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買付方の伊勢便一行の帰りをゴロゴロしながら待つ博之。女衆帰宅後感想や報告が山のようにくるwww

伊勢便の一行が伊勢松坂屋本店へ戻ってきた時、博之は奥の畳でごろごろしながら待っていた。

もちろん、表向きには「買い付けた品の確認をするため」である。けれど実際には、

どんな顔で帰ってくるのか見たかったのだ。

 やがて、紋付き袴の女衆たちが、大きな包みをいくつも抱えて入ってきた。

「戻りました」

「おう、ご苦労さん」

 博之は身体を起こした。

 香袋、髪紐、櫛、巾着、手ぬぐい、髪油、洗い粉、香の物、少しの日持ちする甘味。

 荷をほどく前から、どこか伊勢の匂いがするようだった。

「買い付けた品は、一旦こっちの店棚で引き取る。帳面と合わせて確認して、

 ここを中心に半月ぐらいかけて売ってこい」

「半月ですか」

「そうや。本店、湯浴み場、松坂郊外、城下、街道。順繰り回して、売れ筋を見ろ。

 売れんもんは売れんでええ。何が売れるか見るのが初回の仕事や」

 ヨイチが横で帳面を受け取り、ひとつずつ数を確認していく。

「値付けは一・五倍ですね」

「そうや。ただし、甘味は早めに売り切れ。売れ残ったら古参で食え。腐らせるな」

「それ、みんな狙いますよ」

「それはそれでええ」

 博之は女衆たちを見た。

「で、どうやった」

 その一言を待っていたかのように、女衆たちの顔がぱっと明るくなった。

「めっちゃ楽しかったです」

「船、思ってたより怖くなかったです」

「九鬼の方々も、ちょっとぶっきらぼうですけど、親切でした」

「伊勢の港横丁も見てきました。ちゃんとお客さん来てました」

「鮪鍋、売れてましたよ」

「練り物の天ぷら、あれめっちゃ美味しかったです。試食させてもらいました」

「すり身のやつ、松坂でももっと売れますよ、絶対」

 一気に声が重なって、部屋が急に賑やかになる。

 博之は思わず笑った。

「順番に喋れ。何言うてるかわからん」

 けれど女衆たちは止まらない。

「内宮さん、すごかったです」

「空気が違いました」

「自然に声が小さくなりました」

「お参りできると思ってなかったので、ほんまにありがたかったです」

「祈ったことなんて、今までほとんどなかったです」

 その言葉に、博之は少しだけ黙った。

 この者たちの多くは、もともと身寄りのない者や、飯に困っていた者たちだ。

 働き口を得るだけで精一杯だった者もいる。

 そういう者たちが、店の役目として船に乗り、伊勢へ行き、内宮に参る。

 それは、ただの買い付けではなかったのかもしれない。

「買い付けはどうやった」

 博之が聞くと、古参の女衆が少し背筋を伸ばした。

「緊張しました」

「そうか」

「紋付き袴を着て、伊勢松坂屋ですと挨拶して、店の金で買うんです。最初は手が震えました」

「粗相はなかったか」

「なかったと思います。店の方々も、こちらが定期的に買いに来るかもしれないと分かると、

 いろいろ勧めてくださいました」

「何を勧められた」

「髪紐、香袋、櫛、巾着、手ぬぐいです。あと、髪油と洗い粉。女衆向けならこちらの方がよいとか、

 古参向けなら落ち着いた色がよいとか、若い子なら明るい色が売れるとか、

 かなり教えてもらいました」

「ええやん」

「それと、どの店の人も最後には“また来てください”と言ってくれました」

 ヨイチが感心したように言う。

「初回としては上々ですね」

「うん」

 博之は頷いた。

「店の名前、覚えてきたか」

「はい。帳面に書いてあります。店主の顔や、勧めてくれた品も少し書きました」

「えらい」

 博之が素直に褒めると、女衆たちは少し照れた。

「それで、自分の買い物はしたんか」

 その一言で、また少し場が弾けた。

「しました」

「匂い袋を買いました」

「私は髪紐を」

「甘味を少し」

「自分の分は別勘定にしました」

 お花が微笑む。

「ちゃんと分けられたなら大丈夫です」

 博之はその様子を眺めながら、ぽつりと言った。

「半月に一回、これをやれば、全員とは言わんでも、かなりの人数が伊勢神宮に参れるな」

 ヨイチが顔を上げる。

「たしかに、順番に回せばそうですね」

「三百人全員は無理でも、古参、働きの良い者、読み書き覚えた者、買い付けに向いてる者。

 そういう形で回せる」

 女衆の一人が、ぱっと顔を上げた。

「年に一回でも行けるなら、私ら頑張れます」

「ほんまか」

「ほんまです。伊勢に行けるって、すごいことです」

「お参りもできるし、買い物もできるし、横丁の様子も見られるし」

