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内宮の10万文の寄進の言い方が嫌やったから銭は出すけど挨拶にはいかないと決める博之。長野の殿様から城に飯もってこい依頼

内宮さんからの文を読み終えたあと、博之はしばらく黙っていた。

十万文ほど寄進があれば、内宮の一角で鮪とすり身を常設してもよい。

 量は倍にしてよい。

 値段は下げるな。

 文面だけ見れば、かなり強気である。

 だが、博之の顔は、喜びというより、少しむっとしていた。

「ヨイチ」

「はい」

「お花さん」

「はい」

「おじさんはな、雑に扱われるのが大嫌いでございます」

 ヨイチは帳面を持ったまま、少しだけ目を細めた。

「まあ、そうでしょうね」

「だから、わしは内宮さんには顔を出さん」

「え」

「十万文、持って行ってください」

 お花が静かに瞬きをした。

「旦那様ご自身ではなく、私どもで、ですか」

「そうや。文には十万文と書いてある。なら、十万文は出す。

 けど、わしがへこへこ顔を出して、“ありがとうございます”と頭を下げに行く筋ではない」

 ヨイチが苦笑する。

「旦那様、そこは意地ですか」

「意地や。というか、値踏みされたんやろ。普通の飯屋なら、十万文で震える。うちは震えへん。

 だったら、こっちも淡々と出す」

「淡々と十万文を出す飯屋、相当怖いですよ」

「向こうが書いたんやから仕方ない」

 博之は文を指で叩いた。

「ただし、すぐ常設にする前に、半月に一回の約束はまだ残ってるやろ」

「はい。次回は量を倍にしてよい、という話でした」

「ほな、まずそれをやる。百食限りや」

「百食」

「そう。半月待たずに常設準備は進める。けど、その前に、次の出し物として百食限りをもう一回やる。

 それも一刻待たずに売り切る勢いでやってしまう」

「旦那様、もう売り切る前提ですね」

「前回五十で一刻やぞ。今回は百や。しかも噂が出てる。売れるやろ」

 ヨイチは、少し悔しそうな顔をした。

「たぶん売れます」

「やろ」

「旦那様の飯の感覚、そこだけは本当に怖いです」

「そこだけ言うな」

「でも、内宮でこれを続けたら、本当に錬金術になりますよ」

「そうやな」

「しかも内宮ブランドがつきます」

「向こうが言うてきたんやから仕方ない」

 博之は、妙に淡々とした声で言った。

「世知辛い世の中やからな。金で吹っかけたつもりが、やらかしてしまってる。十万文出せば

 常設できるなら、出す。出した以上、こちらもきっちり回す」

 お花が問う。

「常設後は、どれほど売れると見ておられますか」

「最初は抑える。けど、半月で毎日三百はいくと思う」

 ヨイチの筆が止まった。

「毎日三百

「初月というか、半月で見ても、毎日三百はあると思う。味を分けて、棒串と平丸を分けて、

 鮪も置く。参拝客が途切れへん場所や。しかも“内宮で売ってる伊勢松阪屋のすり身”になる。

 百で足りるわけがない」

「旦那様」

「なんや」

「本当に大名になりますよ」

「ならんわ」

「飯の大名です」

「嫌すぎるわ」

 それでも、ヨイチは帳面に数字を書き始めていた。

 百食。

 次に常設。

 一日三百見込み。

 味別。棒串。平丸。鮪。

 油吸い紙。朱印。器。人員。寄進。

 書けば書くほど、ただの飯屋の数字ではなくなっていく。

 博之は、それを横目で見ながら続けた。

「あとは、周りの飯屋との調整やな」

「そこは大事です」

「うちは茶も甘味も出さん。土産も出さん。鮪とすり身だけ。そこは守る」

「はい」

「それと、売り上げた銭のうち、いくらかは必ず周りに返す」

「寄進ですか」

「寄進もある。けど、それだけやと固い。うちの者に、ちゃんと周りの店で使わせる」

 お花が頷いた。

「買い付け方のように、ですか」

「そこまで大げさに紋付き袴で買い付けに行く必要はない。ただ、内宮で働く子ら、

 伊勢の店の子らには、周りの店をちゃんと回れと言う。買い食いもしろ。茶も飲め。

 小物も見ろ。うちだけで完結するな」

「周りに銭を落とすためですね」

「そうや。うちが儲けて、周りが冷えるのが一番まずい。内宮の中で飯を出させてもらうなら、

 内宮の周りにも銭を落とす」

 ヨイチが帳面に書く。

「内宮勤務者向けの小遣い、ですね」

「そうやな。買い付け代とは別に、一万文ぐらいは店の金で持たせてもええ」

「一万文」

「内宮で働く子らが、周りで使ってええ銭や。飯を食う。茶を飲む。小物を買う。周りの店と

 顔をつなぐ。売れた分の返しや」

「旦那様、それはかなり効くと思います」

「やろ」

「ただし、使い方は記録します」

「そこは任せる」

