松坂の城主方から怒られてふさぎ込んでいられないので郊外の住職に愚痴りついでに寄進とご飯持って行った
松坂の城主方から戻った博之は、本店でしばらく黙っていた。
十六万文の布団を即決した。
松坂に銭を落とせという話は、筋が通っていた。
伊勢にばかり金を撒いているように見えたのも、分からなくはない。
分からなくはない。
けれど、疲れた。
「……これは、誰かに話さなやってられへんな」
そう呟いた博之が向かったのは、松坂郊外の寺だった。以前から何かと世話になっている
住職のところである。
ただ愚痴を言いに行くのも気が引けたので、手ぶらでは行かない。二千文を包み、
さらに飯を用意させた。
今回は、いつもの肉や魚ばかりではない。
混ぜ飯を油で炒めた焼き飯。鶏肉は抜いた。
野菜の天ぷら。
そして、新しく試したい豆腐の料理。
「ちょっと配慮しまして」
寺に着いた博之は、住職に頭を下げながら言った。
「今日は鶏抜きの焼き飯と、野菜の天ぷら、それから豆腐を揚げたものを持ってきました」
「松坂屋さんは、本当にいつもありがとうございますな」
住職は柔らかく笑った。
「いや、本当にそう言っていただけるだけでありがたいです。今日はちょっと疲れたんですわ。
愚痴でも聞いてください」
「それで飯まで持ってこられるのですから、こちらとしてはありがたい限りです」
「炊き出しというか、地元のお寺の子らにも少し配れるぐらいには持ってきてます。
もう振る舞い飯ですわ」
寺の台所を借り、博之は持ってきたものを並べた。
菜種油も用意してある。野菜の天ぷらは、茄子、大根葉、ごぼう、葱の端などを使ったものだ。
味噌の上澄みと野菜出汁、煮干しで取った出汁を合わせたつゆもある。
「このつゆに、天ぷらをくぐらせて食うてください。味噌だれほど重くなく、出汁が入ってるので、
意外と食べやすいです」
「これはありがたい」
「で、今日は豆腐の食べ方を一つ提案したくて」
「豆腐ですか」
「はい。豆腐に軽く小麦粉をつけて、油で揚げます。揚げた豆腐を、この出汁につけて食べるんです」
博之は、揚げた豆腐を器に置いた。
外側は薄く色づき、表面は少し張っている。そこへ温かい出汁をかける。湯気がふわりと立った。
「名前はまだ適当ですけど、揚げ出し豆腐、ですかね」
「揚げ出し豆腐」
「そのまんまです」
住職は箸で豆腐を割った。
外は少し香ばしく、中は柔らかい。出汁を含んだ豆腐を口に運ぶと、目を細めた。
「これは……うまいですな」
「いけますか」
「はい。豆腐は淡いものですが、揚げることで香りが出ます。出汁を吸うと、また違いますな」
「色づけで考えたら、上に葱を散らすとか、大根をすったものを乗せるとかしたら、
もっと締まるかなと思ってるんです。彩りもよくなりますし」
住職は笑った。
「私はそこまで飯にこだわってはおりませんが、これは精進料理にも使えそうです」
「今の出汁には煮干しが入ってますけど、精進でやるなら野菜出汁だけでもできます。
少し軽くなりますけど、豆腐の香りは残ると思います」
「なるほど。豆腐を揚げるというのは、なかなか贅沢ですが、寺の振る舞いにも合いそうです」
「油を使うので、毎日というわけにはいきませんけどね」
博之は苦笑した。
次に出したのは焼き飯だった。
ただし、寺なので鶏肉は入れていない。たくあんや梅しそを混ぜ込んだ飯玉を、菜種油で炒め、
刻んだ野菜と漬物の端を入れ、卵を少し絡めたものだ。
「これは、炒めるという民の技法というか、まあ、余り飯の使い方です」
「飯を炒める」
「はい。漬物を混ぜ込んだ握り飯を、菜種油で炒めるんです。白飯より、混ぜ飯の方がうまい。
漬物の味が染みてますから。そこに卵と細かく切った野菜を入れると、別の飯になります」
住職は竹のへらで一口すくって食べた。
「ほう」
「どうです」
「これも面白い。飯なのに、握り飯とはまったく違いますな。香ばしい」
「うちの従業員は、わしの飯に慣れてしまって、最近、新しい飯が食いたいとか言い出すんですわ」
「贅沢な話ですな」
「ほんまに」
博之は少し笑った。
「生き残るための飯であれば、握り飯と汁で十分やと思うんです。でも、飯を食えるようになると、
