表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

116/234

松坂城主に怒られたから派手な動きをしないと言いながら

松坂の城主に呼ばれ、伊勢に銭を使いすぎだと釘を刺された翌日から、博之は少しだけ

おとなしかった。少しだけ、である。

本店の奥でごろごろしているのはいつも通りだが、声の張りがやや弱い。ヨイチから見ても、

お花から見ても、明らかに「怒られた後の旦那」だった。

「今回はな、派手に動かんとこうと思う」

 博之がそう言うと、ヨイチは少し目を細めた。

「旦那の“派手に動かない”は信用できません」

「失礼やな」

「伊勢に十万文撒いて、布団二百組買う人ですからね」

「それはもう終わった話や」

「終わってません。帳簿には残ります」

「帳簿の話をするな」

 博之は枕を抱えて、少し不機嫌そうに言った。

「でも、怒られた以上は反省せなあかんやろ」

 お花が静かに頷いた。

「それは大事です」

「せやろ。だから、今月は大きくは動かん」

「大きくは、ですね」

「うん」

 博之は少し間を置いてから言った。

「ただ、伊勢郊外の街道横丁は、もう一つ増やす」

 ヨイチが即座に筆を止めた。

「ほら、動くじゃないですか」

「これは派手やない」

「横丁を増やすのは、普通に派手です」

「いや、今回は理屈がある」

 博之は身体を起こした。

「松坂で漬物や味噌だれや混ぜ飯の具を整えるやろ。それを伊勢で使う。つまり、

 松坂のものを伊勢で売る形になる」

「それ、松坂のものを伊勢へ持ち込むということですか」

「そうや。正直、あまりやりすぎるのは良くない。伊勢では伊勢に銭を落とすべきや。

 でも、最初の味の芯は松坂から持っていかなあかん」

「伊勢松坂屋の味ですからね」

「そう。漬物、混ぜ飯、味噌だれ、焼き飯の作り方。これを伊勢郊外で回す。で、松坂から

 物資を出すという形にすれば、その分、松坂で材料を買える」

 ヨイチが少し考え込んだ。

「つまり、伊勢へ送るために松坂で仕入れる」

「そうや」

「こじつけでは?」

「半ばこじつけや」

 博之はあっさり認めた。

「でも筋は通る。松坂で買った大根や漬物樽、味噌、竹べら、器、菜種油を、伊勢郊外へ送る。

 伊勢ではそれを使って横丁をもう一つ回す。松坂には銭が落ちる。伊勢には店が増える」

「悪くはないですね」

「やろ」

 お花が言った。

「伊勢郊外にもう一つ横丁を置ければ、伊勢城下への足がかりにもなります」

「そこや」

 博之は頷く。

「いきなり伊勢城下や神宮に行くのは、今はやめる。怒られたばっかりやからな。

 でも、郊外の足場を固めるぐらいは許されるやろ」

「許されるかどうかは分かりませんが、言い訳は立ちます」

「言い訳言うな。筋道や」

「似たようなものです」

 博之は少し悔しそうにしながらも続けた。

「二つ目の横丁は、収支トントンでええ。儲けに行くというより、物資の受け皿や。

 松坂の漬物や混ぜ飯を使って、焼き飯を出す」

「焼き飯が軸ですか」

「そう。混ぜ飯と焼き飯や」

 博之の顔に、少しだけいつもの熱が戻る。

「握り飯はもう分かりやすい。混ぜ飯も売れる。そこに焼き飯を足す。余った混ぜ飯を油で炒めて、

 野菜くずや漬物の端、少しの卵を入れる。竹べらで食わせる。あれが受けたら、横丁一つぐらい

 トントンで回せると思う」

「旦那の見立てでは」

「多分いける」

「その“多分”が怖いです」

「飯のことは当たる」

「それは否定しません」

 お花も微笑んだ。

「焼き飯は、旅人にも受けると思います。温かくて、腹にたまって、珍しいですから」

「そうやろ。伊勢郊外なら参拝客も通る。白飯や握り飯に飽きた者には刺さる」

「それで、初期費用は?」

 ヨイチが現実に戻す。

「二万文」

「内訳は」

「松坂で買う。漬物用の大根と野菜、味噌、塩、菜種油、竹べら、簡単な器、混ぜ飯用の具、