「仕事やけど、ご褒美みたいです」

 その言葉に、博之は少し考え込んだ。

 買付方は、単に物を仕入れる役目のつもりだった。伊勢に銭を落とし、松坂の従業員に

 一・五倍で売る。店の中の金を動かす仕組みとして考えていた。

 だが、これはそれだけではない。

 伊勢へ行けるということ自体が、働く者の張り合いになる。

「なるほどな」

 博之はつぶやいた。

「伊勢参りを役目に組み込めるんか」

 ヨイチが笑う。

「また人事に使いますね」

「使えるもんは使う」

「でも、これは良いと思います。行きたい者は多いでしょうし、働きが良い者を選ぶ理由にもなります」

「そうやな」

 博之は女衆たちを見た。

「ただし、遊びだけにはせえへん。買い付け、挨拶、帳面、横丁の様子見。全部やってもらう」

「はい」

「でも、お参りはちゃんとしてこい」

 女衆たちは揃って頷いた。

 その顔が嬉しそうで、博之は少し照れくさくなった。

「で、店々の感想はどうや」

 博之が聞くと、またそれぞれが思い思いに話し出した。

「香袋の店は、すごく親切でした。松坂の女衆向けなら派手すぎないものがいいって」

「髪紐の店は、色が多くて選ぶのが楽しかったです」

「櫛は高いものと安いものの差がかなりありました。普段使いは安めで、

 古参への褒美なら上物がよさそうです」

「髪油は、湯浴み場で売れそうです」

「洗い粉は女衆だけじゃなく、男衆にも売れるかもしれません」

「甘味はもっと買いたかったですけど、日持ちが怖いので抑えました」

「香の物は、飯に合いそうなものがありました。まかないで試してもいいかもしれません」

 ヨイチが慌てて筆を走らせる。

「ちょっと待ってください。情報が多いです」

「ほら、やっぱり情報も仕入れやろ」

 博之が得意げに言う。

「品物だけやない。何が流行ってるか、どの店が親切か、何が松坂で売れそうか。

 それを聞くのが大事や」

「確かに、これは別で話を聞く時間を作った方がいいですね」

「そうやな。買い付け帰りは、必ず報告会や」

「報告会ですか」

「うん。飯食いながらでええ。みんなでおしゃべりしてる中で、流行ってそうなもの、

 店の感じ、値段、客層、そういうのを聞く」

 お花が頷いた。

「女衆は、話しながら思い出すことも多いですからね」

「そうやろ」

 博之は笑った。

「堅苦しい報告書より、べらべら喋らせた方が出てくる」

 その通りだった。

 女衆たちは、思い出したように次々と話した。

 あの店の若い娘がかわいかった。

 この髪紐は内宮帰りの客に人気らしい。

 香袋は小さいものの方が贈り物にしやすい。

 甘味は朝の方が品が多い。

 櫛は安物を買いすぎるとすぐ歯が折れそう。

 伊勢の客は包みの見た目をよく見る。

 港の横丁では鮪鍋の湯気に人が寄っていた。

 ヨイチの筆が追いつかない。

「旦那、これ本当に大事な情報ですよ」

「やろ」

「ただ、まとめるのが大変です」

「それはお前の仕事や」

「またですか」

「頼りにしてる」

「都合がいいですね」

 皆が笑った。

 博之は、その騒がしい本店の空気を見ながら、少し胸が温かくなった。

 買い付けた品物は、これから半月かけて売られる。

 仕入れ三万文が、うまくいけば四万五千文になる。

 けれど、それ以上に大きいものがあった。

 女衆が伊勢へ行けたこと。

 内宮でお参りできたこと。

 港の横丁を自分たちの目で見たこと。

 伊勢の店々と顔をつないだこと。

 帰ってきて、こうして楽しそうに喋っていること。

「無事でよかったな」

 博之はぽつりと言った。

 お花が静かに微笑んだ。

「はい。みんな、とても楽しそうです」

「楽しそうなら、よかった」

 伊勢松坂屋の本店では、その日遅くまで、買い付け帰りの女衆たちの話が尽きなかった。

 香袋の匂い、髪紐の色、櫛の手触り、内宮の空気、船の揺れ、九鬼水軍の不器用な親切、

 港横丁の鮪鍋の湯気。

 それらが、飯屋の本店の中で、ひとつの大きな旅の話になって広がっていく。

 博之はそれを聞きながら、思った。

 これは売れる。

 それ以上に、これは人が残る。

 伊勢へ行ける店。

 伊勢の品が買える店。

 自分たちの横丁を見に行ける店。

 そういう店になれば、働く者の目の色も変わる。

「半月に一回、伊勢便やな」

 博之が言うと、女衆たちから小さな歓声が上がった。

 ヨイチは苦笑しながら帳面を閉じた。

「また、仕事が増えましたね」

「ええ仕事や」

 博之はそう言って、少し満足そうに麦茶を飲んだ

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