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伊勢神宮決戦の日。道中志摩水軍と軽口をたたきながらも現場に行くと緊張が隠し切れない。まずは女衆たちに現場で買い食いしてもらう

船は、思っていたよりも静かに進んだ。

松坂の港を出て、伊勢の方へ向かう。海風は少し冷たいが、空は悪くない。荷の中には、

今日の勝負品が積まれている。

内宮の端で出す、すり身棒と平丸。

それに、鮪の煮込み用の小鍋と器。

 博之は船べりに腰を下ろし、九鬼の船員たちに、松坂の横丁で揚げてきた試作品を差し出した。

「これ、今日出すやつですわ。内宮さんで」

 九鬼の船員の一人が、油吸い紙を開いて、すり身棒にかぶりつく。

「お、うまいな」

「どうです?」

「腹にはそんな溜まらんな」

「そこ、大事なんです」

 博之は身を乗り出した。

「参拝客って、結局いろいろ買い食いしたいわけですよ。団子も食べたい、茶も飲みたい、

 土産も見たい。そこで腹に溜まりすぎる飯を出したら、他の体験を邪魔するんですわ」

「なるほどな。食った後に別のもんも食える、いうことか」

「そうです。鮪の方は汁物やから、船で出しにくいんで今は分かりませんけど、

 このすり身棒と平丸は、歩きながら食えるし、軽い。だから、もしかすると、もしかするんです」

 船員が笑う。

「旦那も緊張する時あるんやな」

「そら緊張しますよ」

 博之は苦笑した。

「量半分で値段倍ですよ。普通、怖いでしょう。そもそも売れへん可能性もあるんですから」

「けど、内宮やろ」

 別の船員が口を挟んだ。

「内宮は、ほんまにちょっとしたもんでも高いぞ。伊勢の城下も高いけど、内宮まわりは比じゃない。

 わしら港を使う者からしたら、なんであそこで食わなあかんねん、と思うぐらいや」

「それでも売れる」

「売れる。参拝客が多い。気分も浮いとる。そこで珍しいものがあれば、手を出す」

 博之は黙って頷いた。

 九鬼の船員たちは、港も伊勢も知っている。彼らの言葉には、商人とは違う現場の重みがあった。

「今日見た感じやと、味も変えとるんやろ」

「はい。普通、しそ、ごぼう、しょうが。あと、タコ足入りとイカ足入りです」

「それ、うまくいったら、五十個では済まんぞ」

 船員はすり身棒を紙で包み直しながら言った。

「味が六つあるなら、味ごとに五十個欲しい言われる。下手したら一日三百、四百いくぞ」

「そこまでいったら、もううわーですわ」

「うわーってなんや」

「帳簿が怖い」

 船の上に笑いが起きた。

 九鬼の船員が、にやりとする。

「当然、こっちにも回してくれるんやろうな」

「当たり前じゃないですか」

 博之はすぐに答えた。

「運賃を急に上げるとかはできませんけど、天気が悪くて足止めになった時の宿泊代、

 荷が崩れた時の補償、漁師衆への手間賃、そういう諸経費ではきちんと落とします

「ほう」

「先々、鳥羽や志摩の方へ行く時にも、松坂の木綿や握り飯、味噌だれや漬物を運ぶことに

 なるかもしれません。その時は当然、九鬼様の船筋に便宜をお願いすることになるでしょうし、

 近くの寺や神社にも寄進します」

 船員は満足そうに頷いた。

「その辺の金の配り方が分かっとるから、旦那は好かれるんや」

「好かれてるんですかね」

「少なくとも、嫌われにくい」

「それはありがたいです」

 そんな話をしているうちに、船は伊勢の港へ近づいていった。

 荷を下ろす時、さすがに伊勢松阪屋の者たちにも緊張が走った。

 内宮で揚げ物を出す。

 半月に一度だけ。

 五十個だけ。

 八十文と百文。

 松坂の港でも、伊勢の港でも、そんな値段で売ったことはない。

 博之は荷を確認しながら、揚げ方の者たちに声をかけた。

