伊勢神宮出店。女衆が10食食べてくれてからが勝負。参拝客に丁寧に接客しているがそわそわが止まらない博之。隔離され結果待ち。結果はあっという間に完売
最初の十個は、買い付け方の女衆が買った。
普通の棒串。
しその平丸。
ごぼう入り。
しょうが入り。
イカ足入り。
タコ足入り。
朱の木印を押した油吸い紙で包まれたそれを、紋付き袴の女衆たちが、少し離れたところで
食べ比べている。
「これ、しそがええわ」
「ごぼうも食感あるなあ」
「タコ足、こりこりしてる!」
「百文は高いと思ったけど、これはちょっと楽しいですね」
わざとらしくない。けれど、楽しそうではある。
その様子を見ていた参拝客の男が、ふと足を止めた。
「お嬢ちゃんたち、なんかうまそうに食っとるな」
女衆の一人が、にこりと笑う。
「これ、美味しいんですよ。伊勢松阪屋のすり身です」
「すり身?」
「魚を練って揚げたものです。平型のやつは、手で持って食べやすいですよ。八十文でちょっと
高いかなと思ったんですけど、食べ応えあります」
別の女衆が、紙に包まれた平丸を見せる。
「タコ足とイカ足が入ってるものは百文なんですけど、こりこり感が結構いいです」
「百文か。なかなかするな」
「でも、今日だけみたいですよ。半月に一回、五十個だけって聞きました」
そう言って、女衆たちはきゃあきゃあ言いながら、参拝と買い物へ散っていった
博之はその後ろ姿を見ながら、小さく頷いた。
「ここまでは、買付方の仕事やな」
あとは、店の者たちの番である。
揚げ場の前では、古参の女衆が声をかけた。
「どうですか。旅の記念に一つ食べていきませんか。お嬢ちゃん方も食べて、
うまい言うてはったでしょう」
「うーん、ほな一個だけ」
「普通、しそ、ごぼう、しょうがは八十文。タコ足、イカ足入りは百文でございます
「高いなあ」
「内宮さんで半月に一回だけのお試しでございます。揚げたてですので、ぜひ」
男は少し迷った末に、しその平丸を一つ買った。
朱印の押された油吸い紙に挟まれた平丸を受け取り、熱そうに持ち替えながら、一口かじる。
「……お、うまいな」
店の女衆が少し身を乗り出す。
「ありがとうございます」
「熱々やし、しその匂いがええ。魚臭さがないな」
「松坂の港で仕込んでおります」
「これ、何日かここにおるんやったら、また買うてもええな」
博之はすかさず横から口を出した。
「すみません。これ、今は半月に一回だけなんです。しかも五十個だけのお試しでして」
「半月に一回?」
「はい。神宮さんにお許しをいただいて、端の方で少しだけ出させてもらっております」
「もったいないなあ」
「そう言っていただけるだけでありがたいです。伊勢松阪屋でございます。
松坂や海道沿いでも店をやっておりますので、見かけたらぜひ」
「ほう。旅の途中で見たら寄るわ」
そう言って男は、もう一口かじりながら歩いていった。
ひとつ売れると、空気が変わった。
次に足を止めたのは、年配の夫婦だった。
「この鮪というのは、あの鮪か」
「はい。鮪の煮込みでございます」
「鮪なんて捨てるもんやろ」
博之は、そこは慣れていた。
「そう思われる方も多いです。けれど、きちんと血抜きをして、生姜や薬味で煮込みますと、
味が深くなります」
「百文か」
「はい。ただ、こちらも半月に一回だけでございます。神宮さんのお許しをいただいて
出しておりますので、変なものは出せません」
少しずるい言い方だが、効いた。
「ほな、旅の話の種に一つ食うてみるか」
「ありがとうございます。こちら、長椅子でお召し上がりください」
小さな器に、鮪の煮込みをよそう。量は多くない。けれど、汁は濃く、薬味の香りが立っている。
男が一口すする。
「……おお」
「いかがですか」
「味が深いな。これ、ほんまに鮪か」
「はい」
「鮪って食えるんやな」
横に座った女房も汁を口にして、目を丸くした。
「生臭くないですね」
「血抜きと下煮をしっかりしております」
