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長野家の家臣と別れた後、伊勢神宮の出店について考える。詳細詰める。印を大量に作り、店の名物だとブランド化に挑戦する

長野家の家臣と別れたあと、博之は本店へ戻る道すがら、ずっと考え込んでいた。

 津の飯会。

 伊勢城下の飯会。

 そして、内宮の端で半月に一度だけ出す鮪鍋とすり身天。

 どれもまだ小さい。横丁ではない。常設の店でもない。

 けれど、歯車は明らかに変わり始めていた。

「なあ」

 本店に戻るなり、博之はお花とヨイチ、古参の者たちを呼んだ。

「次の内宮さんの飯、ただ出すだけやと弱いな」

「量半分、値段倍で売るんですよね」

「そうや。もっと言えば、三分の一ぐらいの量でも値段倍で通るかもしれん」

 ヨイチが少し顔をしかめる。

「それはさすがに強気では」

「内宮やぞ。値段は通る。けど、ただ高いだけやったらあかん。価値があるように見せなあかん」

「価値ですか」

「印や」

 博之は机を叩いた。

「油吸いの紙に、朱の木印を押す」

「木印?」

「そうや。焼印とは別や。紙に押す印判やな。丸に井戸の井、伊勢松阪屋の印。

 それを朱で押した油吸い紙で、すり身棒串を包む」

 お花が目を細めた。

「包み紙に、伊勢松阪屋の印をつけるわけですね」

「そう。持ち歩きしやすいし、油も吸う。しかも、周りから見ても“あれは伊勢松阪屋の品や”と分かる」

「内宮で食べている人が、その印のついた紙を持つ」

「それや」

 博之は少し興奮していた。

「内宮で出すから、ちょっと格好つけたいというのもある。けど、それだけやない」

「他にも理由が?」

「ある。真似された時や」

 古参の一人が笑った。

「もう真似される前提なんですね」

「されるやろ。だって、すり身を丸めて揚げるだけやと思われるやん」

「いやいや、旦那。それが難しいんですよ。魚の処理も、味の加減も、油の温度もありますし」

「そこは分かっとる。分かっとるけど、外から見たら、魚をすりつぶして団子にして

 揚げただけに見えるんや」

 博之は少し真面目な顔になった。

「だから怖い。似たようなものが出てきて、まずかった時に、“すり身天ってまずいな”

