松坂城から戻った博之は買付方を呼び布団を200組16万文買い付けることをはなす。ことの経緯を話共有する
屋形から戻った博之は、本店に帰るなり、買い付け方の女衆を呼んだ。
伊勢便で働いた古参の女衆、帳面をつけられる者、若いけれど目利きのある者。
そこへヨイチとお花も同席する。
女衆たちは、また伊勢便の相談かと思って少し浮き立っていた。けれど、博之の顔を見ると、
いつものようにふざけているようで、どこか疲れている。
「今日は伊勢便やない」
博之は開口一番そう言った。
「松坂便や」
「松坂便、ですか」
「うん。布団を買う」
「布団?」
「二百組」
場が一瞬、静かになった。
「……二百ですか?」
「二百や」
ヨイチが横で苦笑した。
「旦那、いきなり言うから皆さん固まってますよ」
「しゃあないやろ。急に決まったんや」
お花が少し首を傾げる。
「何かあったのですか」
「松坂の城主に呼ばれた」
その言葉に、女衆たちの表情が少し引き締まった。
「怒られたんですか」
「ぶち切れ、というほどではない。でも、まあ、怒られたな」
「なんでですか」
若い女衆の一人が、思わず聞いた。
博之は頭をかいた。
「要は、この前、伊勢で派手に動きすぎた
「伊勢便ですか」
「それもある。あんたらの買い付け方の動きも、だいぶ目立ったらしい」
女衆たちは顔を見合わせる。
「それだけやない。伊勢港で横丁を始める時に、港の顔役、寺社、神社、伊勢の屋形、
郊外の寺社。あちこちに寄進したやろ」
「はい」
「それが、十万文以上伊勢に使ったって話になって、松坂の方に伝わった」
「そんなに広まるんですね」
「広まるわ。わしも甘かった」
博之は苦笑した。
「で、松坂の城主に言われた。伊勢に十万文使うなら、松坂にも十万文使え、と」
「それで布団ですか」
「そうや」
博之はうなずいた。
「その場で、布団二百組買いますと言うてきた」
「即決ですか」
「即決や。中古の一式なら、一組八百文ぐらいで見込める。二百組で十六万文や」
女衆たちは、またざわついた。
「十六万文……」
「布団だけで……」
「旦那様、本当に即決したんですか」
「した」
ヨイチが横から言う。
「旦那は、こういう時だけ腹が座ってるんですよ」
「こういう時だけ言うな」
「帳簿の時は逃げますから」
「それも言うな」
少し笑いが起きて、場の空気がやわらいだ。
博之は改めて女衆を見た。
「で、あんたらに頼みたい。紋付き袴を着て、松坂の布団屋、古道具屋、布屋を回ってくれ」
「私たちがですか」
「そうや。伊勢に比べたら回りやすいやろ」
「まあ、松坂ですから」
「うちの買い付け方が、松坂の町でもちゃんと金を落とす。それを見せたい」
お花が頷いた。
「松坂の店にも、伊勢松坂屋が買い付けに来るという印象を残すのですね」
「そうや。伊勢ばっかり買いに行ってると思われたらあかん。松坂でも買う。松坂にも銭を落とす」
「買い方はどうしますか」
古参の女衆が聞いた。
「中古を中心に、使えるものを選ぶ。全部新品にする必要はない。破れや虫食い、
臭いがひどいものは避けろ。少し手入れすれば使えるものならよい」
「二百組、全部同じ店で買うのですか」
「いや、分けて買え」
博之は即答した。
「一店に押しつけるな。松坂の町に広く銭を落とすのが目的や。布団屋、古道具屋、
布屋、仕立て直しできるところ。何軒か回れ」
「帳面をつけますね」
「頼む。店の名、数、値段、状態、直しが必要かどうか。全部書け」
ヨイチが横で補足する。
「運び先も記録してください。本店、松坂郊外、城下、港、街道。必要数を分けないと、
またごちゃごちゃになります」
「ごちゃごちゃになるのはお前が嫌やからやろ」
「全員嫌です」
「それはそうやな」
博之は話を続けた。
「買った布団を、そのまま施すわけにはいかん。無料で配ったら、また訳が分からんようになる」
「では、売るのですか
「売る」
女衆たちが少し驚いた顔をした。
「一組八百文で買ったものを、一・五倍の千二百文で売る」
「従業員にですか」
「そうや。分割でもええ。給金から少しずつ差し引く形でもええ」
若い女衆が遠慮がちに言う。
「千二百文は、大きいですね」
「大きい。けど、布団は財産や。しかも、松坂城下まで自分で買いに行かんでええ。
選んで、運んで、必要なら直して、拠点まで届ける。その手間賃込みや」
お花が頷いた。