今度はうまい飯を食いたくなる。人間、そういうもんなんでしょうね」
「それは自然なことです」
「そうなんですかね」
「飢えが満たされれば、次は味を求める。味が満たされれば、楽しみを求める。
松坂屋さんのところは、今その段階に来ているのでしょう」
住職は、揚げ出し豆腐をもう一口食べた。
「それにしても、これも焼き飯も、よう考えますな」
「飯のことだけは、頭が勝手に動くんです」
「飯以外も、ずいぶん動いているように聞きますが」
「それですわ」
博之は深く息を吐いた。
「実は今日、それを愚痴りに来たんです」
住職は、ゆっくり箸を置いた。
「やはり、何かありましたか」
「松坂の城主方に呼ばれましてね」
「はい」
「伊勢に金を使いすぎや、と」
「なるほど」
「伊勢の港で横丁を始めるのに、寺社に寄進して、港の顔役に挨拶して、伊勢便とかいう
買付方を作って、女衆を船に乗せて内宮の方まで行かせたでしょう」
「それは目立ちますな」
「目立ちますよね」
「はい」
「それで、松坂をないがしろにしてるんちゃうかと。伊勢に十万文使うなら、
松坂にも十万文使えと言われまして」
「それはまた、分かりやすい話ですな」
「で、わし、咄嗟に布団二百組買いますと言うてしまって」
住職は少し目を丸くした。
「布団二百組」
「はい。中古一式で一組八百文ぐらい。二百組で十六万文。松坂の町に落とします、と」
「即答されたのですか」
「しました」
住職は、しばらく黙ってから、ふっと笑った。
「それは、相手も驚いたでしょう」
「驚いてました。機嫌も直りました。飯も食ってくれました」
「なら、よかったではありませんか」
「まあ、そうなんですけど」
博之は頭をかいた。
「なんというか、伊勢に金を落としたら松坂にも落とせ。松坂に落としたら、
今度はまた従業員に売る仕組みにして、店の中で回す。自分でやってて、
何をしてるのか分からなくなるんですわ」
「銭を回しておられるのでしょう」
「回してるんですかね」
「少なくとも、溜め込んではおられない」
「溜め込んでるんです。九十八万文ぐらい残ってるんです」
住職は、今度こそ箸を止めた。
「……それはまた」
「見たらひっくり返るでしょう」
「ひっくり返るまではいかずとも、驚きますな」
「だから怖いんです。こんなもん、飯屋が持ってたらおかしいでしょう」
「おかしいかもしれませんが、必要でもあるのでしょう」
「必要ですか」
「人を抱えるには、蓄えも要ります。ですが、蓄えすぎれば疑われる。だから、
寄進し、買い付け、布団を買い、湯浴みを作り、飯を振る舞う。松坂屋さんは、
銭をただ持つのではなく、形を変えておられる」
博之は黙った。
住職は静かに続けた。
「伊勢に使えば、伊勢がつながる。松坂に使えば、松坂が収まる。従業員に使えば、
人が残る。寺社に使えば、悪く言われにくくなる。飯に使えば、人が集まる」
「そう言われると、ものすごく立派なことをしてるように聞こえます」
「立派かどうかは分かりません。ただ、理にかなってはおります」
博之は少し笑った。
「わし、愚痴りに来たんですけど」
「聞いておりますよ」
「住職、優しいなあ」
「飯をいただいておりますので」
「やっぱり飯か」
「飯は大事です」
住職は焼き飯をまた一口食べ、満足そうに頷いた。
「この焼き飯も、寺の子らに食べさせてよろしいですか」
「もちろんです。そのために多めに持ってきました」
「では、あとで分けましょう。揚げ出し豆腐も少し」
「揚げ出し豆腐は、反応聞かせてください。精進で使えそうなら、野菜出汁版も考えます」
「楽しみにしております」
住職はにこりと笑ったあと、改めて博之を見た。
「さて、一通り食べました」
「はい」
「本当に喋りたいことは、まだあるのでしょう」
博之は少しだけ目を伏せた。
「……あります」
「聞きますよ」
その言葉に、博之はようやく肩の力を抜いた。
寺の座敷には、揚げ出し豆腐の湯気と、焼き飯の香ばしい匂いが残っていた。
外では、子どもたちに振る舞うための野菜天ぷらが、静かに温め直されている。
飯を持ってきて、愚痴を聞いてもらう。
それは博之にとって、商いでも寄進でもなく、ただ少しだけ息をつく時間だった。