 樽、運び賃。合わせて二万文ぐらい」

「伊勢側で買うものは?」

「できるだけ伊勢でも買う。ただ、今回は松坂に金を落とす理由もいるから、初期の芯は松坂から出す」

「なるほど」

「そこから先は、伊勢郊外でも野菜を買っていく。ずっと松坂から持ち込むのは嫌われる」

「そこは大事ですね」

 博之は頷いた。

「だから今回は二万文だけや。それ以上はやらん」

 ヨイチが疑わしそうに見た。

「本当ですか」

「本当や。あと松坂の寺社に二千文ずつ寄進する」

「それもありますか」

「それはいる。松坂にもちゃんと顔を出してますという形や」

「何か所ですか」

「寺と神社、松坂は4か所。大きくなくてええ。二千文ずつ。飯も少し持っていく」

「また飯ですか」

「飯屋やからな」

 博之はさらに指を折った。

「それから九鬼様には、次の買い付け方をまた船で運んでもらう。伊勢便は続ける。ただし、初回みたいに派手に挨拶金を積むのはやめる。運賃五千文」

「買い付けはまた三万文?」

「それはやる」

「そこはやめないんですね」

「伊勢便はもう動かしてしまった。止める方が不自然や。女衆も楽しみにしてるし、

 伊勢にも銭が落ちる。九鬼様との付き合いにもなる」

「では、今回の動きは、伊勢郊外二つ目の横丁に二万文、松坂寺社へ二千文ずつ、

 九鬼水軍へ運賃五千文、伊勢便の買い付け三万文」

「そうや。このぐらいにしとこう」

 ヨイチが帳面を見ながら言った。

「旦那、その“このぐらい”でも、普通の飯屋からしたらかなり動いてますよ」

「うるさいな」

「でも、以前よりは抑えてます」

「せやろ」

 博之は少ししゅんとした顔で言った。

「怒られたら、一応反省はせなあかん」

 その表情を見て、古参の女衆たちが少し笑った。

「旦那様、今日はほんまにしゅんとしてはりますね」

「しゅんともするやろ。松坂をないがしろにしてるみたいに言われたんやぞ」

「実際、伊勢にだいぶ行ってましたし」

「それを言うな」

「でも、松坂にも布団二百組買うんでしょう」

「買う」

「なら、ちゃんと松坂にも銭は落ちます」

「そうやけどな」

 お花が穏やかに言った。

「今回の伊勢郊外の二つ目も、松坂の漬物や味噌だれを使うなら、松坂の仕事になります。

 松坂で買い、伊勢で売る。伊勢で売った金が、また松坂の仕入れに戻る。その流れなら、

 説明はつくと思います」

「そう言ってもらえると助かる」

「ただし、伊勢でもちゃんと買うことです」

「そこは忘れん」

 博之は真面目に頷いた。

「伊勢で儲けるなら伊勢にも落とす。松坂で始めたなら松坂にも落とす。うちは飯を作るけど、

 全部は作らん。買うところは買う」

「それが一番よいと思います」

 ヨイチが帳面を閉じた。

「では、伊勢郊外二つ目の横丁は、焼き飯と混ぜ飯中心。初期物資二万文。収支トントン目標。

 松坂寺社へ小口寄進。伊勢便継続。九鬼様へ運賃五千文」

「それで頼む」

「焼き飯の作り方もまとめます」

「それも頼む」

「竹べらと器の手配も」

「頼む」

「帳簿も増えます」

「それは言うな」

 いつものやり取りに、少し笑いが戻った。

 博之は布団の上で大きく息を吐いた。

「派手には動かん。けど、止まるわけにもいかん」

「難しいですね」

「難しい。けど、飯屋は止まったら腐る。飯も、人も、銭も、動かさなあかん」

 お花が微笑む。

「今回は、少し静かに動く、ですね」

「そうや」

 博之は頷いた。

「静かに、松坂に金を落としながら、伊勢郊外を一つ固める」

 ヨイチが小さく笑った。

「旦那にしては、だいぶ慎重です」

「怒られたからな」

 そう言って、博之は枕を抱え直した。

 しゅんとはしている。

 だが、止まる気はない。

 伊勢への道は、少し細く、少し静かに、けれど確かにもう一本増えようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