「寝具が自分のものになるなら、欲しい者はいると思います」
「そうやろ」
「特に港や街道の拠点にいる者は、良い寝具がほしいはずです」
「そう。港にも必要やし、松坂郊外にも必要や。女衆にも男衆にもいる」
ヨイチが言った。
「ただ、全員にいきなり買わせるのは難しいので、希望者を取る形ですね」
「そうやな。予約も取れ。買ったものを見せて、欲しい者に申し込ませる。高いものは分割」
「伊勢便と同じように、松坂便で回すわけですね」
「その通りや」
博之は少し身を乗り出した。
「松坂の買い付け方も、拠点をぐるぐる回る。布団は荷が大きいから、全部持って回るのは無理や。見本と帳面を持って、欲しい者を集め、必要な場所に直送する」
「直送?」
「店から拠点へ運ばせる。うちの者が荷車を出してもええ。運び賃も計算に入れろ」
「かなり本格的ですね」
「十六万文使うんや。本格的にやらなあかん」
そこで、若い女衆の一人がぽつりと言った。
「でも、殿様も最悪なこと言いますよね」
空気が一瞬止まった。
博之がすぐに言う。
「それ言うな」
女衆たちが、こそっと笑う。
ヨイチも口元を押さえた。
博之は少し困ったように言った。
「向こうには向こうの建前があるんや。松坂の顔を立てろ、松坂に銭を落とせというのは筋が通ってる」
「はい」
「うちは、ちょっと金使いが荒いというか、金を持ちすぎてるんや」
若い女衆が目を丸くした。
「そんなに持ってるんですか」
博之はすぐに首を振った。
「知らんでええ」
「え」
「帳面を見たら、たぶんひっくり返る。世の中には知らなくてもいい世界がある」
ヨイチが横で笑いをこらえる。
「旦那、言い方」
「ほんまやろ」
「まあ、確かに」
博之は女衆たちを見回した。
「考えてみい。飯屋が、買付方を作って、女衆を船に乗せて伊勢まで行かせて、
三万文使ってこいと言う。普通に考えたらおかしいやろ」
女衆たちは少し黙り、それから何人かが小さく頷いた。
「……確かに」
「普通の飯屋ではないです」
「お給金もちょっと、ありえないぐらいになってますし」
「飯と寝床もありますし」
「湯浴みもありますし」
お花も穏やかに言った。
「だからこそ、周りから見られているということですね」
「そういうことや」
博之は頷いた。
「うちが大きくなるのはええ。けど、松坂の町が“伊勢松坂屋ばっかり儲けて、
松坂には銭を落とさん”と思ったら終わりや」
「だから、松坂で布団を買う」
「そうや。しかも、女衆が紋付き袴で買いに行く。ちゃんと挨拶して、店の名前を出して、
松坂の店に銭を落とす」
ヨイチが言う。
「布団屋や古道具屋からしたら、二百組分の話は大きいでしょうね」
「大きい。向こうも驚くやろ」
「そして、次も買ってくれとなる」
「そうなればええ」
博之は少し笑った。
「伊勢だけやなく、松坂でも得意先になる。そうやって顔をつなぐ」
「結局、怒られた話も商売にするんですね」
「怒られっぱなしでは終われん」
場にまた笑いが起きた。
博之は最後に、女衆たちへ真面目な声で言った。
「これから、湯浴み場でも、店棚でも、女衆同士の話でも、ちょっと言うといてくれ」
「何をですか」
「伊勢松坂屋は、伊勢だけやなく松坂にも銭を落としてる。布団も松坂で買う。
傘も松坂で買う。必要なものは松坂で仕入れる。そういう話を、ぼろぼろっと自然に出してくれ」
「噂づくりですか」
「そうや。堂々と言いすぎるといやらしい。けど、自然に広まるのがええ」
お花が頷いた。
「女衆の世間話は、かなり広がりますから」
「頼む」
「分かりました」
「あと、買い付け方になりたい者が増えてるのは知ってる。伊勢便だけやなく、
松坂便も大事な役目や。そこも伝えといてくれ」
「はい」
博之は、少し疲れたように息を吐いた。
「伊勢で買う。松坂で買う。伊勢に銭を落とす。松坂にも銭を落とす。うちの者には必要なものを
届ける。店は手間賃を取る」
ヨイチが苦笑する。
「だいぶ複雑になってきましたね」
「複雑やけど、やることは単純や」
「何ですか」
「金を止めるな。ちゃんと回せ」
女衆たちは、その言葉に静かに頷いた。
こうして、伊勢便に続き、松坂便も動き出すことになった。
紋付き袴の女衆たちが、今度は松坂の布団屋や古道具屋を回る。
二百組、十六万文。
怒られたことから始まった買い付けは、また新しい銭の流れになろうとしていた。




