっちの鮪は」

「鮪を下ごしらえし、生姜と出汁で煮たものでございます」

「鮪など、捨てるものと思っておったが」

「港ではそういう扱いも多うございました」

 殿様は椀を取り、一口すすった。

「……これもうまい」

 九鬼水軍の若い衆が、少しだけ笑った。

 殿様はそれを見逃さなかった。

「おい、何がおかしい」

 九鬼のごつい男が、悪びれずに頭を下げた。

「いや、失礼しました。ですが、そら笑いますよ、お殿様」

「何をだ」

「伊勢松坂屋を、ちょっと舐めすぎでございます」

 境内が一瞬、凍った。

 長野家臣の顔色が、今度こそ紙のようになった。

 だが、九鬼の男は気にせず続けた。

「この飯屋、ただの飯屋やと思うたら見誤ります。松坂で人を食わせ、伊勢で港を回し、

 内宮の端で百文の飯を一刻で売り切りました」

 殿様が目を細める。

「内宮で?」

 博之は頭を下げた。

「はい。先日、内宮さんの端で、半月に一度だけ飯を出させていただきました。

 すり身は八十文、百文。鮪も百文で出しましたが、一刻ほどで売り切れました」

「百文で、魚のすり身が売れたのか」

「はい」

「内宮は何と言っておる」

 博之は少しだけ言いにくそうにした。

「十万文寄進すれば、鮪とすり身の店を一角で常設してもよい、というお話をいただきました」

「十万文」

「はい」

「それで?」

「先だって、十万文を納めてまいりました」

 長野の殿様は、箸を止めた。

「……十万文を、即決で出したのか」

「文面にそうございましたので」

「ただの飯屋が」

「ただの飯屋でございます」

 そこでまた、九鬼衆がくすくすと笑い出した。

 殿様が睨む。

「だから、何がおかしい」

 九鬼の男は、今度は少し真面目な顔で言った。

「お殿様。十万文を即決で出して、内宮の一角を取る飯屋を、城へ飯を運ぶだけの者として見たら、

 そら噛み合いませんわ」

 殿様は黙った。

 博之は慌てて口を挟んだ。

「いえ、私はあくまで飯屋でございます。ただ、飯は場所と筋が大事でして」

「また筋か」

「はい」

「お前、飯屋のくせに筋ばかり言うな」

「飯屋だからでございます」

 博之は静かに言った。

「飯は、腹に入れば消えます。ですが、誰とどこで食うたかは残ります。殿様がこの寺で、

 津の方々と同じ飯を召し上がれば、“殿様も食うた飯”になります。城で一人召し上がるより、

 津に銭と評判が回ります」

 殿様は、鮪の椀をもう一口すすった。

 そして、ぼそりと言った。

「……うまいから、腹が立つ」

 家臣が小さく頭を下げた。

「殿」

「分かっておる。話は分からんでもない」

 殿様は博之を見た。

「だが、わしを寺まで呼んだことは忘れんぞ」

「忘れていただけるよう、今後も熱い飯を出します」

「口が減らん飯屋や」

「飯屋でございますので」

 九鬼衆がまた笑い、住職も少しだけ頬を緩めた。

 長野の殿様は不機嫌なままだった。

 だが、箸は止まらなかった。

 それを見て、博之はようやく、今日ばっさりいかれる可能性はだいぶ下がったと胸の中で思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