博之、松坂帰りの船の上で九鬼水軍にも即完売の話で色々言われる。買付方の女衆との報告会もあるが興奮しすぎて話にならないから一回寝るwww
帰りの船は、行きよりもずっと騒がしかった。
海は穏やかだったが、博之の胸の中だけは、まだ内宮の端の油の音が鳴っていた。
一刻ほどで売り切れた。
八十文、百文という値で出した、すり身棒、平丸、鮪の煮込み。
半月に一度、五十だけ。
それが全部、売れた。
船に乗り込んでしばらくすると、九鬼の船員が笑いながら言った。
「しかし、旦那。一刻であれ全部売り切るのは、普通にすごいぞ」
「いや、ほんまに怖いですわ」
「怖い言いながら、顔にやけとるで」
「にやけますよ、そら」
博之は船べりにもたれて、まだ少し浮ついた声で言った。
「八十文、百文で売ったんですよ。しかも量半分で」
「そうやな。量半分で値段倍やろ」
「そうです。普段の仕込みの量で見たら、まだ半分残ってるようなもんです。それで値段は倍。
単純に考えたら四倍ですわ。売れたらの話ですけど」
「売れたやんけ」
「売れましたね」
「ええなあ」
船員たちが、揃って笑った。
「こら、港の飯の値段も考え直さなあかんな」
「そうなんです」
博之は真顔になった。
「伊勢の港と松坂の港で売ってるすり身棒やなんかも、串の大きさ、量、値段、全部
見直さなあかんと思ってます」
「港の方は安くて大きいやろ」
「そうなんですよ。それが怖いんです」
「怖い?」
「内宮で買った客が、そのあと伊勢の港に来たら気づくでしょう。『あれ、こっちの方が
大きくて安いぞ』って」
「ええことやんけ」
「客としてはええんです。でも、商売人が気づいたらどうします?」
船員の一人が首をかしげた。
「どうするって?」
「港で安く買って、内宮の周りで高く売るやつが出るかもしれん」
船員たちは一瞬黙り、それから大きく笑った。
「そんな奴おるかい。伊勢松阪屋に喧嘩売る気が強すぎるやろ」
「いや、でも売上が四倍になるって分かったら、やるやつが出てもおかしくないでしょう」
「十文二十文の話やないしな」
「そうです。しかも油吸い紙の印もあります。朱の印は伊勢松阪屋のものやから、
真似されたら困る。逆に、印がないものが出回ってまずかったら、それもうちの品と
混同されるかもしれん」
「なるほどな」
船員の笑いが少し収まった。
「だから、大きさと値段を揃えるんか」
「完全に揃えるというより、内宮用、港用、松坂用で筋を決めないとあかんと思ってます。
港は港で腹にたまるものを残す。でも、内宮で売ってる印つきのすり身棒に近い品は、
港でもそれなりの値にする。安すぎると、こっちが崩れる」
「俺らは、たくさん食えて安い方がうまいけどな」
「それは分かります」
博之は苦笑した。
「元々は、ほんまに価値がつかへんかった魚をどうにか飯にする話やったんです。
それが内宮で百文ですよ。錬金術もここまで来たら怖いですわ」
「戦国大名になれるで、それだけで」
「すり身の大名ですか」
「すり身大名やな」
船の上にまた笑いが起きた。
だが、九鬼の船員の一人は、少し真面目な顔で言った。
「でもな、旦那。これに伊勢神宮で売ってるって名前がついたら、ほんまにえらいことになるぞ」
「それが怖いんです」
「下手したら、店出せるぞ」
「いやいや、まだまだです。一回うまくいっただけです。一刻で売れただけですから」
「それを普通、うまくいったと言うんや」
「めちゃめちゃ嬉しいですよ。嬉しいですけど、調子乗ったら周りの店に迷惑かけます。
反感買われたら嫌です」
「反感買う間もなく売れとったやんけ」
「それもそれで怖いんです」
「向こうの店も、ちょっとびびり倒してたで」
「見てました?」
「見てた。『なんやあれ』みたいな顔で見とった。甘味でも茶でもない、魚の揚げもんと
鮪の煮込みやから、直接はぶつからん。けど、人は集まる。そら気になるわ」
博之は船の縁に肘をつき、海を見た。
「やっぱり、品数は増やしたらあかんな」
「最初はな」
「鮪とすり身だけ。甘味は出さない。土産も出さない。茶も麦茶を添えるぐらい。
そこを守らないと、絶対嫌われる」
「分かっとるならええんちゃうか」
「分かってても、売れたら欲が出るんですよ」
「旦那は欲深いからな」
「否定できません」
船員たちはまた笑った。
やがて松坂の港が近づいてきた。
博之は、船を降りる前からもう疲れ切っていた。嬉しさと緊張が混ざって、頭がぐるぐるしている。
港に着くと、ヨイチが帳面を抱えて寄ってきた。
「旦那、買い付け方の女衆からも話を聞かないといけません」
「分かっとる」
「売れた順、客の反応、値段感、他の店の買い食い、全部聞きます」
「分かっとるけど、今は無理や」
「無理?」
「怖すぎたから、一回寝る」
ヨイチが呆れた顔をした。
「このタイミングで寝るんですか」
「寝る。こっちの興奮が止まらん。今聞いたら、俺が変なこと言い出す」
お花が少し笑った。
「それはありそうですね」
「やろ。だから一回寝る。夜に聞く。夜すがら、ちゃんと話を聞く」
「分かりました。では、買い付け方の子たちには、夜に集まるよう伝えます」
「うん。あと、今日はようやったって言うといてくれ。最初の十個、あれが効いた」
「はい」
博之は荷の確認だけ済ませると、本店へ戻った。
座敷に入るなり、布団へ倒れ込む。
「旦那様、着替えは」
「あとで」
「帳面は」
「あとで」
「内宮の売上は」
「あとで!」
そう言って、博之は枕に顔を埋めた。
嬉しい。
怖い。
売れた。
高値で通った。
内宮で、伊勢松阪屋の印つきの紙が歩いた。
それが何を意味するのか、まだ整理しきれない。
ただ一つだけ分かる。
伊勢松阪屋の飯は、また別のところへ進んでしまった。
「……寝る」
博之はそう呟いて目を閉じた。
夜になれば、買い付け方の女衆から話を聞く。
何が売れたか。
何を高いと言われたか。
何をうまいと言われたか。
周りの店の値段はどうだったか。
そして、内宮の空気はどうだったか。
だが、今だけは寝る。
そうしないと、嬉しさと怖さで、また何か大きなことを言い出してしまいそうだった。




