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津の長野様の件がひと段落したが博之が妙なことを考える。従業員向けに購買部を作ろう。各拠点に棚を作る。維持費に1万文

津の話をいったん保留にしたことで、博之は少し落ち着いた。

 ……はずだった。

 だが、落ち着いたら落ち着いたで、また別のことを考え始めるのが博之である。

 本店の奥で、布団に転がりながら、麦茶をすすっていた博之は、ふと顔を上げた。

「なあ、拠点ごとに一つ、店棚を置くのはどうや」

 ヨイチが嫌な予感を覚えた顔をした。

「店棚、ですか」

「そうや。松坂定期便と伊勢定期便で買ってきたものを、各拠点に置く」

「従業員向けの商品ですね」

「基本はな」

 博之は起き上がって、枕を抱えたまま話し始めた。

「今、伊勢便で内宮近くの小物を買ってきて、松坂の者に一・五倍で売ってるやろ。

 髪紐、香袋、櫛、手ぬぐい、洗い粉、髪油、そういうやつ」

「はい」

「松坂便では、布団、草履、手ぬぐい、雨拭き布、針糸、帳面道具、作業着なんかを買ってる」

「はい」

「それを、いちいち本店だけで売るんやなくて、拠点ごとに置いたらどうかと思ってな」

 お花が少し考える顔をした。

「拠点ごとの購買棚、ということですか」

「そうそう。それや」

 博之は嬉しそうに頷いた。

「従業員向けに置く。けど、近所の人が欲しい言うなら売ってもええ」

「外の人にも売るのですか」

「売る。ただし値段は一・五倍や。安売りはせえへん。うちは便利賃込みで売る」

 ヨイチがすぐに帳面を引き寄せる。

「旦那、それはまた商売になりますよ」

「商売にするつもりはないんやけどな」

「旦那がそう言う時は、だいたい儲かります」

「嫌な言い方すんな」

「事実です」

 博之は苦笑しながら続けた。

「でも考えてみい。うちの従業員は、みんなが予約制で買ってるわけじゃない。伊勢便の商品も、

 どれがどれだけ売れるか、まだ読みきれてない」

「確かに、髪紐や香袋はかなり売れましたけど、売れ筋は毎回変わりますね」

「そうやろ。それなら、各拠点に少し置いておいて、欲しい時に買える方がええ」

 お花が頷いた。

「常設であると買いやすいです。青空市のようにその日だけだと、買い逃す者も出ます」

「そうやねん」

「それに、在庫も管理しやすくなります。拠点ごとに棚を作って、誰が何を買ったか帳面に

 つければよいので」

 ヨイチがすぐ反応した。

「また帳面が増えます」

「それはお前が頑張れ」

「でしょうね」

 博之はさらに話を広げる。

「しかも、従業員だけやない。拠点の近くに住んでる人も、松坂の町や伊勢の町まで買いに

 行けるとは限らんやろ」

「農作業や漁の仕事をしている者は、そう簡単には行けませんね」

「そう。休みがあるわけでもない。町まで出る手間もある。なら、うちの横丁に小物や

 日用品が置いてあったら、ついでに買うかもしれん」

「飯を食べに来たついでに、手ぬぐいや草履を買う」

「雨の日なら傘や雨拭き布。湯浴み帰りなら髪油や洗い粉。女衆なら髪紐や香袋。男衆なら

 手ぬぐいや草履」

 お花が少し目を細めた。

「かなり自然ですね」

「やろ」

 ヨイチは帳面に書きながら言った。

「旦那、これは当たる予感がします」

「やっぱり?」

「はい。従業員のため、松坂と伊勢に銭を落とすため、という名目で始めたのに、

 普通に儲かる流れです」

「悪い予感がするわ」

「悪いというより、旦那らしい流れです」

「儲けるつもりないのに、また儲かるやつやな」

「そうです」

 博之は少し頭を抱えた。

「また金が増えたらどうするんや」

「使い道を考えるのでしょう」

「しんどいなあ」

「でもやるんでしょう」

「やる」

 即答だった。

 お花が微笑んだ。

「なら、形を決めましょう」

「うん」

 博之は指を折った。

「まず、今の伊勢便は三万文やったけど、四万文にする。松坂便も三万文ではなく、四万文にする」

「どちらも四万文ですか」

「そうや。伊勢だけ増やすとまた松坂に怒られる。松坂だけ増やすと伊勢に顔が立たん。

 どっちも四万文ずつ」

「分かりやすいですね」

「次の年ぐらいには、五万文、五万文にしてもええ」

「もう来年の話ですか」

「伸びたらや」

 ヨイチがため息をつく。

「伸びる気しかしませんけどね」

「それを言うな」

 博之はさらに続ける。

「商品は順繰りに拠点を回す。本店、松坂郊外、松坂城下、松坂港、街道沿い、伊勢郊外、伊勢港。

 横丁が二つあるところは、店棚は一つでええ」

「拠点に一つですね」

「そう。あとは海道沿いにも少し置く」

「海道沿いにもですか」

「かわいそうやろ。あそこは人も少ないし、町から遠い。けど参拝客や旅人は通る」

 古参の一人が言った。

「最近の旦那のやり方なら、街道沿いも意外と形になりますよ」

「そうか?」

「はい。傘と雨拭き布も売れましたし、焼き飯も売れてます。そこに小物や手ぬぐいが置いてあれば、

 買い忘れの客が買うかもしれません」

 お花も頷いた。

「参拝客は、道中で必要になったものを買います。手ぬぐい、草履、雨具、巾着、髪紐。

 特に帰り道なら、土産を買い忘れた者もいるかもしれません」

「なるほどな」

「伊勢の小物を、松坂へ戻る街道沿いで売るのもありです」

