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博之43歳3月上旬。松坂城普請で飯をふるまってから伊勢松坂屋の風向きが変わる。九鬼水軍に飯イベントの申し出

三月頭の松坂の普請で飯を振る舞ってから、伊勢松坂屋の評判は、また少し形を変えて広がり始めた。

 もともと、松坂の者たちは伊勢松坂屋の飯のことを知っていた。郊外の豚汁、城下の親子丼、

 港のすり身天、街道の混ぜ飯。名前だけなら、もうかなり広まっていた。

 けれど、普請場で実際に飯を振る舞ったことで、下々の者たちの受け止め方が少し変わった。

「松坂屋の飯、ほんまに腹にたまったな」

「あの焼き飯いうやつ、変わっとったけどうまかった」

「去年はあそこで働いとった旦那が、今年は飯を出す側やてな」

「儲けてるだけやなくて、ちゃんと振る舞うんやな」

 そういう声が、じわじわと町に広がっていった。

 博之としても、ただ店を増やすだけではもう危ないと感じていた。伊勢に派手に金を落としたことで

 松坂の城主に釘を刺され、布団二百組を買う羽目になった。もちろん、それも松坂に銭を落とす

 意味では必要だったが、ただ大口で買うだけでは足りない。

 町と交わる機会がいる。

 そう考えた博之は、横丁の店先や湯浴み場、寺社との雑談の中で、少しずつ「会」を打ち出し始めた。

「三月は梅の会やな」

「四月は桜でええやろ」

「紅葉の時期には紅葉の会や」

「茶と団子でもええし、焼き飯の食べ比べでもええ」

 ヨイチはそれを聞いて、呆れたように言った。

「旦那、伊勢松坂屋は別に、理由なんでもええんですね」

「なんでもええ。飯イベントをして、町の人と交流したいって分かればええ」

「結局、飯を口実に人を集めたいんですね」

「飯屋やからな」

 以前のように、市で芸人を呼んで賑やかすだけではない。今は、店を増やすより、

 町と顔をつなぐことの方が大事だった。

 寺や神社での振る舞い飯も少しずつ始めた。

 郊外では海のものは出しにくいので、野菜天、田楽、豚汁、焼き飯。城下に近いところでは、

 あら炊きやすり身天も出す。港町では、鮪を大鍋で煮て、鮪はこういう食い方ができるのだと

 知ってもらう。

 ただ飯を配るだけではない。

 伊勢松坂屋は町と交わりたい。

 町に銭を落としたい。

 町の者と飯を食いたい。

 そういう姿勢を、少しずつ見せようとしていた。

 その流れで、博之は九鬼方にも改めて顔を出すことにした。

 次の伊勢便と、港での小さな飯会の相談である。もちろん手ぶらでは行かない。五千文の包みと、

 松坂で評判になり始めた焼き飯、すり身天、混ぜ飯の握りを持っていく。

 九鬼方の屋形へ着くと、家臣がすぐに笑った。

「おう、松坂屋。また何か面白いことを考えたか」

「面白いというより、今回は少し控えめにご相談でございます」

「控えめ?」

 家臣は大げさに眉を上げた。

「この前の伊勢詣でみたいな派手な動きはせんようになったんやな」

「ええ、まあ……」

「松坂の領主に怒られたか」

 博之は思わず顔を上げた。

「なんでそのこと知ってるんですか」

「聞いたで」

「誰からですか」

「噂で聞いた」

 家臣は楽しそうに笑った。

「伊勢で寄進しまくって、松坂で怒られて、布団二百組買ったらしいな」

「おひれがつくのが早すぎませんか」

「おひれどころか、もう町の話になっとるぞ」

 博之は額を押さえた。

「その話がそちらに届いているということは、また松坂の城主にも変な形で入ってるかもしれない

 じゃないですか。私、また怒られるんですけど」

「女衆が言うたんちゃうか」

「女衆ですかね」

「いや、派手やねん。やり方が」

 家臣はにやにやしながら言った。

「伊勢で寄進して、九鬼の船を使って、紋付き袴の女衆を買い付けに出して、

 その後に松坂で紋付き袴の者が布団二百組買う。そんなん、何かあったなって誰でも思うやろ」

「いや、あれは松坂に使ってますよ、と見せる必要がありまして」

「見せすぎや」

「でも、領主様から伊勢に十万文使うなら松坂にも十万文使えと言われたので」

「で、布団二百組か」

「中古一式で一組八百文ほど。二百組で十六万文です」

「ほんまに即決したんか」

「しました」

「飯屋が」

「飯屋が」

 家臣は腹を抱えて笑った。

