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4月後半戦。とりあえず伊勢の城下町に横丁を作るか。感覚が軽すぎます。あと飯の調整もしないと内宮さんに怒られます。

四月前半の帳簿を見終えたあと、博之はしばらく布団に転がったまま、天井を見ていた。

 伊勢城下の許可はもう下りている。

 伊勢港も、伊勢郊外も、すでに動いている。

 内宮の端では、すり身と鮪が売れた。しかも、思っていた以上に売れた。

 ここで伊勢城下を放っておくのは、逆に怖い。

「……ほな、伊勢城下、立ち上げるか」

 ぽつりと博之が言った。

 ヨイチは帳面を持ったまま、深く息を吐いた。

「旦那様、その“立ち上げるか”が軽すぎるんです。伊勢城下ですよ。横丁ですよ。

 普通はもっと悩むところです」

「悩んでるやん」

「布団に転がりながら言うことではありません」

「転がってても、頭は動いとる」

「動きすぎです」

 お花が苦笑しながら、そっと麦茶を置いた。

「でも、許可をいただいている以上、あまり遅すぎるのも失礼ですね」

「そうやろ。神宮の端で飯を出して、港も郊外もやって、城下だけ放置したら、伊勢の城主様にも

 “何をしておる”と思われるかもしれん」

「それはあります」

 博之はようやく体を起こした。

「ただし、値段はきっちり決める。ここを適当にしたら、内宮さんに怒られる」

 ヨイチが頷いた。

「そこは絶対です。内宮で出したものと、伊勢城下で出すものの差を、ちゃんと整えないといけません」

「うん。まず、天ぷらのすり身や」

 博之は指を一本立てた。

「これは、ざっくり一つ七十文でそろえる」

「味違いも全部ですか」

「全部や。普通、しょうが、しそ、ごぼう、イカ足、タコ足。いろんな味をそろえるけど、

 城下ではまるっと七十文にする」

「タコ足もイカ足も七十文ですか」

「最初はな。内宮では百文にした。城下では七十文。内宮より安い。けど、港よりは高い。

 これなら筋が通る」

 ヨイチはすぐ帳面に書き込んだ。

「量はどうしますか」

「内宮よりは少し多く見せる。ただし、今までの港や松坂で出してたやつよりは小さくする」

「つまり、伊勢城下用の大きさに調整するわけですね」

「そうや。内宮で買った客が城下で見て、“こっちの方が少し得やな”と思うぐらい。

 けど、港で買ったものと比べて、馬鹿みたいに差が出たらあかん」

「転売対策ですね」

「それもあるし、値打ちの調整やな」

 博之は次に、鮪鍋の方を考えた。

「鮪鍋は五十文や」

「内宮では百文でした」

「城下では五十文。けど、量を減らす」

「なるほど。値段は手に取りやすくして、量で調整する」

「そうや。鮪は座って食うもんや。汁物やから、食べ歩きには向かん。だから五十文で、

 小さめの椀にする。量を減らせば、同じ仕込みで売る数を増やせる」

 ヨイチが顔を上げた。

「つまり、売る個数を増やすわけですね」

「そう。すり身も同じや。大きさを調整して、一日百個を目安にする」

「一日百個」

「まずはな」

「旦那様」

「なんや」

「その“まずは”も怖いです」

「売れるか分からんやろ」

「売れると思います」

「またそういう怖いことを」

 ヨイチは真顔だった。

「内宮で売っているあれ、という見え方がもう出ています。しかも城下では内宮より安い。

 量も少し多い。味も選べる。普通、しょうが、しそ、ごぼう、イカ足、タコ足。迷わせることが

 できます」

「迷わせるのは大事やな」

「はい。一種類なら一つ食べて終わりです。でも味が違えば、二つ買う人が出ます。連れと

 分ける人も出ます。子どもには平丸、男衆には棒串、女衆にはしそやしょうが。売れる口が増えます」

 博之は少し嫌そうな顔をした。

