3月下旬。伊勢の内宮から手紙が来る。売る商品の量は半分、価格は二倍なら半月に1回見せだしていいよwww
ある日の昼過ぎ、伊勢便の帳面を見ていたところへ、使いの者が駆け込んできた。
「旦那様、内宮さんの方からお手紙でございます」
博之は、持っていた麦茶を吹きそうになった。
「内宮さんから手紙って、どういうことやねん」
ヨイチも顔をしかめる。
「普通、飯屋に内宮さんから文は来ませんね」
「飯屋やぞ、うちは」
「最近、旦那様がそう言うほど、説得力が薄れております」
「うるさい」
お花が文を受け取り、丁寧に広げた。
中身は、思ったよりも穏やかなものだった。
伊勢松坂屋の買い付け方が、半月に一度、内宮周辺でまとまった買い物をしてくれていること。
地元の店にも銭が落ちており、ありがたいと思っていること。加えて、最近、
伊勢港で評判になっている鮪の煮物と魚のすり身天については、内宮周辺の既存の団子屋、
茶屋、土産物屋とは競合しにくいこと。
そのため、半月に一回であれば、簡易の出店を認めてもよい。
ただし、条件があった。
「量は、港や郊外で出している半分程度に抑えること。値段は、内宮周辺の相場に合わせ、
倍程度で出すこと。場所は端の方。常設ではなく、その日だけの扱い」
読み終えた瞬間、ヨイチは露骨に眉を寄せた。
「これは……ちょっと舐められてますね」
お花も難しい顔をする。
「量は半分、値段は倍。つまり、こちらが売りにくい形で様子を見る、ということですね」
「しかも半月に一回だけやろ」
「はい」
「内宮さんの方からすれば、伊勢松坂屋がどれだけ売れるか試しつつ、
既存の店には迷惑をかけない形にしたいのでしょうけど……」
「うちにとっては、かなり条件が悪いです」
ヨイチがそう言うと、普通なら博之も頭を抱えるところだった。
しかし、博之は違った。
にやにや笑っていた。
「旦那?」
「いやあ、内宮さん、うちのこと舐め切ってくれてるなあ」
「笑うところですか」
「笑うところやろ」
博之は文を受け取り、もう一度読み返した。
「まず、買付けの意味があった。半月に一回、何万文も買ってたから、
伊勢松坂屋は銭を落とす得意先やと思ってもらえた。これは大きい」
「それはそうですが」
「内宮の端で出せるなんて、年単位で無理やと思ってたんやぞ。それを向こうから、
半月に一回ならええぞと言うてきた。これだけで十分や」
ヨイチはまだ渋い顔をしている。
「ですが、量は半分、値段は倍です」
「そこがええねん」
「ええ?」
「考えてみい。うちの買付方は、半月に一回、内宮へ行くんやぞ」
「あ」
お花が先に気づいた。
「買い付け方の者たちが、その日に必ずそこへ行く」
「そうや」
博之は楽しそうに言った。
「買い付け方に選ばれた女衆十人、護衛や帳面役を含めても十人前後は必ず行く。
そいつらに、鮪鍋とすり身天をそこで食わせる」
「つまり、最初から十人分の客がいる」
「そうや。しかも紋付き袴を着た伊勢松坂屋の者が、十人並んで飯を食う」
ヨイチの顔つきが変わった。
「……呼び水になりますね」
「なるやろ」
「客が一人もいない飯屋より、すでに人が食べている飯屋の方が、参拝客は寄りやすいです」
「しかも、うちの女衆や。買い付け方に選ばれるぐらいやから、見た目も所作もそこそこ整えてる。
内宮の端で、紋付き袴の女衆が鮪鍋を食って、すり身天を食って、うまい言うてる」
「……たしかに、気になりますね」
「気になるやろ」
博之は指を折る。
「量が半分ということは、普段百口出せるところを五十口や。値段は倍。
つまり、五十口売れたら、売上は百口分と同じや」
「原価は五十口分」
「そうや。しかも、最初の十口はうちの買い付け方が食う。これは必要経費やと思えばええ」
「実質、残り四十口を売ればよい」
「そういうことや」
ヨイチが帳面を引き寄せる。
「旦那、内宮側は読み間違えていますね」
「たぶんな」
「量を半分にして縛ったつもりでも、値段倍を認めた時点で、売上はかなり立つ可能性があります」
「しかも内宮値段や。参拝客は財布の紐がちょっと緩い」
お花が静かに言った。
「ただし、品は絞った方がよいですね」
「もちろんや」
博之は頷く。
「鮪鍋とすり身天だけ。そこに麦茶を置く」
「麦茶もですか」
「置く。暑い日もあるし、歩き疲れてるやろ。飯を食うなら茶がいる。麦茶ならうちらでも作れる。
お茶屋とぶつかりすぎないように、あくまで飯につける形や」
「簡易の腰掛けも?」
「その日だけの腰掛けを置く。長居はさせん。食って、茶飲んで、すぐ流れる形や」