「これは、ちょっと驚きやな」
その言葉を聞いた周囲の者が、さらに近づいてくる。
「鮪、食えるんか」
「すり身の揚げたやつは何味があるんや」
「この朱の印の紙、何や」
「伊勢松阪屋の印でございます」
「伊勢松阪屋?」
「松坂と伊勢の港で飯屋をしております」
店の者たちが、一つ一つ説明する。
普段なら二十五文、五十文で売るものを、今日は八十文、百文で売っている。
手元の銭を受け取るたびに、揚げ場の女衆の手がわずかに震えた。
博之はそれを見て、内心で思った。
そら震えるわ。
こんな値段で売ったことないんやから。
だが、客は思ったほど引いていなかった。
むしろ、「半月に一回」「五十個だけ」「神宮さんの端で許されている」という言葉が、
値段の高さを少しだけ特別なものに変えていた。
「タコ足入り、まだあるか」
「はい、あと二つでございます」
「ほな一つ」
「イカ足もください」
「平たいのと棒、何が違うんや」
「棒はかぶりつきやすく、平丸は紙で挟んで食べやすいです」
「ほな平丸で」
声が重なり始めた。
博之は、だんだん落ち着かなくなってきた。
売れている。
売れているのは嬉しい。
だが、嬉しすぎて、逆に怖い。
揚げ場の後ろをうろうろし、鮪の鍋を覗き、油吸い紙の残りを数え、客の顔を見て、
またうろうろする。
お花が横から小声で言った。
「旦那様、ちょっと怪しい人みたいになってます」
ヨイチも頷く。
「完全に不審者です」
「そんなにか」
「はい。売れるかどうか気になりすぎて、客より旦那の方が目立ってます」
「それはあかんな」
「離れましょう」
博之は渋々頷いた。
「ほな、茶でも飲みに行くか」
三人は店を少し離れ、近くの茶屋に入った。
出された茶を見て、博之は何気なく値を聞いた。
「これ、いくらですか」
「三十文でございます」
博之は思わず茶碗を見た。
「茶が三十文?」
ヨイチが小さく笑う。
「内宮さん価格ですな」
お花も静かに言う。
「場所代ですね。座って休めることにも値がついているのでしょう」
「どないなってんねん、内宮さんは」
そう言いながらも、博之は少し安心していた。
茶が三十文する場所なら、八十文のすり身や百文の鮪も、決して無茶だけではないのかもしれない。
三人は茶を飲みながら、一刻ほど時間を潰した。
博之は何度も立ち上がりそうになったが、そのたびにお花に止められた。
「まだです」
「そろそろええやろ」
「まだです」
「気になるんや」
「気になるからこそ、離れてください」
ようやく一刻ほどして、三人は内宮の端へ戻った。
店の前には、もう油の香りだけが残っていた。
揚げ場の女衆が、呆然とした顔で立っている。
博之の胸がどきりと鳴る。
「どうや」
女衆は、少し震えた声で答えた。
「全部、売り切れました」
「全部?」
「はい。すり身棒も、平丸も、鮪も。全部です」
ヨイチがすぐに帳面を開いた。
「何が最初に切れた」
「タコ足入りです。次にイカ足入り。しそも早かったです」
「鮪は?」
「最初は迷われましたけど、一人食べたら続きました。最後は、もうないのかと言われました」
博之は、しばらく何も言えなかった。
八十文。
百文。
半月に一回。
五十個だけ。
内宮の端。
全部、売れた。
お花が静かに言った。
「旦那様」
「なんや」
「これは、値段を下げなくてよさそうですね」
ヨイチも帳面を閉じながら言う。
「むしろ、次が怖いですね」
博之は、ようやく小さく笑った。
「……ほんまに化けたかもしれんな」
朱の印の押された油吸い紙は、一枚も残っていなかった。
その紙を持った客たちは、今ごろ内宮の道を歩きながら、どこかでこう話しているかもしれない。
「あの伊勢松阪屋のすり身、うまかったな」
「あの鮪、食えたな」
「半月に一回だけらしいで」
博之は、空になった揚げ場を見つめながら、静かに息を吐いた。
嬉しい。
けれど、怖い。
また、歯車が一つ大きく回った音がした。




