表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

106/234

女衆の目線。九鬼様のもとに参上し伊勢神宮で色々買い付けに行く。普段味わうことない体験を味わえている

博之の旦那に見送られて、私ら女衆は九鬼水軍の船に乗り込んだ。

これが、私にとっては生まれて初めての船旅である。

朝の港は潮の匂いが強くて、風が髪の先までぬけていく。紋付き袴なんて着せられているものだから、

見た目はしゃんとしているけれど、胸の内はもう、そわそわしっぱなしだった。

買い付けの役目を仰せつかったのだから、ただの遊びではない。わかってはいる。わかってはいる

けれど、それでもやっぱり旅は旅で、しかも伊勢の内宮まで行けるとなれば、女として

気分が上がらぬはずがない。

「ええなあ、船やで」

「旅行みたいやな」

「旅行やあらへん、仕事や仕事」

 そんなふうに言い合いながらも、みんな顔がにやついている。

 博之の旦那は岸で手を振りながら、

「ちゃんと帳面つけろよー。自分の買い物と店の買い付け、絶対混ぜるなよー」

 と、最後まで言うていた。

 ほんま、そこは抜け目がない。ああいう時だけ、父親みたいな顔をするからおかしい。

 船が岸を離れると、思っていたより揺れは少なかった。もっとぐらぐらするものかと思っていたので、拍子抜けしたくらいだ。九鬼水軍の男衆が、荷を見ながらこちらをちらちら見てくる。

最初は少し怖いかとも思ったけれど、話してみると、皆どこか不器用で、でも親切だった。

「気ぃ悪なったら、向こう向いて遠く見とき」

「立つ時は急に立たん方がええで」

「荷ぃ踏むなよ、それ売りもんやからな」

 ぶっきらぼうに見えて、ちゃんと気を回してくれる。その感じが、なんだか可笑しくて、

 女衆の間でもすぐに緊張がほどけた。

 ひとりの若い衆が、私らの袴姿を見て、

「ほんまに松坂屋の女衆って感じやな」

 と言うた。

 そう言われると、くすぐったい気持ちになる。前は寝る場所と飯があるだけで

 ありがたいと思っていた身なのに、今ではこうして店の名前を背負って、船に乗って

 買い付けに行くのだ。人の身の上なんて、わからないものである。

 やがて伊勢の港が見えてきた。

 初めて見る伊勢の拠点は、まだ松坂の本店のような厚みはないけれど、

 それでも確かに“うちの店”という顔をしていた。軒先で働く者たちがきびきび動き、

 湯気が立ち、客が寄ってくる。

 「ほんまに始まっとるんやなあ」

 と誰かが言うと、皆うなずいた。

 ちょうど昼時で、港の拠点では鮪鍋がよく出ていた。

 例の、旦那が「捨てるもんを食えるようにした」と胸を張っていたやつだ。

 鍋から立つ香りは濃くて、生姜と葱の匂いが食欲をそそる。鮪の身はほろほろに煮えていて、

 汁をすすっている客の顔が明るい。

「売れとるなあ」

「ほんまや。しかも、よう食べてる」

 思わず見入ってしまった。

 横では、練り物の天ぷらも揚げられていた。すり身を串にしたものや、平たく成形したものが、

 菜種油の中でじゅうじゅう音を立てている。あれもまた、見た目からしてうまそうだった。

 衣の匂いではなく、魚の香りと油の香りが混じっていて、腹が鳴る。

「買い付け前やのに、まず食べたなるな」

 と笑い合いながら、少しだけ味見をさせてもらった。

 うまい。

 外はふわりと香ばしく、中はむっちりしていて、生姜の気配が後から追いかけてくる。

「これは売れるわ」

 誰もが素直にそう思った。

 それから私らは、伊勢の港の者たちに挨拶を済ませ、内宮へ向かった。

 ここからは、また気分が変わる。仕事の買い出しももちろんあるけれど、まずはお参りである。

 内宮に近づくにつれ、空気が変わっていくのがわかった。

 賑わいはあるのに、騒がしいのとは違う。人の数は多いのに、妙に静かで、

 木々の立ち方まできりっとして見える。

「なんやろな、この感じ」

「厳か、いうやつやろか」

 誰かが小声で言うと、自然に皆も声を落とした。

 川を渡り、参道を歩く。袴を着ているせいか、いつもより背筋が伸びる。

 お参りをするとき、私はつい、

「どうか、うちの店がよう続きますように」

 と願っていた。自分のことより先にその願いが出たのが、なんだか不思議でもあり、

 少し誇らしくもあった。

 そして、いよいよ買い出しである。

 ここで急に、また緊張が戻ってきた。

 お参りまではよかったのだ。けれど店に入って、店の金で品を見繕い、しかもこっちは袴を着ている。

「うわ、緊張するなあ」

「するする。なんか見られてる気ぃする」

「そら見られるやろ、袴やし」

 皆で小声で笑いながら、店々を見て回る。

 髪紐、櫛、香袋、小さな袋物、女衆が喜びそうな布小物。

 見ているうちに、だんだん仕事の顔になっていくのが自分でもわかった。

「これは売れそう」

「これは可愛いけど、ちょっと高いな」

「こっちは松坂の子ら好きそう」

 そんなふうに相談しながら、帳面役が値を控えていく。

 それでも時々、ふと我に返る。

 ――私、ほんまに伊勢まで来て、袴着て買い付けしとるんや。

 そう思うと、おかしくて、嬉しくて、胸がふわっと軽くなる。

 旅行気分ではしゃいではいけない。

 でも、仕事として来ているからこそ、なおさら嬉しい。

 ただの遊びではなく、店に必要とされてここにいる。そのことが、なにより気持ちを高ぶらせた。

 買い物籠を抱えながら、私はそっと思った。

 ――博之の旦那、あんな無茶苦茶なようでいて、やっぱり人を面白いところへ連れて行く。

 ほんま、変な旦那や。

 でも、こういう景色を見せてくれるから、ついて来てしまうのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