九鬼水軍に津の飯会の話を通しに行く。長野家の家臣と博之。
津の飯会の筋を通すため、博之は長野家の家臣を連れて九鬼方の屋形へ向かった。
手には一万文の包み。もちろん、飯もある。混ぜ飯の握り、すり身天、鮪の煮込みを少し。
九鬼方へ話を持っていく以上、港飯の味を持たずに行くわけにはいかなかった。
屋形に通されると、九鬼方の家臣は、博之の隣に立つ長野家の家臣を見て、すぐに目を細めた。
「おう、松坂屋。今度は長野の家臣まで連れてきたんか」
「はい。本日は津の飯会の件で、筋を通しに参りました」
「津か。ついに北畠から長野の方まで行くんやな」
博之は苦笑して頭を下げた。
「いきなり横丁を出すわけではございません。まずは飯会でございます」
横で長野家の家臣も深く頭を下げた。
「先立って、当家より伊勢松坂屋殿へお話を差し上げたのですが、こちらの文言が少々軽く、
不躾でございまして、一度お断りを受けました」
「断られたんかい」
九鬼方の家臣は、思わず笑った。
「はい。その後、改めてお話をさせていただき、北畠方にも伊勢松坂屋殿と共に筋を通して参りました。
今回は津の港町で飯会をするにあたり、九鬼水軍様のお力添えが必要となりますので、
ご挨拶に参りました」
「なるほどな」
博之が一万文の包みを差し出す。
「こちら、本日のご挨拶でございます。津の港で、鮪の煮込みとすり身天を出す飯会を考えております。
材料や人を船で運んでいただきたく、都度五千文を運賃としてお支払いする話で、
長野家とも話をしております」
「長野も払うんか」
「はい。運賃五千文のうち、半分を長野家に持っていただく形でございます」
九鬼方の家臣は、少し面白そうに長野家の家臣を見た。
「よう話が通ったな」
長野家の家臣は、苦笑を隠せなかった。
「正直、少し揉めました。当初、うちの殿が船代の折半を渋りまして」
九鬼方の家臣は、そこでまた笑った。
「そこを渋るんか」
「はい。飯屋が売るのだから飯屋が払えばよい、という考えでございました」
「まだ甘いな」
九鬼方の家臣は、笑いながらもどこか真面目な目になった。
「海の飯を分かっとらん。松坂屋がやってる鮪やすり身の飯は、ただの飯やない。
値のつかんもんに値をつける話や。港からしたら、かなりでかい」
「私も、そう見ております」
長野家の家臣が深く頷いた。
「特に津の港にも、値のつきにくい魚や部位がございます。それを飯にできれば、
港に銭が落ちる可能性があります」
「その通りや」
九鬼方の家臣は、博之の持ってきたすり身天を手に取った。
「これが松坂と伊勢で評判になっとるやつやろ」
「はい。小魚やあら身をすり、香りをつけて揚げたものです」
「うまいからな、これは」
ひと口食べて、家臣は頷いた。
「聞くところによると、内宮さんでも出すらしいな」
博之の顔が少し引きつった。
「もうその話、届いておりますか」
「届くわ。半月に一回、量半分で値段倍やろ」
「はい」
「それでも売れるやろうな」
「まだ分かりません」
「いや、売れる」
九鬼方の家臣はあっさり言った。
「内宮で売れたら、港の魚の価値も上がる。鮪も、すり身も、今までの値では済まんようになる」
長野家の家臣は、その言葉を真剣に聞いていた。
九鬼方の家臣は続ける。
「だから、津で飯会をやるのは悪くない。むしろ、早めに味を知らせた方がええ。
いきなり横丁ではなく飯会というのも筋がいい」
「ありがとうございます」
博之が頭を下げる。
「ただし、海は甘くないぞ」
「はい」
「船を出すにしても、毎度毎度、その日に必ず行けるとは限らん。海が荒れれば足止めや。
人も荷も止まる。食材が傷むかもしれん。客を待たせるかもしれん」
「そこが怖いところでございます」
「運賃五千文だけで済む話やない。足止めになった時の宿泊代、荷が傷んだ時の損、
船を戻す日取り、漁師衆の手間賃。その辺も詰めなあかん」
長野家の家臣は、思わずため息を漏らした。
「こういう話を、うちの殿に本当に聞いていただきたいです」
「聞かんのか」
「聞かぬというより、そこまで話が届きません。どうしても“飯屋が来るか来ないか”
というところで止まってしまいます」
九鬼方の家臣は苦笑した。
「坊ちゃん気質が抜けてへんのか」
長野家の家臣は、否定も肯定もしづらそうに頭を下げた。
「当家は北畠様ほど大きくもなく、勢いもそこまであるわけではございません。