「お前、だいぶ商売人になってきたな」

「旦那様のせいです」

「わしは飯屋や」

「飯屋が一番商売をしています」

 お花が横から静かに言った。

「売れ残った場合はどうされますか」

「まかないで食えばええ」

 博之はあっさり言った。

「すり身やし、鮪やし、うちの者は食うやろ。売れへんかったら、飯に混ぜるなり、

 晩飯に回すなりしたらええ」

「その気楽さが、逆に強いんですよね」

 ヨイチが呆れたように言う。

「売れ残りが怖くないから、試せる」

「いや、怖いぞ。金は怖い」

「でも、食べ物として無駄にならない。だから強気で出せる」

「それはそうやな」

 博之は麦茶を飲んで、少し考えた。

「とりあえず、伊勢城下の初回はこれでいこう」

「天ぷらすり身、味違いで一律七十文。一日百個」

「うん」

「鮪鍋は五十文。ただし量を減らす」

「うん」

「すり身の量も調整して、内宮との値段差に筋を通す」

「うん」

「売れ残りはまかない」

「うん」

「旦那様」

「なんや」

「たぶん、売れ残りません」

「お前、ほんま怖いこと言うな」

「お伊勢さんパワーを舐めてはいけません」

 ヨイチは帳面を閉じながら言った。

「内宮で一度売れた。朱の印の紙を持って歩いた客がいる。あれを見た人がいる。話を聞いた人がいる。城下で“あの伊勢松坂屋のすり身”が内宮より安く食べられるとなれば、普通に売れます」

「普通に売れるって言うな。わしはまだ半信半疑なんや」

「旦那様の“これでやってみよう”は、飯に関してはだいたい当たります」

「外れる時もある」

「外れてもまかないになります」

「便利な言葉やな、まかない」

「旦那様がよく使う言葉です」

 博之は頭をかいた。

「それにしても、わしらの始まり覚えてるか」

「覚えています」

「寝なし草で豚汁食うところからやぞ」

「はい。一年前は地獄でした」

「それが今、伊勢城下で七十文のすり身を百個売るかどうかの話をしてる」

「はい」

「おかしいやろ」

「おかしいです」

「認めるんかい」

「おかしいですが、現実です」

 ヨイチは少し笑った。

「旦那様。もう伊勢の城下に出るところまで来ています。あとは、値段と量を間違えないことです」

「内宮さんに怒られんようにな」

「はい。内宮では高く、城下では少し得に、港では腹にたまるように。それぞれ役割を分ける」

「飯にも身分ができてきたな」

「格です」

「嫌な言い方やな」

「でも必要です」

 博之は遠い目をした。

「お伊勢さん、怖いわ」

「でも、そのお伊勢さんで売れたから、城下に出られるんです」

「分かっとる」

 博之はようやく立ち上がった。

「ほな、伊勢港と伊勢郊外の者を呼べ。古参も数人つける。すり身の大きさをそろえろ。平丸も棒串も、見た目が貧相にならんようにしろ。鮪鍋の椀も、小さくてもちゃんと満足感が出るように考えろ」

「はい」

「七十文や。高い飯を売るんやない。七十文でも納得される飯を出すんや」

 ヨイチが少しだけ目を細めた。

「旦那様、そういうところは本当に飯屋ですね」

「そうや。飯屋や」

「飯屋にしては、規模がおかしいですけど」

「それは言うな」

 伊勢城下の横丁は、こうして動き出した。

 天ぷらすり身、一律七十文。

 鮪鍋、五十文。

 量は調整し、個数を増やす。

 味をそろえ、選ばせる。

 内宮の格を崩さず、城下では得に見せる。

 博之の「とりあえずこれでやってみよう」は、またしても周囲を不安にさせた。

 そしてヨイチは、帳面を抱えながら小さく呟いた。

「たぶん、これも当たるんですよね」

 博之は聞こえないふりをした。

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