 と思われるのが嫌なんや」

 ヨイチが頷いた。

「うちの商品と、よその出来の悪いものが一緒にされるのは困りますね」

「そう。鮪も同じや。下処理を間違えたら臭みが出る。血抜きも甘い、

 生姜も足らん、煮込みも足らん。そんなもん食って、“鮪鍋はまずい”と思われたらたまらん」

「だから、うちの印がいる」

「そうや。これは伊勢松阪屋の飯です、という印や」

 お花は静かに納得したように頷いた。

「看板ですね」

「看板や。のれん分けにも近い」

 博之はさらに続けた。

「辞めた者でも、古参でちゃんとこの料理を作れる者には、木の印判と朱を渡してもええと思ってる」

「印判まで渡すんですか」

「全員には渡さん。ちゃんと作れる者だけや。勝手に伊勢松阪屋を名乗られても困る。

 でも、うちで仕込まれて、ちゃんと味を守れる者なら、元祖はうちらやという形で広げてもええ」

 ヨイチが帳面に書きながら言う。

「つまり、印判を持つ者は、伊勢松阪屋の味を許された者、という扱いですね」

「そうや。焼印よりは小さい。でも、紙に押せる。品につけられる。持ち帰りにも使える」

「親子丼や焼き飯にも使いたいと?」

「使いたい。親子丼は器に紙を添えるとか、持ち帰りの飯玉に押すとか考えられる。

 焼き飯も、竹べらを包む紙や、持ち帰りの包みに押せる」

「味噌団子は?」

「味噌団子は違うかな。あれは誰でも作れるし、うちが考えたものとは言いにくい」

 お花が少し笑う。

「旦那様の中で線引きがあるのですね」

「ある。わしが考えた飯、うちで育てた飯、それを雑に真似されてまずいと言われるのが嫌なんや」

 古参たちが笑った。

「旦那、飯のことになると本当に細かいですね」

「飯屋やからな」

「最近それで全部押し切りますね」

「便利やねん」

 博之はお花に向き直った。

「とりあえず、見積もりを取ってくれ。大きめの焼印、丸に井戸の井。それと、朱で押す木印を

 二百個。油吸い用のちり紙を千枚、先に買ってこい」

「二百個ですか」

「最初は各拠点にばらまく。内宮、伊勢港、松坂港、本店、街道沿い、買い付け方。予備もいる」

「かなりかかりますよ」

「いくらぐらいや」

「焼印と木印と紙と朱で、三万文は超えると思います。下手したら四万文近く」

「ええ。それでいこう」

 ヨイチが眉を上げた。

「即決ですか」

「これは飯の道具やなくて、看板や。内宮で売るものに印をつけるんやぞ。数万文で済むなら安い」

「また金を使う理由ができましたね」

「必要経費や」

 お花が少し考えて言った。

「先に作れた分は、次の津の飯会と内宮のお披露目に使いましょう」

「そうやな」

「津の港で出す鮪とすり身天にも、印つきの紙を使えば、“内宮でも出す伊勢松阪屋の品”という

 見え方になります」

「それがええ」

「ただ、まだ“伊勢名物”とは書かない方がいいですね」

「書かん。印だけや。伊勢松阪屋の丸に井戸の井。それだけでええ」

 ヨイチが頷く。

「周りに言わせるんですね。“伊勢で売ってるあれ”と」

「そうや。こっちから名物ですとは言わん。見た人が勝手に言う」

「相変わらず、変なところが商売上手ですね」

「変なところ言うな」

 話はさらに細かくなった。

 すり身棒串は、油吸い紙で巻く。

 紙には朱の木印を押す。

 鮪鍋は持ち歩きにくいので、器に添える紙か、箸袋に押す。

 焼き飯は竹べらを包む紙に押す。

 親子丼は持ち帰りの包みや、器に敷く紙に押す。

 味噌団子には原則使わない。

「焼き味噌はどうしましょう」

 古参の一人が聞く。

「焼き味噌は……難しいな。紙に包むなら押せるけど、無理にやらんでええ。とりあえず、

 ちり紙に印を押すところからや」

「分かりました」

「あと、印を雑に押すなよ。にじんだり歪んだりしたら格好悪い」

「印押し係も必要ですね」

「そうやな。器用な女衆にやらせよう。買い付け方の子らにも練習させる」

 お花が微笑んだ。

「印を押すだけでも、少し誇らしい仕事になりそうですね」

「ええやん。伊勢松阪屋の印やからな」

 博之は少し満足そうに頷いた。

 古参たちも、最初は「また変なことを」と思っていたが、話を聞くうちに納得し始めていた。

 印は見栄ではない。

 偽物避けでもある。

 のれんでもある。

 飯の信用でもある。

 そして、伊勢で売った事実を、松坂や津へ持ち帰るための印でもある。

「じゃあ、作りましょうか」

 お花が言った。

「かなりかかりますけど、今なら大丈夫でしょう」

「大丈夫か?」

 博之が聞くと、ヨイチがため息をついた。

「大丈夫です。むしろ、内宮で売るなら作らない方が怖いです」

「そうやろ」

「はい。悔しいですが、これは必要です」

 博之は笑った。

「ほな、丸に井戸の井の木印、二百。油吸い紙、千。朱も多め。焼印は大きめを一本。

 できた分から内宮と津に回す」

「承知しました」

 こうして、伊勢松阪屋は味だけでなく、印を持ち始めた。

 丸に井戸の井。

 その小さな朱の印が、油吸いの紙に押され、すり身棒串を包む。

 内宮の端でそれを手にした者が、松坂で、津で、伊勢港で同じ印を見つける。

「ああ、あの時のやつや」

 そう思わせるための仕掛けだった。

 博之は最後に、にやりと笑って言った。

「中身は飯や。けど、印がついたら看板になる」

 ヨイチがすぐに返す。

「また金が増える匂いがします」

「それは次の帳簿で考える」

「また逃げましたね」

「今は印や」

 座敷に笑いが広がった。

 伊勢松阪屋の飯は、いよいよ味だけでなく、印でも広がろうとしていた。

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