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3月下旬。津の長野側からの手紙を受け取った後北畠側にお伺いを立てる。文面が嫌で一回断りますwww

長野方からの文を受け取った翌日、博之は一万文の包みを用意した。

行き先は、北畠方の屋形である。

 津へ行くかどうかを決める前に、まず筋を通す。勝手に長野方へ返事をして、

 あとで松坂や伊勢の上筋に知られる方が怖い。そう考えたからだった。

 もちろん、飯も持っていく。

 混ぜ飯の握り、焼き飯、すり身天、田楽、野菜天。派手すぎないが、伊勢松坂屋らしい弁当を整え、

 博之はヨイチと古参数名を連れて屋形へ向かった。

 通された部屋で、北畠方の者が博之を見る。

「今度は何や、松坂屋」

「本日は、お伺いしたいことがあり、参りました」

「また伊勢か」

「いえ、今度は津でございます」

 その一言で、相手の眉が少し動いた。

「津?」

「はい。実は、長野様の方から文をいただきました」

 博之は、丁寧に文を差し出した。

「一万文を寄進するなら、津の端で横丁めいた商売をしてもよい、というような内容でございます」

 北畠方の者は文を受け取り、目を通した。

 少しして、口元が緩む。

「ほう」

「はい」

「それで、お前はどうしたい」

 博之は深く頭を下げた。

「正直に申し上げますと、本音では、津に足がかりを作りたい気持ちはございます」

「そらそうやろうな」

「一万文で津の端に出られるのであれば、商いとしては破格でございます。なんなら十万文、

 二十万文を出してでも、将来的には津に足場を作りたいと思っております」

「では、なぜすぐ行かぬ」

 博之は少し間を置いてから言った。

「文面が、嫌でございます」

 部屋が一瞬静まり、次の瞬間、北畠方の者が吹き出した。

「文面が嫌?」

「はい」

「お前、ほんまに正直やな」

「申し訳ございません。ただ、そこは大事だと思っております」

「どこが嫌なのだ」

「金を出すならやらせてやらんこともない、というような扱いに見えました」

 博之は頭を下げたまま続ける。

「私一人が、寝なし草で無一文だった頃なら、喜んでひょいひょい参ったと思います。

 一万文で津に出られるならありがたい話です。ですが、今は違います」

「ほう」

「うちは今、四百人ほどの食い口を抱えております。飯と寝床を用意し、各地に拠点を作り、

 松坂にも伊勢にも銭を落としながら、なんとか筋を通してやっております」

「うむ」

「その私が、最初から“金を出せばやらせてやる”という形で入れば、後々も同じ扱いに

 なるかもしれません」

「足元を見られる、というわけか」

「はい」

 北畠方の者は、文を畳に置き、愉快そうに笑った。

「それで、一万文を長野に持っていく代わりに、こちらへ持ってきたと」

「はい」

「本来なら、津に出るための一万文を、北畠様へのお伺いとして持ってきた」

「その通りでございます」

 北畠方の者は、とうとう大きく笑った。

「なかなか面白い動きをするな。義理も立ててくる」

「勝手に動いて、また怒られるのが怖いというのもございます」

「それも正直やな」

「先だって、伊勢に銭を使いすぎだと怒られましたので」

「それは聞いておる」

 博之は少し顔をしかめた。

「やはり聞いておられますか」

「聞くわ。伊勢で銭を撒き、松坂で布団二百組買った飯屋など、噂にならん方がおかしい」

「お恥ずかしい限りです」

「いや、悪いことではない。松坂に銭を落としたのは確かやからな」

 北畠方の者は少し真面目な顔になった。

「それにしても、長野の方が声をかけてきたか」

「はい」

「まあ、分からん話ではない」

「と申しますと」

「長野は、うちに比べれば勢力が小さい。津で何か商売の種があるなら、

 今の伊勢松坂屋に来てほしいに決まっておる」

 博之は黙って聞いた。

「お前は、松坂と伊勢の筋をかなり押さえ始めておる。九鬼とも仲がよい。松坂、伊勢、港、

 街道をつなぎ、内宮の近くまで買付方を出しておるという噂も、おそらく向こうへ届いている」

「目立ちすぎておりますね」

「目立っておる」

 北畠方の者ははっきり言った。

「だが、揉め事を起こしているわけではない。松坂では普請に飯を出し、寺社に寄進し、

 布団や品物を町から買っている。伊勢でも銭を落とし、港では飯を出し、九鬼にも筋を通している」

「はい」

「そういう相手なら、長野としても仲良くしたい気持ちはあるやろう」

「仲良く、でございますか」

