表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

153/222

伊勢の内宮さんから手紙が来た。売れ行き良かったから倍出してもいいよ。あと10万文寄進したら常設の店出してもいいよwww

伊勢の内宮さんから文が届いた。

 それを聞いた瞬間、博之は布団の上でむくりと起き上がった。

「内宮さんから?」

「はい」

 お花が文を差し出す。

「なんやろな。怒られるんか、褒められるんか、追加で何か言われるんか」

 そう言いながらも、博之の顔は少し浮ついていた。

 内宮の端で、すり身と鮪を出した。

 半月に一度、五十個だけ。

 八十文と百文。

 結果は、一刻ほどで完売。

 それがどう受け止められたのか、気にならないわけがない。

 ヨイチも帳面を抱えて横に座る。

「旦那様、顔が少しうきうきしています」

「してへん」

「しています」

「してへん言うてるやろ」

 博之はそう言いながら、文を開いた。

 そして、読み進めるにつれて、だんだん顔が変わっていった。

「……なんだこれは」

 お花が首をかしげる。

「悪い話ですか」

「悪い……いや、悪い話ではない。けど、なんやこれは」

 ヨイチが文を受け取り、静かに読み始めた。

 内容はこうだった。

 先日の内宮での飯出しは、うまくいったと聞いている。

 こちらの見積もりも少し甘かった。

 次からは量を倍にしてもよい。

 ただし、値段は下げるな。

 さらに、十万文ほど寄進があるなら、内宮の一角で、鮪とすり身の店を常設してもよい。

 ヨイチは読み終えると、しばらく黙った。

「……なかなか吹っかけてきましたね」

「やっぱりそう思うか」

「はい。要は、十万文ください、ということですね」

「そうやな」

「ただ、向こうとしては、おそらく段階を踏ませるつもりだったのでしょう」

「段階?」

 博之が聞く。

 ヨイチは帳面を開きながら説明した。

「まず、半月に一回の飯出し。次に量を倍にする。そこで利益を出す。利益が十万文ほど貯まったら

 寄進する。そうすれば、内宮の一角に二品だけ、鮪とすり身を常設することを許す。

 おそらく、そういう腹積もりでしょう」

「うん」

「つまり向こうは、こちらが十万文をすぐ出せるとは思っていない」

「そこや」

 博之は文を指で叩いた。

「そこが、ちょっとイラつくねん」

「イラつく、ですか」

「イラつくというか、見込み違いやな。向こうは、十万文をかなり重い条件として書いてる。

 そら普通の飯屋ならそうや。けど、今のうちからすると、十万文は出せる」

 ヨイチがため息をついた。

「出せますね」

「うち今、いくらあるんや」

「百三十七万文ほどです」

「ほな、十万文持っていけ」

 ヨイチの筆が止まった。

「……今、何と」

「十万文持っていけ。お花、用意できるか」

 お花は少し驚きながらも、すぐに頷いた。

「用意はできます」

「旦那様」

 ヨイチの声が低くなる。

「また無茶を」

「無茶ちゃうやろ。この文に十万文って書いてるねんもん」

「書いてますけど、普通は“いつか十万文寄進できるなら”という話です」

「うちは今出す」

「そういうところです」

 ヨイチは頭を抱えた。

「内宮さん、また読み違えましたね」

「やろ」

「うちの懐事情を知らないがゆえに、めちゃくちゃ吹っかけたつもりが、

 旦那様にはお手頃価格に見えたわけです」

「お手頃言うな。十万文やぞ」

「でも、出すんでしょう」

「出す」

「お手頃です」

「腹立つな」

 博之はそう言いながらも、口元は少し笑っていた。

「だって考えてみろ。一回常設できたら、もう半月に一回五十個とか百個とか、

 そういう話やなくなるんやぞ」

「はい」

「品も増やせる。普通、しょうが、しそ、ごぼう、タコ、イカ。棒も平丸も置ける。鮪も出せる」

「ただし、甘味や茶は出せません」

「出さへん。そこは守る」

「土産物も出しません」

「出さへん。鮪とすり身だけや」

 博之は指を折りながら続けた。

「前回、五十個で一刻や。次は百個まで許可が出た。けど、常設になったら、