「お前、ほんまに面白いな」

「本人は必死なんです」

「それで、その布団はどうするんや。まさか町に撒くわけやないやろ」

「従業員向けに売ります」

「売るんか」

「はい。一組八百文で仕入れて、一・五倍の千二百文で売ります。もちろん運ぶ手間、見繕い、

 外れを引かないようにする手間、直しの段取りも込みでございます」

「なるほどな」

 家臣は感心したように頷いた。

「松坂の町には十六万文落ちる。従業員には布団が渡る。お前の店には差額が戻る」

「戻るのが少し怖いんですけどね」

「怖い?」

「金を減らすつもりで使ってるのに、また戻ってくるんです」

「商売がうまい証拠やろ」

「また睨まれる材料にもなります」

「それはまあ、あるな」

 家臣は笑いながら、博之の持ってきた焼き飯に手を伸ばした。

「これが噂の焼き飯か」

「はい。混ぜ飯を油で炒めたものです。竹べらでどうぞ」

 家臣はひと口食べ、少し目を細めた。

「これもまた、うまいな」

「ありがとうございます」

「ほんま、飯の方は外さんな」

「飯屋ですので」

「飯屋が布団二百組買うか」

「そこは今、反省しております」

 場に笑いが起きた。

 ひとしきり笑った後、家臣は改めて聞いた。

「で、今日は何の用や」

 博之は姿勢を正した。

「はい。次の伊勢便の件と、港での小さな飯会のご相談でございます」

「飯会?」

「はい。最近、松坂で普請の際に飯を振る舞ったところ、かなり反応が良かったです。

 店を増やすだけではなく、町の人や港の人と飯を食う機会を作った方がよいと思いまして」

「なるほど」

「伊勢の港でも、鮪鍋やすり身天をただ売るだけでなく、少し振る舞いをしながら、

 地元の者に味を知ってもらう会をやれないかと考えております」

「鮪の食い方を広めるわけやな」

「はい。鮪はまだ抵抗がある者もおります。ですが、一度食べてもらえれば、意外といけると分かる。

 港飯として根づかせたいのです」

「それで五千文持ってきたと」

「はい。次の伊勢便の運賃と、港で少し場所をお借りするご挨拶も兼ねております」

「派手に寄進するのは控えて、飯で顔をつなぐわけか」

「そうでございます」

 家臣はしばらく考え、やがて頷いた。

「ええんちゃうか」

「ありがとうございます」

「この前みたいに一気に銭を撒くより、飯でじわじわ顔をつなぐ方が、今のお前にはええかもしれん」

「私も、そう思っております」

「松坂で怒られた甲斐があったな」

「ありましたけど、できれば怒られたくはありません」

「そらそうや」

 家臣はまた笑った。

「港の方には話を通しとく。鮪鍋を振る舞うなら、漁師連中も興味を持つやろ。すり身天も出せ。

 あれは分かりやすくうまい」

「はい」

「ただし、売り物と振る舞いの線は分けろ。全部ただにすると、あとで売れんようになる」

「心得ております。最初の一口、味見、祝いの日の振る舞い。その程度にします」

「よし」

 博之は頭を下げた。

 九鬼方の家臣は、最後ににやりと笑って言った。

「しかし、お前の話はほんまに噂になるな。伊勢で銭撒いた、松坂で布団買った、今度は飯会や。

 次は何や」

「しばらくは大人しくします」

「信じられんな」

「私も少し自信がありません」

「正直でよろしい」

 また笑いが起きた。

 屋形を出る時、博之は少しだけ肩の力が抜けていた。

 松坂で怒られた話は、もう九鬼方にも届いていた。

 自分の動きは、思っている以上に見られている。

 だが同時に、飯で顔をつなぐ方向は悪くないと認められた。

 伊勢で派手に銭を撒くのではなく、飯を振る舞い、少しずつ味を知ってもらう。

 松坂では普請場で飯を出す。

 伊勢港では鮪鍋を振る舞う。

 寺社では季節の会を開く。

 横丁では町の者と顔を合わせる。

 店を増やすだけではない。

 飯を通じて、人と人を混ぜていく。

「これでいくしかないな」

 博之が呟くと、ヨイチが横で言った。

「旦那にしては、だいぶ地味ですね」

「怒られたからな」

「でも、効きそうです」

「地味な方が長持ちするやろ」

 博之はそう言って、少し笑った。

 伊勢松坂屋は、また少し動き方を変え始めていた。

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