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3月上旬。伊勢城下の横丁許可が出た旨を松坂城主にお伺いをたてにいく。とりあえず筋とおせ。派手に行くなwww

伊勢城下の端で横丁をやってみないか。

その話を受けたあと、博之はすぐに動くわけではなく、まず方針だけを決めた。

「とりあえず、筋を通す」

 本店の奥で、古参たちを前にしてそう言った。

「松坂では、城内の方、それから寺と神社、港町の方にも寄進する。伊勢では、郊外の寺と神社、

 港町の寺と神社。こっちにも寄進する」

 ヨイチが筆を構える。

「総額は?」

「ざっくり五万文使う」

「また使いますね」

「今回は筋を通すためや。派手に攻めるためやない」

「旦那の中では、五万文は派手ではないんですね」

「うるさい」

 博之は続けた。

「で、松坂の城主には、二万文持って挨拶に行く。寄進というか、お布施というか、

 まあ顔を立てる銭や」

「伊勢城下の話を通すためですね」

「そうや。黙ってやったら絶対まずい。伊勢の城方から話をもらいました、でも松坂を忘れてません、

 という形を作る」

「飯も持っていくんですね」

「もちろんや。飯屋が挨拶に行くんやから飯は持っていく」

 用意したのは、混ぜ飯の握り、焼き飯、すり身天、田楽、野菜天、少しの甘味。前回よりも

 派手すぎず、それでも伊勢松坂屋らしい弁当だった。

 そして博之は、二万文の包みを持って、松坂の城主の屋形へ向かった。

 屋形に通されると、相手は少し面白そうな顔で博之を見た。

「来たか、松坂屋」

「はい。本日はご挨拶に参りました」

「最近、少しおとなしくしているようやな」

 その一言で、博之の背筋に冷たい汗が流れた。

「……お耳に入っておりますか」

「ちょいちょい話は聞いておる」

「恐縮です」

「伊勢便、布団二百組、普請場の飯、寺社での振る舞い飯、焼き飯。いろいろ聞いておるぞ」

「おとなしくしていたつもりでございます」

「お前の“おとなしい”は、普通の町人の派手に近い」

 横にいたヨイチが小さく咳払いした。

 笑いをこらえているのが分かったので、博之は後で覚えておこうと思った。

 城主は、博之の持ってきた包みに目をやった。

「それで、二万文持って何しに来た」

 博之は、深く頭を下げた。

「非常に申し上げにくいことでございますが、先日、伊勢の城主よりお呼びいただきまして」

「ほう」

「伊勢港、伊勢郊外、それから買い付け方のこともご存じでして、もしよければ伊勢城下の端で、

 細々と横丁を試してみないか、というお話を頂戴いたしました」

 相手は黙って聞いている。

 博之はさらに頭を下げた。

「もちろん、こちらとして勝手に進めるつもりはございません。松坂で始めさせていただいた店で

 ございますので、その筋を通すため、こうしてまかり越した次第でございます」

「ふむ」

「決して、松坂を離れるとか、伊勢を攻めるとか、そういう話ではございません。

 伊勢の城下の端で、ほんの小さく、飯を出させてもらうという旨でございまして」

 そこで、上司筋の者が少し笑った。

「松坂屋」

「はい」

「言い方には気をつけているようやな」

「はい」

「だが、お前、想定問答の文言をそのまま言っておるやろ」

 博之の肩がわずかに揺れた。

「……いえ、その」

「“決して責めるとかいう話ではなく”とか、“攻めるとかではなく”とか、お前、

 怒られに来ておるやないか」

「いやいや、そんなことはございません」

「あるやろ」

「ございません。少なくとも、こちらとしては筋を通しに来たのでございます」

 城主は少し愉快そうに笑った。

「まあ、二万文も持ってきて、伊勢城下の端で小さくやるぐらいなら、こちらが許さんと言うても

 器が小さいと思われるわ」

「ありがとうございます」

「しこたま向こうで悪口を言うてきたんやろ」

「それはございません」

 博之はここだけは即答した。

「私は、松坂の悪口を申しておりません。そこは強く申し上げます」

「本当か」

「本当でございます。松坂で始めた恩は忘れておりません」

「では、伊勢の城主は何と言うておった」

 博之は少し迷ったが、結局正直に話すことにした。

「先方から言われたのは、伊勢でやるなら伊勢に銭を落とせ、ということでございます」

「うむ」

「松坂の漬物や味噌だれを持ち込むのはよいが、何もかも松坂から持ってきて、

 伊勢の商人や伊勢の者の仕事を奪うようなことはするな、と」

「当然やな」