 一日中売れる。味違いを並べれば、百個では足らん。二百、三百はいくかもしれん」

「旦那様、言っている数字が怖いです」

「怖いのは分かってる。でも、これが内宮や」

「お伊勢さん価格ですね」

「そうや。しかも、一角をもらえる。うちの朱の印を押した油吸い紙が、内宮の中を毎日歩く」

 ヨイチは目を細めた。

「それは、十万文では安いかもしれませんね」

「やろ」

「悔しいですが、安いです」

 お花が静かに言った。

「ただ、即日十万文を持っていくと、向こうも驚かれるのでは」

「驚かせたらええねん」

 博之は即答した。

「向こうが十万文と書いた。こちらはその条件を飲む。それだけや」

「けれど、あまりに早すぎると、逆に警戒されませんか」

「されるやろな」

「では」

「でも、ここで遅らせたら、向こうの筋になる。“利益が貯まったら寄進してくださいね”

 という話にされる。そうなると、こっちは毎回、売上を見られる形になるかもしれん」

 ヨイチがぴくりと反応した。

「なるほど」

「それが嫌やねん」

 博之は文を見下ろした。

「売上が出たから寄進しろ。もっと売れたからもっと寄進しろ。そういう話になる前に、

 条件として書かれた十万文を先に払う」

「一括で関係を買うわけですね」

「嫌な言い方すな」

「正確な言い方です」

「まあ、そうや。常設の口を買う。売上に口を出される前に、場所代として十万文を置く」

「それなら筋が通ります」

 ヨイチは少し真面目な顔になった。

「ただし、文面は気をつけましょう。十万文を持って行くにしても、“条件を承りましたので、

 先に寄進いたします”という形にする。売上歩合ではなく、場をお借りする御礼として」

「そうやな」

「そして、出す品は鮪とすり身に限る。茶、甘味、土産物には触れない。周りの店への配慮も書く」

「うん」

「量についても、初日は無理に三百とは言わない。まずは百から始め、売れ方を見て増やす」

「そこはそうやな。調子乗ると嫌われる」

 博之は少し考え込んだ。

「それにしても、内宮さんもなあ」

「はい」

「十万文って書き方が悪かったな」

 ヨイチが、珍しくはっきり頷いた。

「悪かったです」

「普通の飯屋なら、震える金額や。けど、うちには“今出せる金額”やった」

「しかも、出すことで一気に次へ進める金額です」

「そう」

 博之は立ち上がった。

「ほな、十万文用意して、返事を書く。次の半月を待たずに、常設の準備に入る」

「旦那様、また話が飛んでます」

「飛んでへん。向こうが道を開けたんや」

「道を開けたというより、門の前に高い札を立てたつもりだったのでしょう」

「うちは払う」

「はい。だから門が開きます」

 ヨイチは呆れたように笑った。

「本当に、手紙の出し方が悪かったですね」

「やな」

「内宮さんは、試したつもりだった。旦那様は、買えると思った」

「買えるんやからしゃあない」

「怖い飯屋です」

「飯屋や」

「十万文を即日で持っていく飯屋は、だいぶ怖いです」

 お花がそっと言った。

「では、十万文の包みと、返書を用意いたします」

「頼む」

 博之はもう一度、文を見た。

 量は倍でよい。

 値段は下げるな。

 十万文ほど寄進があれば、一角で常設してもよい。

 その文面は、たぶん内宮側としては強気の条件だった。

 けれど、伊勢松坂屋にとっては違った。

 半月に一度の出店が、常設へ変わる。

 五十個限定が、百、二百、三百へ変わる。

 鮪とすり身が、内宮の中で毎日売れる。

 朱の印の油吸い紙が、毎日参拝客の手に渡る。

 十万文。

 高い。

 だが、安い。

 博之は、少しだけ震えながら笑った。

「また、えらいことになったな」

 ヨイチが帳面を抱え直す。

「はい。来期の帳簿が怖いです」

「言うな」

「これは言わざるを得ません」

「ほんま、怖いわ」

「でも、旦那様」

「なんや」

「たぶん、これも売れます」

 博之は頭を抱えた。

「それが一番怖いねん」

 内宮さんの文は、伊勢松坂屋の歯車をまた一つ、大きく回してしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