ヨイチが頷いた。
「常設ではなく、半月に一回の市のような扱いにするわけですね」
「そう。内宮さんの顔も立つ。既存の店にも“常に客を奪うわけではありません”と言える」
「でも、半月に一回の名物になる可能性があります」
「そこや」
博之はにやりと笑った。
「半月に一回しか出ない。しかも五十口しかない。そうなったら、逆に希少になる」
「旦那、悪い顔してますよ」
「悪くない。飯屋の顔や」
「だいぶ悪いです」
お花も少し笑った。
「買い付け方の者たちは喜ぶでしょうね。内宮で買い物をして、
さらに鮪鍋とすり身天を食べられるのですから」
「ご褒美にもなる」
「ただ、必ずそこで食えというのは、少し露骨では」
「そこは言い方や」
博之は得意げに言った。
「買い付け方の者は、内宮出店の味見役を兼ねる。食べた感想を帳面に残せ。客の反応も見ろ。
そう言えば仕事になる」
「なるほど」
「で、食ったらちゃんと“うまい”と言え」
「それは仕込みでは」
「本当にうまいからええやろ」
ヨイチが苦笑した。
「まあ、鮪鍋もすり身天も実際うまいですからね」
「せやろ」
博之は文を畳み、少し真面目な顔になった。
「ただし、調子に乗ったらあかん。内宮さんから出された条件は飲む。量は半分。値段は倍。
場所は端。半月に一回。常設にはしない」
「はい」
「売れたから増やしたいとは、しばらく言わん」
「本当ですか」
「……しばらくは言わん」
「しばらく、ですね」
「そこはええやろ」
お花が言った。
「お礼も必要ですね」
「もちろんや。次の買い付け方で、いつも通り買い物はする。加えて、内宮さんへお礼の寄進も少し。
あまり派手にしすぎず、五千文ぐらいか」
「それなら、筋は通ります」
「それと、既存の店にも配慮や。団子屋、茶屋、土産物屋とぶつからないよう、
鮪鍋とすり身天以外は出さない。甘味は絶対出さん」
「そこは大事です」
「飯を食って、麦茶を飲むだけ。土産や甘味は周りで買ってください、と言う」
「むしろ周りに客を流すのですね」
「そうや。うちで全部取ると嫌われる。食った後に甘いものが欲しくなったら、周りの店に行けばええ」
ヨイチが感心したように言った。
「今回は、だいぶ周囲を見ていますね」
「怒られたからな」
「便利な言葉です」
博之は返書を書かせることにした。
文面は丁寧に。
半月に一度、端の方で出させていただけることへの礼。
量は半分、値段は内宮周辺に合わせることを承知した旨。
品は鮪鍋とすり身天に限ること。
既存の店と競合しないよう、甘味や土産物は扱わないこと。
当日は買い付け方の者が味見と手伝いを兼ねること。
麦茶は飯に添える程度にすること。
ヨイチが文をしたためる横で、博之はずっとにやにやしていた。
「旦那、本当に嬉しそうですね」
「嬉しいに決まってるやろ。内宮の端やぞ」
「条件は悪いのに」
「条件が悪いと思ってるのは向こうや。うちにとっては、道が開いたことの方が大きい」
お花が静かに頷いた。
「年単位で無理だと思っていた場所に、半月に一度でも立てるのですからね」
「そうや。内宮の客に、うちの鮪鍋とすり身天を一口でも食わせられる。それだけで十分や」
「そして買い付け方が呼び水になる」
「そう。紋付き袴の者が十人、うまそうに食う。そこに参拝客が寄る」
ヨイチがぽつりと言った。
「なんか、うまくいく変な匂いがしますね」
「するやろ」
「内宮さん、読み間違えています」
「舐めてくれてありがたいな」
「言い方が悪いです」
「心の中だけや」
博之は麦茶を飲み干し、少しだけ遠くを見るような目をした。
「松坂の郊外で豚汁出してた時には、内宮の端で飯出すなんて夢にも思わんかったな」
「まだ半月に一回です」
「十分や」
「五十口です」
「十分や」
「値段倍です」
「最高や」
その答えに、座敷に笑いが起きた。
こうして、伊勢松坂屋はついに、内宮の端へ半月に一度だけ立つことになった。
鮪鍋とすり身天。
麦茶を少し。
簡易の腰掛け。
買い付け方の女衆十人を呼び水にして。
量は半分。
値段は倍。
けれど、道は開いた。
博之は返書が乾くのを待ちながら、楽しそうに呟いた。
「半月に一回の幻の鮪鍋やな」
ヨイチがすかさず返す。
「また名前をつけて売る気ですね」
「飯屋やからな」
お花が笑った。
「これは、また帳簿が怖くなりそうですね」
博之は一瞬だけ顔をしかめ、それからまたにやりと笑った。
「まあ、それは次の帳簿で頭抱えたらええわ」
内宮の端。
そこに、伊勢松坂屋の小さな旗が立つ日が近づいていた。