「そうや。先々、津に良いものがあれば買ってくれるかもしれん。津の港で魚が出れば飯に

 してくれるかもしれん。人を雇い、銭を落とし、飯を振る舞うかもしれん。向こうから見ても、

 お前は便利で、怖くて、使いたい相手や」

 博之は苦笑した。

「便利で、怖いですか」

「その通りや」

「褒められている気がしません」

「褒めてもおる」

 部屋に少し笑いが起きる。

 北畠方の者は文を指で叩いた。

「ただし、お前が気に入らぬというのも分かる」

「分かっていただけますか」

「分かる。最初の文面は大事や。向こうから声をかけてきたなら、もう少し筋を見せるべきやな」

「はい」

「場所を用意する。顔役を紹介する。寺社への挨拶をつなぐ。地元の商人や漁師とどう付き合うかを

 示す。そういう話なら、お前も受けやすかったやろう」

「まさに、その通りでございます」

「一万文持ってくるなら端でやらせてやる、では、少し雑やな」

 博之は深く頭を下げた。

「私が一度断るのは、失礼に当たりましょうか」

「断り方次第や」

「どう言うべきでしょうか」

「今は松坂と伊勢の拠点整備で手いっぱいでございます。ありがたいお話ではございますが、

 中途半端に入ってご迷惑をおかけするより、時期を改めてご相談させてください。

 まずは上筋にお伺いを立てております。そう言えばよい」

「文面が嫌です、とは書かない方がよろしいですね」

「当たり前や」

 また笑いが起きた。

 博之は少し照れながら言った。

「私としては、今回これを受けて、北畠様のお耳に入らずに進めて、あとでまたお叱りを受ける方が

 怖いと思いました」

「良い判断や」

「ありがとうございます」

「うちとしても、勝手に津へ入られるより、こうして相談に来る方がよい。お前が津へ行くこと

 自体を絶対に止めるわけではない。だが、今は松坂と伊勢を固めよ」

「はい」

「それに、長野方が本気でお前を呼びたいなら、また文が来る」

「もう少し条件が整った形で、ですか」

「そうや。お前が一度引けば、向こうも考える。伊勢松坂屋は一万文で飛びつく相手ではない、

 と分かる」

 その言葉に、博之は少し背筋を伸ばした。

「一万文で飛びつく相手ではない、ですか」

「今のお前はそうやろう」

「自分で言うのはおかしいですが、四百人抱えておりますので」

「そうや。四百人の飯と寝床を背負う者は、扱いを軽くされてはならん」

 北畠方の者は、そう言ってから弁当に手を伸ばした。

「それで、飯はあるのか」

「もちろんでございます」

「飯屋やからな」

「はい」

 博之は、焼き飯とすり身天を差し出した。

 北畠方の者は焼き飯を一口食べ、頷く。

「やはりうまい」

「ありがとうございます」

「この飯があるから、長野も欲しがるのだろうな」

「そう言っていただけると、ありがたいです」

「ただし、焦るな」

「はい」

「津は魅力的やろうが、今は松坂と伊勢を固めよ。九鬼との縁も大事にせよ。

 城下、港、街道、寺社。全部に筋を通してからでも遅くない」

「肝に銘じます」

「そして、長野へ返事をする時は、角を立てすぎるな。お前の本音が出ると危ない」

「気をつけます」

 ヨイチが横で小さく言った。

「本当に気をつけてください」

「分かっとる」

 北畠方の者は、そのやり取りを見てまた笑った。

「よい家臣を持っておるな」

「家臣ではなく、店の者でございます」

「もう似たようなものや」

「それも怖いです」

「怖がるぐらいでちょうどよい」

 博之は深く頭を下げた。

 この日、津への進出は一旦保留となった。

 だが、ただ断るのではない。北畠に筋を通し、長野方の内情を探り、自分たちの値打ちを

 安く見せないための保留だった。

 帰り道、ヨイチが言った。

「旦那、今回は本当に良い判断でしたね」

「文面がムカついただけや」

「それでも、結果として筋が通りました」

「まあな」

 お花が静かに微笑む。

「四百人を抱える店として、軽く扱われるわけにはいきませんものね」

 博之は少し照れくさそうに笑った

「飯屋やのに、偉そうになったなあ」

「偉そうではなく、責任です」

「責任か」

 博之は、少しだけ遠くを見た。

 津へ行きたい気持ちはある。

 だが、今は飛びつかない。

 松坂と伊勢を固め、筋を通し、相手の出方を見る。

 一文無しだった頃なら飛びついた話を、今は断ることができる。

 それもまた、伊勢松坂屋が大きくなった証だった。

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