「勝手に使われると困りますから」

「うん。けど、ケチくさくなるなよ。周りに銭を落とすための銭やからな」

「分かっています」

 お花が静かに言った。

「内宮で店を持つということは、周りの店の目もあります。働く子たちにも、そのあたりは

 よく言っておきます」

「頼む。うちの者が偉そうにしたら終わりや。内宮で売れてるからって、調子に乗るな。

 むしろ周りに頭下げて、食って、買って、話を聞け」

「はい」

 話がまとまりかけた、その時だった。

 外から使いの者が入ってきた。

「旦那様。長野様の方から、文が届いております」

 博之は、露骨に嫌な顔をした。

「今度は長野さんか」

 ヨイチがため息をつく。

「内宮さんの次は長野様ですか」

「帳簿より怖いな」

「帳簿も怖いです」

「うるさい」

 文を開くと、そこには長野家臣からの丁寧な文面が並んでいた。

 先日の津の飯会は、たいへん評判がよかった。

 寺での振る舞いも、港の者たちへの配慮もありがたい。

 領内でも、鮪とすり身の評判が広がっている。

 そこまではよかった。

 だが、続きが問題だった。

 長野の殿が、その飯を食いたいと仰せである。

 ついては、城まで飯を持ってくることはできないか。

 鮪とすり身、できれば焼き飯も。

 できるだけ早く。

 博之は、文を読み終えて目を閉じた。

「……来たな」

 ヨイチが文を覗き込む。

「来ましたね」

 お花も表情を曇らせた。

「城まで持ってこい、ですか」

「そうや」

 博之は文を畳んだ。

「そら、殿様が食いたいっていう気持ちは分かる。飯会の評判を聞いたんやろ。でも、これは無理や」

「はい。無理です」

 ヨイチは即答した。

「まだ津に横丁はありません。寺をお借りして飯会をしている段階です。城に飯を持っていけば、

 長野家お抱えの飯屋に見えます」

「それがまずい」

「周りの飯屋や商人も面白くありません。寺や顔役に筋を通して、ようやく飯会として

 始めたところです。そこを飛ばして城に運ぶのは、筋が違います」

 お花も頷く。

「それに、鮪やすり身は熱い方がよいです。城へ運ぶとなると、味も落ちます」

「そう。飯としてもあかん」

 博之は少し考えた。

「ただ、長野家臣も困っとるんやろな」

「文面から滲んでいますね」

「“無理ですよ”とは言うたんやろな。それでも殿が言うから、文を出さざるを得なかった」

 ヨイチがぽつりと言う。

「家臣の胃が痛そうですね」

「こっちも胃が痛いわ」

 博之は麦茶を飲み干した。

「妥協案は一つやな」

「寺ですか」

「そう。前に飯会をした寺に、殿様が来る。それなら同じ飯を出せる。

 津の者に出している飯会の場に来てもらう形や。城への配達ではない」

「殿様が納得されますかね」

「切れるやろな」

「でしょうね」

「“飯屋のくせに、なんで城まで来んのや”って言うやろ」

「言いそうです」

「でも、そこは言うしかない。うちはまだ津の飯屋やない。津の寺で飯会をしているだけや。

 城に持っていく筋はない」

 ヨイチは深く頷いた。

「長野家臣には、まずその形で返しましょう。城へは持って行けません。ただし、

 寺での飯会にお越しいただけるなら、同じものを熱い状態でお出しできます、と」

「うん」

「その上で、周りの店への配慮も書きます」

「必要やな」

 お花が少し心配そうに言った。

「殿様がお怒りになられたら」

「その時はその時や」

 博之は苦笑した。

「内宮さんには十万文持って行かせる。長野さんには城へ飯を持って行かんと断る。

 今日だけで、だいぶ極端やな」

 ヨイチが冷静に言う。

「旦那様は、雑に扱われるのが嫌いですから」

「そうや」

「でも、筋を通す相手には十万文を即日で出す」

「そうや」

「本当に面倒な飯屋ですね」

「飯屋や」

 博之は文を机に置いた。

「内宮は銭で道が開いた。長野は筋で揉める。どっちも飯やのに、なんでこんなに面倒なんやろな」

 ヨイチが答えた。

「旦那様の飯が売れすぎるからです」

「それが一番困る」

 お花が小さく笑った。

「でも、どちらも次へ進む話です」

「進みすぎやけどな」

 博之はため息をつきながらも、返書の準備を命じた。

 内宮へは、十万文。

 常設の準備。

 次回の百食限り。

 周辺への小遣いと買い食い。

 長野へは、城への配達を断る文。

 寺での飯会なら応じるという提案。

 津の者と同じ場で、熱い飯を食べてもらう形。

 同じ飯でも、場所が違えば、筋が違う。

 博之はその重さを、改めて感じていた。

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