「それはええな。内宮で買い忘れた人向けや」

「ただし、神社のものは扱わない方がよいですね」

「それはやらん。お守りとか札は売らん。うちは小物と日用品や」

 ヨイチが整理する。

「扱うものは、伊勢便が髪紐、香袋、櫛、巾着、手ぬぐい、髪油、洗い粉、小物。

 松坂便が草履、雨拭き布、作業手ぬぐい、針糸、帳面道具、布団、作業着。甘味は予約制」

「そうや。甘味は腐るから常設にはしない」

「月に二回、予約制で甘味便」

「それや。伊勢の甘味、松坂の甘味、蜂蜜饅頭も含めて予約制。売れ残ったら困る」

 お花が言った。

「腐らないものを棚に置くなら、在庫も怖くありません。売れ残っても、次の拠点へ回せます」

「そう。飯と違って腐らへんのがええ」

「ただし、流行りものは古くなるかもしれません」

「そこは買い付け方の目利きやな」

 博之は少し楽しそうになってきた。

「買い付け方に、売れ筋を見せて回る仕事も入れよう。どの拠点で何が売れたか、

 何が残ったか、誰が欲しがったか。全部聞いて回る」

「また帳面ですね」

「帳面は嫌いやけど、大事や」

「珍しく認めましたね」

「最近、帳面がないと怖いことが分かってきた」

 ヨイチは満足げに頷いた。

「成長ですね」

「腹立つ言い方やな」

 古参の女衆が口を開いた。

「店棚を置くなら、女衆が管理した方がよいかもしれません」

「なぜや」

「髪紐や香袋、洗い粉、髪油は、男衆だと説明しにくいです。逆に草履や作業道具は

 男衆も見た方がいい。なので、拠点ごとに男女一人ずつ、棚番を決めた方がよいかと」

「ええな」

 お花も賛成した。

「棚番は、読み書き算術の練習にもなります。売れた数、残った数、値段、予約品。

 それを帳面につける」

「人を育てる仕事にもなるな」

「はい」

 ヨイチがすかさず書き込む。

「拠点ごとに棚番二名。男女一名ずつ。月二回、定期便担当が棚卸し」

「棚卸しまで出てきた」

「必要です」

「商人みたいやな」

「商人です」

「飯屋や」

「はいはい」

 博之は笑いながらも、少し考えた。

「これ、近所の人に売る時はどうする」

「普通に一・五倍でよいと思います」

 お花が言った。

「従業員だけ安くして外の人を高くすると、不満が出ます。同じ値段で、便利賃込みですと

 説明すればよいかと」

「それで高いと言われたら?」

「町まで買いに行けばよろしい、でよいのでは」

 ヨイチが淡々と言った。

「強いな」

「便利な場所に置くのですから、手間賃は当然です」

「確かに」

「それに、安売りすると近くの商人に嫌われます」

「そこ大事やな。安く売らん」

 博之は強く頷いた。

「むしろ、松坂や伊勢の店で定価で買って、うちは一・五倍で売る。町の商人を潰さない。

 うちは便利を売る」

「その言い方、よいですね」

「便利を売る、か」

 お花が微笑む。

「従業員には、仕事帰りに買える便利さ。近所の人には、町まで行かずに買える便利さ。

 旅人には、道中で買える便利さ」

「ええやん」

 博之の顔が明るくなった。

「よし。とりあえずやってみよう」

「初回の予算は、伊勢便四万文、松坂便四万文」

「そうや」

「拠点棚の設置費は?」

「そこもいるな。棚、鍵付きの箱、帳面、油紙、包み紙。各拠点で……」

 ヨイチがすぐ計算する。

「小さく始めるなら、全体で一万文ほど見ておけば」

「ほな一万文」

「即決ですね」

「棚はいる」

「はい」

 お花が言った。

「最初は売れ筋を見るだけでよいと思います。全部の品を置くのではなく、

 各拠点に合うものを少しずつ」

「松坂本店は種類多め。街道沿いは草履、手ぬぐい、雨具、巾着。湯浴み場は洗い粉、髪油、手ぬぐい。 

 港は手ぬぐい、草履、雨具、針糸。伊勢郊外は伊勢小物と旅用品。伊勢港は港向けの日用品」

「かなり形になってきましたね」

「怖いな」

「何がですか」

「当たりそうで怖い」

 ヨイチが苦笑した。

「当たりますよ、これは」

「やっぱり?」

「はい。従業員向けの福利厚生の顔をしながら、普通に購買部になります」

「購買部か」

「飯屋に購買部ができましたね」

「また何屋か分からんようになるな」

 お花が静かに言った。

「でも、飯屋の人を支えるための店棚です。そこを忘れなければよいと思います」

 博之はその言葉に、少し安心したように頷いた。

「そうやな。飯屋の人を支えるため。ついでに町の人も便利になる。松坂にも伊勢にも銭が落ちる」

「それなら、筋は通ります」

「よし」

 博之は麦茶を飲み干した。

「伊勢定期便、松坂定期便。各拠点に店棚。甘味は予約制。値段は一・五倍。安売りなし。

 売れ筋を見て、次を考える」

「また仕事が増えましたね」

「ええ仕事や」

 ヨイチが帳面を閉じる。

「ただ、旦那」

「なんや」

「これ、次の帳簿でまた増えますよ」

 博之は顔をしかめた。

「……それが一番嫌や」

 それでも、やることは決まった。

 伊勢松坂屋は、飯を売るだけでなく、働く者と町の者の生活を少しずつ支える店棚を持ち始める。

 松坂で買い、伊勢で買い、各拠点で売る。

 銭を止めず、町を潰さず、便利を売る。

 それはまた、博之が恐れていた「儲かってしまう仕組み」の匂いがする一手だった。

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