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魚のすり身の天ぷらの提供調整をかなり細かくする博之。80文と100文の強気設定。内宮での勝負の日

長野の話は横に置いた。

 津の飯会も大事である。港飯が当たれば、あちらも大きく化ける。

 だが、今の博之の頭は、ほぼ内宮のことでいっぱいだった。

「違う違う。値段だけは揃える」

 博之は本店の奥で、ヨイチとお花、古参たちを前にして、紙にざっくりと書きつけながら言った。

「棒串も平丸も、値段は同じや。形で値段を変えへん」

「棒と平丸で同じですか」

「そうや。客に分かりやすい方がええ。棒で食うか、平丸で食うかは好みや。値段は味で変える」

 ヨイチが筆を構える。

「では、味で二段階ですか」

「そう。タコ足入りとイカ足入りは百文。それ以外、つまり普通、しそ、ごぼう、しょうがは八十文」

 その場に、少しだけ沈黙が落ちた。

「……かなり強気ですね」

 ヨイチが言うと、博之は頷いた。

「強気でいく。内宮やぞ。五十個限定や。ここで安く出したら、後から上げられへん」

「売れなかったら?」

「次から十文ずつ下げる」

「下げる前提なんですね」

「前提というか、様子見や。でも最初は八十文、百文でいく。最初から弱気にしたら、価値がつかへん」

 お花が静かに聞いた。

「鮪の煮込みはどうされますか」

「鮪も百文や」

「百文」

「量半分やろ。それを内宮では、さらに内宮値段として百文にする。そしたら、内宮では

 百文が普通、という見え方になる」

 ヨイチが少し眉を上げた。

「鮪も、タコ足入りも、イカ足入りも百文」

「そうや。百文の品が並ぶと、八十文が少し安く見えるやろ」

「なるほど。八十文を安く見せるための百文でもあるわけですね」

「そういうことや」

 博之は、紙に丸を描いてから、そこに「平丸」と書いた。

「ただし、鮪は座って食わなあかん。汁物やからな。歩きながらは無理や」

「器が要りますね」

「器だけ持っていく。半分の量が入る小さめの器や。箸も置く。長椅子も持っていく。

 そこで食うてもらう」

「鮪は腰掛けて食べる品」

「そう。対して、すり身の棒串と平丸は歩きながら食える」

 博之は、今度は長い棒と平たい丸を描いた。

「棒串は半分の長さの串に刺す。平丸は油吸い紙で挟む。どちらも、朱の木印を押した油吸い紙で渡す」

「丸に井戸の井ですね」

「そうや。伊勢松阪屋の印や。紙を持って歩いてくれたら、それだけで周りが見る」

 お花が頷いた。

「棒串は食べ歩きに強いですね。平丸は手で持ちやすく、女衆や子どもにもよさそうです」

「そこや。鮪は座らせる。すり身は歩かせる。内宮の端で、印つきの紙を持った客がうろうろしたら、

 それが宣伝になる」

 古参の一人が言った。

「旦那の食に関する感覚は、けっこう当たりますからね」

「けっこうってなんや」

「かなり当たります」

「よろしい」

 博之は少しだけ笑った。

「で、仕込みは松坂港でやる。練ったものを持っていく。当日、半分の長さの串に刺して揚げる。

 平丸もその場で揚げる。できるだけ揚げたてを出す」

「内宮の現場で全部練るわけではないんですね」

「無理や。初回やぞ。大きさも、厚みも、火の通りも、まだ誰も分かってへん。

 最初は松坂港で整えて持っていく。現場では最後の仕上げや」

 ヨイチが帳面に書き込む。

「内宮販売分、合計五十個。棒串二十五、平丸二十五。普通、しそ、ごぼう、しょうがは八十文。

 タコ足入り、イカ足入りは百文。鮪の煮込みも百文」

「そうや」

「買い付け方の者には?」

「悪いけど、今回は自腹で買ってもらう」

 お花が少し驚いた。

「自腹ですか」

「そうや。これは仕事でもあるけど、客としての感覚も知りたい。係に選ばれてるんやから、

 大きい役目やと思って、個人的に買って食べてみてくれ、と言う」

「高いか安いかを、自分の財布で感じてもらうわけですね」

「そう。店の金で食うたら分からん。八十文、百文が高いのか、内宮ならまあそんなもんと思うのか。

 それを感じてもらう」

 ヨイチが言った。