だからこそ、こういう機会をうまく掴みたいのですが……」
「上が分かってくれんと、下はしんどいな」
「はい」
その一言に、部屋の空気が少し緩んだ。
博之が口を挟む。
「九鬼様としては、津の港飯会に船を出していただくことは可能でしょうか」
「運賃を払うなら、話は通す」
「ありがとうございます」
「ただし、津の港の顔役や寺社の筋は長野がきちんと通せ。うちは船を出す。海のことは見る。
けど、津の地面の話までは知らん」
「そこは当家で責任を持ちます」
長野家の家臣がすぐに答えた。
「港の寺、神社、顔役への話は、こちらで通します。飯会の場も整えます」
「よし」
九鬼方の家臣は頷いた。
「あと、松坂屋」
「はい」
「お前、これをやるなら、そのうち鳥羽や志摩、賢島の方でも同じことを頼まれるぞ」
博之は苦笑した。
「その話は、少し怖いです」
「怖いどころやない。すり身天が高く売れると分かったら、島の連中は“
その店だけでも出せ”と言うてくる」
「やはりそう見ますか」
「見る。魚はある。余りもある。だが、それを飯にして高く売るやつが少ない。
お前のやり方は港向きや」
九鬼方の家臣は、さらに言った。
「なんなら、うちとしても、鳥羽や志摩の方で飯会をやってほしいぐらいや」
ヨイチが横で小さく咳払いした。
博之は慌てて手を振る。
「いやいや、今は伊勢と津で手いっぱいでございます」
「分かっとる。すぐとは言わん。けど、先々な」
「先々なら……」
お花が横から静かに言った。
「旦那様、その“先々”が近くなりすぎるので、お気をつけください」
「分かっとる」
九鬼方の家臣は笑った。
「まあ、北畠様にもまた怒られるやろうしな」
「それが一番怖いです」
「なら、こうしろ。北畠様の筋を立てたいなら、北畠領内の品も一緒に買え。
松坂の漬物、味噌だれ、菜種油、布、そういうものを船で運ぶついでに扱えばええ。
うちも荷を運ぶだけなら協力する」
「話が大きくなってきましたね」
「大きい話やぞ。港飯は、飯だけやない。物資の流れを作る話や」
長野家の家臣は、その言葉に深く頷いた。
「本当に、その通りだと思います。そこまで見て話を進めなければならないのに、
うちはまだ入口でつまずいておりました」
「まあ、つまずいたからここに来たんやろ」
九鬼方の家臣は、からっと笑った。
「それなら、まだええ。話をしに来たなら、直せる」
博之は改めて頭を下げた。
「では、津の港飯会について、九鬼様には船の協力をお願いできる、ということでよろしいでしょうか」
「よい。ただし、日取りは余裕を持て。荒天時の予備日を作れ。宿泊が出た時の費用も決めとけ。
荷が傷んだ時の負担も、事前に話し合え」
「はい」
「それと、鮪とすり身の材料は、津の港のものを優先して使え。全部松坂や伊勢から持っていったら、
津でやる意味が薄れる」
「それも承知しております」
長野家の家臣がすぐに言った。
「津の漁師衆と話をつけ、使える魚や部位を用意させます
「よし」
九鬼方の家臣は満足そうに頷いた。
「取引として、しといて損はない。津も、松坂屋も、うちも、みんな少しずつ利がある」
「ありがたいお言葉でございます」
長野家の家臣は、心底ほっとしたように頭を下げた。
帰り際、九鬼方の家臣は博之に向かって言った。
「しかし、お前は本当に妙なところを押さえていくな」
「私は飯を作っているだけでございます」
「飯だけでここまで来るか」
「飯が強いので」
「それは認める」
場に笑いが起きた。
長野家の家臣も、少し肩の力が抜けた顔をしていた。
「今日は本当に来てよかったです」
「話が通ってよかったですね」
博之が言うと、家臣は苦笑した。
「正直、伊勢松坂屋殿より、うちの殿の方が説得が難しいです」
「それは言わん方がええです」
「ここだけにしておきます」
こうして、津の港飯会はさらに一歩、現実に近づいた。
長野家が地面の筋を通す。
九鬼水軍が船を出す。
伊勢松坂屋が飯を作る。
松坂と伊勢の顔も立てる。
ただの飯会のはずが、いつの間にか港と領主と水軍をつなぐ話になっている。
博之は帰り道、ぽつりと呟いた。
「ほんま、飯会するだけで大ごとやな」
長野家の家臣が、少し笑って返した。
「ですが、きっと津には必要な大ごとです」
博之は海の方を見ながら頷いた。
「ほな、ちゃんと飯にせなあかんな」
鮪とすり身天。
その二つの飯が、今度は津の港で試されようとしていた。