「緊張するのは分かる。けど、俺らがやることはいつもと同じや」

「はい」

「量が少ない。値段が高い。それだけや。味はいつも通り。揚げ加減もいつも通り。慌てるな」

「はい」

「済ました顔してやれ。びびった顔してたら、客もびびる」

 女衆の一人が小さく笑った。

「旦那様が一番びびってるように見えます」

「俺はびびってる。でも顔には出さん」

「出てます」

「うるさい」

 少し笑いが起き、場の緊張が和らいだ。

 内宮の端に着くと、決められた場所に簡易の場を作った。

 長椅子を並べる。

 鮪の小鍋を置く。

 小さな器と箸をそろえる。

 油を温める。

 棒串用のすり身を並べる。

 平丸用のすり身を形よく整える。

 朱の木印を押した油吸い紙を、風で飛ばぬよう重しで押さえる。

 紙には、丸に井戸の井。

 伊勢松阪屋の印である。

 博之はそれを見て、少しだけ息を呑んだ。

「ほんまに、ここまで来たな」

 ヨイチが小声で言う。

「まだ売れてませんよ」

「分かっとる」

「でも、ここまで来ましたね」

「うん」

 やがて、買い付け方の女衆十人がやってきた。紋付き袴を整え、いかにも買い物に来た

 一団という顔をしている。

 博之は彼女たちに言った。

「最初の十個は、お前らが買え」

「はい」

「店の金やなくて、自分の銭でや。高いと思ったら高いと覚えとけ。安いと思ったら安いと覚えとけ」

「はい」

「食う時は、普通に食え。無理に騒がんでええ。でも、うまかったらうまそうに食え」

 女衆たちが少し笑う。

「それから、参拝してこい。他の店でも買い食いしてこい。団子でも茶でも何でもええ。

 値段と量を見てこい。帰りに感想を聞く」

「承知しました」

「売れたか売れてへんかも、俺が確認してから帰る。最初の十個がお前らで動いたら、

 あとは流れを見る」

 ヨイチが帳面を開く。

「売れ残ったらどうしますか」

「夕方まで売れんかったら、十文、二十文下げてもええ」

「強気価格の様子見ですね」

「そうや。こっちは最初から強気で行ってる。売れなければ下げる。売れたらそのままや」

 油が温まってきた。

 最初のすり身棒が、静かに油へ沈む。じゅわっと音が立ち、魚と生姜の香りが立ち上がった。

 次に平丸が入る。平たく整えられたすり身が、油の中で少し膨らみ、縁から淡く色づいていく。

 通りかかった参拝客が、少し足を止めた。

「あれ、何を揚げとるんや」

「伊勢松阪屋らしいで」

「港の方で売っとる魚のやつやろ」

 まだ客ではない。だが、目は向いている。

 博之は胸の奥が締まるのを感じながら、できるだけ平然とした顔で言った。

「よし、一本目。普通の棒。八十文」

 女衆の一人が銭を出す。

「いただきます」

 朱印の押された油吸い紙で巻かれたすり身棒が、初めて内宮の端で手渡された。

 女衆は一口食べ、目を丸くした。

「……うまいです」

「ほんまか」

「はい。いつもより、なんか上等に感じます」

「紙のせいやろ」

「それもあります」

 周りの参拝客が、また少し足を止める。

 次はしその平丸。

 次はごぼうの棒。

 次はイカ足入り。

 次はタコ足入り。

 十人の買い付け方が、それぞれ違うものを買い、紙を手に持ち、食べ比べるように立つ。

 朱の印が、陽に当たって目立っていた。

 博之は小さく息を吐く。

 ここから先は、もう客次第だった。

 八十文。

 百文。

 五十個限定。

 内宮の端。

 高いか、安いか。

 珍しいか、怪しいか。

 すべては、今から分かる。

「さあ、どうなるかな」

 博之はそう呟き、次の平丸を油から引き上げた。

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