「はい。おっしゃることは、松坂で言われたことと共通しております。松坂で始めたなら松坂に

 銭を落とせ。伊勢でやるなら伊勢に銭を落とせ。双方のお考えは、私なりに理解できております」

 城主は、しばらく博之を見ていた。

「それで?」

「それから……」

「まだあるのか」

「はい」

 博之は少しだけ苦笑した。

「普通の商人らしからぬ感じで、あちこちふらふらしているから怖い、ということも言われました」

 その言葉に、部屋の空気が少しゆるんだ。

 城主は、とうとう声を出して笑った。

「それをそのまま言うか」

「隠しても仕方がございませんので」

「馬鹿正直やな」

「よく言われます」

「だからこそ、懐に入っているところはあるがな」

 城主は、少しだけ表情をやわらげた。

「伊勢の方も、お前を怖がっておるか」

「怖がっている、という言い方をされました」

「そうやろうな。松坂から見ても怖い。伊勢から見ても怖い。飯屋が、飯屋の顔をして、銭を撒き、

 人を雇い、港と街道を押さえ、寺社に頭を下げ、女衆を船に乗せ、内宮で買い付ける。普通ではない」

「飯屋でございます」

「まだ言うか」

「飯屋でございますので」

「なら、飯屋らしく、飯で筋を通せ」

 博之は深く頭を下げた。

「はい」

「伊勢城下の端でやることは、許す」

「ありがとうございます」

「ただし、松坂から何を持っていき、伊勢で何を買うか、ちゃんと分けろ。松坂の漬物や味噌だれを

 使うなら、その分、松坂に銭が落ちる。伊勢で野菜や薪や器を買うなら、伊勢にも銭が落ちる。

 そういう形にしろ」

「心得ました」

「それから、急に大きくするな」

「はい。小さく始めます」

「内宮にはまだ手を出すな」

「それも承知しております」

「本当か」

「……一軒ぐらい、すり身天を出せたらとは思っておりますが、今はやりません」

「思ってはおるのか」

「思ってはおります」

「正直すぎる」

 城主は苦笑した。

「まあよい。思うだけなら自由や。だが、動くなよ」

「はい」

「動く時は、先に言え」

「必ず」

 そこで、博之は持参した弁当を差し出した。

「本日は、焼き飯と混ぜ飯、すり身天、田楽を少しお持ちしております。お食べいただければ」

「飯はあるのか」

「飯屋でございますので」

「そこだけは抜かりないな」

 城主は、焼き飯を一口食べた。

「……やはり、うまいな」

「ありがとうございます」

「うまいから困る」

「以前も、そのようにおっしゃっていただきました」

「怒る気が削がれるから困るのだ」

「それは、飯屋としてはありがたいことでございます」

 部屋にまた少し笑いが起きた。

 食事をしながら、話はもう少し穏やかなものになった。

「二万文は受け取る。ただし、これで終わりではないぞ」

「はい」

「伊勢でやるなら、その都度、松坂にも顔を出せ。大きな動きをする前に言え。松坂の町から

 買うものは買え」

「必ず」

「この前の布団二百組の話は、町でも噂になっておる」

「それは、やはり……」

「紋付き袴の者が布団屋を回って二百組も買えば、噂になるに決まっておる」

「はい」

「だが、松坂に銭を落としたことは評価しておる」

 その言葉に、博之は少しだけ胸をなで下ろした。

「ありがとうございます」

「ただし、お前は目立つ。だから、良いことも悪いこともすぐ広まる。そこは忘れるな」

「肝に銘じます」

 帰り道、ヨイチが小さく言った。

「なんとか通りましたね」

「通ったな」

「でも、旦那、想定問答そのまま言ってましたよ」

「緊張してたんや」

「“攻めるわけではありません”は、さすがに怪しかったです」

「うるさい」

 お花が静かに笑った。

「でも、正直に話したのはよかったと思います」

「そうか」

「はい。松坂にも伊勢にも銭を落とす。その姿勢は伝わったと思います」

 博之は大きく息を吐いた。

「飯屋って、ほんまに頭下げる仕事やな」

 ヨイチが即座に返す。

「旦那の飯屋だけです」

「そうかもしれん」

 博之は少し笑った。

 これで、伊勢城下への筋は通った。

 松坂にも話した。

 伊勢にも話した。

 九鬼にも顔を出す。

 寺社にも寄進する。

 松坂にも伊勢にも銭を落とす。

 面倒くさい。

 だが、これを怠れば、飯屋はただの飯屋ではなく、怖いものとして見られる。

 博之はその重さを感じながらも、少しだけ前を向いた。

「ほな、小さく始めるか」

 伊勢城下の端へ向かう道が、ようやく正式に開き始めた。

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