帳簿は今期と来期見ない。現実逃避www伊勢内宮での簡易出店がすべてを変えるwww
内宮の端で、半月に一度だけ鮪鍋とすり身天を出せる。
その話が決まってから、博之は本店の奥座敷で古参たちを集めた。いつものように布団と枕を持ち込み、麦茶をすすりながらである。
「とりあえず、次の方針を決めよう」
ヨイチが帳面を抱えて座る。
「その前に、旦那様。帳簿はどうされるんですか」
「今回と来期は見ん」
「見ないんですか」
「ちゃんとつけとけ。けど、わしは見ん」
「それ、ただの逃げでは」
「逃げや。サボりや。認める」
古参たちが少し笑った。
ヨイチは呆れ顔で言う。
「サボりを認めるんですね」
「認める。だって怖いやろ」
「見ない方が怖いと思いますけど」
「もう十分怖いわ」
博之は枕を抱えて、天井を見た。
「次は内宮さんに出す。そこで歯車が大きく変わるかもしれん」
その言葉に、座敷の空気が少し引き締まった。
「うまくいくかどうかは分からん。けど、仮に五十口が全部売り切れたら、どうなると思う」
ヨイチが小さく答える。
「量半分、値段倍で売れる実績になります」
「そうや」
博之は起き上がった。
「つまり、同じ量を作った時の売上が跳ねる。魚のすり身と鮪の煮込みが、内宮の端で
その値段で通る。そうなったら、港町の値段が四倍になるとは言わん。でも、
三倍ぐらいの価値になる可能性はある」
「売上単価と量の切り方の掛け算ですね」
「そう。怖いやろ」
「怖いというか、儲かりますね」
「それが怖いんや」
お花が静かに言った。
「だから帳簿を見たくないのですね」
「見たら頭が痛なる」
博之は深く息を吐いた。
「まず、あちこちに筋を通さなあかん。ただし、津方面はわしは行かれへん。まだ飯会の段階や。
そっちは古参で行ってくれ」
「津の郊外と港の飯会ですね」
「そうや。郊外は寺で半月に一回。港は神社と寺で半月に二回。先着五十人無料、
その後販売。港の船代は長野方にも半分持ってもらう。そこは、わしが出張るほどではまだない」
「分かりました」
「九鬼様のところには、わしが行く。津港の飯会で船を使う話もあるし、
内宮で鮪とすり身を出す話も、九鬼様の顔を立てなあかん」
「港飯の元ですからね」
「そうや。勝手に内宮で売ってると思われたらまずい。九鬼様のおかげで、
港飯が育っております、という形にする」
ヨイチが帳面に書き込む。
「次の伊勢便は、旦那も行くのですね」
「行く。初めて内宮さんで鮪鍋とすり身天を出す日や。これは一回見に行く」
「食べるんですか」
「食う。客の顔を見る。買い付け方の女衆がどう動くかも見る。周りの店の空気も見る。
内宮の端で、うちの飯がどう見えるか知りたい」
お花が頷いた。
「それは必要ですね」
「ただし、派手にはせん。寄進はせん。いや、内宮さんへの礼は最低限やるけど、
あちこちに銭を撒くのは今回はしない」
「珍しいですね」
「怒られたからな」
いつもの言葉に少し笑いが起きる。
「松坂に関しては、今まで通りや。炊き出し、交流会、購買棚、布団、傘、焼き飯。大きくは変えん」
「伊勢は?」
「伊勢は、郊外と城下町をちらっと見る。伊勢城下の端で横丁をやる話は来てる。
ただ、すぐ横丁とは言わん」
「飯会からですか」
「そうや。伊勢城下でも、寺と神社に五千文ずつ渡して、
半月に二回ぐらい飯会をしてもええかもしれん。津と同じやな。先着五十人無料、
その後販売。混ぜ飯、焼き飯、すり身天、田楽ぐらいで顔をつなぐ」
「横丁の前段階ですね」
「うん。顔つなぎや。いきなり店を出すより、飯会で空気を見る」
博之は皆を見回した。
「とにかく、認識を合わせといてくれ」
古参たちは姿勢を正した。
「まず、内宮さんの出店は半月に一回。量半分、値段倍。品は鮪鍋とすり身天だけ。
麦茶は添える程度。甘味や土産は絶対に出さない」
「はい」
「買い付け方の者は、そこで飯を食う。味見役、呼び水、客の反応を見る役や。
うまそうに食え。ただし、騒ぎすぎるな」
「はい」
「この半月を二回、つまり一月分やって、もし完売が続くなら、内宮の端で名物飯として
扱われる可能性が出てくる」
部屋が少しざわついた。
「下手したら、本当に内宮の端に小さな店を持つ話になるかもしれん」
ヨイチが低い声で言う。
「そこまで来ましたか」
「来てしまったかもしれん。だからこそ、変な動きはするな」
博之の声は真面目だった。
「うちはもう十分目立ってる。松坂でも、伊勢でも、九鬼でも、長野でも、話が回ってる。
布団二百組買っただけで噂になる店や。内宮で飯を出したら、もっと噂になる」
「はい」
「値上げも慎重にやる。港や松坂で、いきなり全部を上げるな。通常品と、
内宮向けの小ぶり高級品を分ける。客に選ばせる。安売りもしない。ぼったくりもしない」
「はい」
「寺社と町の顔役には、必要な時に必要なだけ頭を下げる。銭を撒けばええという話ではない。
飯を出して、顔をつないで、相手にも利を作る」
「はい」
博之はそこで少し力を抜いた。
「……ということを、わし自身にも言い聞かせてる」
お花がくすりと笑った。
「旦那様が一番、変な動きをしそうですからね」
ヨイチも続ける。
「旦那が一番目立ってますし」
「それも困るな」
「それは仕方ありません」
「なんでや」
「旦那が全部思いつくからです」
「わしは飯のこと考えてるだけや」
「その飯が、内宮まで行くんです」
座敷に笑いが広がった。
博之は少し照れたように麦茶を飲み、最後にぽつりと言った。
「まあ、とにかく静かにやるぞ」
ヨイチが即座に返す。
「内宮で鮪鍋を出して静かに済むとは思えませんが」
「そこは気持ちや」
「気持ちだけですね」
「うるさい」
それでも、方針は決まった。
帳簿は見ない。だが、つける。
津は飯会で古参に任せる。
九鬼には博之が筋を通す。
内宮の初回は博之が見る。
伊勢城下は横丁ではなく飯会から。
松坂は大きく変えない。
そして、内宮出店は絶対に浮かれすぎない。
内宮の端に立つ半月に一度の小さな飯。
それは、伊勢松坂屋にとって、次の歯車が噛み合う音になるかもしれなかった。