「買い付け方には、周りの店でも買い食いさせますか」

「させる」

 博之は即答した。

「うちのものだけ食っても分からん。団子でも茶でも、何でもええ。周りで買い食いして、

 値段と量と客の反応を見てこい」

「調査ですね」

「そうや。内宮の値段感を見てこい。うちの八十文、百文が浮いてるのか、むしろ安いのか、

 それを見ろ」

「買い付け方、かなり重要ですね」

「重要や。今回の買い付け方は、ただ買い物に行くんやない。内宮で飯を売る空気を見に行くんや」

 古参たちは、だんだん表情を引き締めていった。

 ただの出店ではない。

 半月に一度、五十個だけ。

 量は少ない。値段は高い。

 けれど、それが売れれば、伊勢松阪屋のすり身と鮪の値打ちが一段変わる。

 お花が確認する。

「鮪は、小さな器で百文。長椅子に座って食べてもらう」

「うん」

「棒串と平丸は、八十文と百文。朱印の油吸い紙で渡す」

「うん」

「買付方は、自腹で買い、周りでも買い食いし、値段感と客の反応を見る」

「うん」

「売れなければ、次回から十文ずつ下げる」

「そう」

「売り切れたら?」

 博之は少しだけにやりとした。

「その時は、その値段で通るということや」

 ヨイチがため息をついた。

「怖いですね」

「怖い。けど、ここまで来たらもうやるしかない」

 博之はそう言って、少しだけ真面目な顔になった。

「ただし、浮かれるなよ。内宮さんの端でやらせてもらうんや。周りの店に喧嘩を売るな。

 甘味は絶対に出さない。土産物も出さない。鮪とすり身だけや」

「はい」

「印を押した紙も、あくまで伊勢松阪屋の印や。伊勢名物とは言わん。勝手に周りが言うまで待つ」

「はい」

「客が少なかったら、それも記録しろ。売れた順番、迷った味、値段を聞いて顔をしかめた者、

 逆にすぐ買った者、全部や」

「はい」

 ヨイチが帳面を閉じた。

「では、内宮初回の方針はこれで」

「これでいく」

 博之は頷いた。

 その夜、松坂港では仕込みが始まった。

 魚をすり、塩を当て、生姜を混ぜる。

 別の桶にはしそ。

 別の桶には細く切ったごぼう。

 タコ足は茹でて刻み、イカ足も同じように刻む。

 棒串用は細長く。

 平丸用は手のひらで持てるよう、平たく丸く。

 粉は入れすぎない。魚の味が消えないよう、まとまりを助ける程度にする。

 油吸い紙には、丸に井戸の井の朱印が一枚ずつ押された。まだ乾ききらない紙を、

 女衆が丁寧に並べていく。

「これ、内宮さんで使うんですよね」

「ああ。汚すなよ」

「押し損じは?」

「練習用に回せ」

 現場には、いつもと違う緊張があった。

 そして当日の朝が来た。

 まだ薄暗い中、買い付け方の女衆たちは、少し緊張した顔で集まっていた。紋付きの袴を整え、持ち物を確認する。買い付けの銭、自分の小遣い、帳面、筆、油紙の束。

 博之は一人一人を見て言った。

「今日はただの買い付けやない。内宮でうちの飯がどう見えるか、見てこい」

「はい」

「自分の銭で買って食え。高いと思ったら高いと書け。安いと思ったら安いと書け。

 周りの店でも買い食いしてこい」

「はい」

「客の顔を見ろ。どれを選ぶか見ろ。棒を持って歩くか、平丸を選ぶか見ろ。鮪に座るか見ろ」

「はい」

 博之は最後に、少しだけ笑った。

「ほんで、うまかったら、ちゃんとうまそうに食え」

 女衆たちも笑った。

 ヨイチが小声で言う。

「それが一番大事そうですね」

「大事や」

 お花が包みを確認しながら言った。

「では、行きましょうか」

 荷は整った。

 鮪の小鍋。

 小さな器。

 箸。

 長椅子。

 棒串用のすり身。

 平丸用のすり身。

 朱印つきの油吸い紙。

 半月に一度、五十個だけの内宮出し。

 八十文と百文。

 その値が通るかどうか、誰にも分からない。

 だが、博之はもう腹をくくっていた。

「ここで売れたら、変わるぞ」

 そう呟いて、伊勢松阪屋の一行は内宮へ向かった。

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