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伊勢松坂屋の購買方の輸送のお願いに九鬼様の屋敷に参上する。試みや狙い、買い付け額を面白がる先方

伊勢便の初回を動かすため、博之は九鬼水軍の屋形へ向かった。

今回は一人ではない。

女衆を中心に十人ほどを連れている。古参の女衆、若い女衆、帳面を見られる者、荷を見張る者、

護衛役。全員に紋付き袴を着せ、伊勢松坂屋の買い付け方として恥ずかしくない姿に整えた。

屋形へ着くと、九鬼方の家臣がすぐに笑って迎えてくれた。

「おう、松坂屋。今度はまた大勢連れてきたな」

 博之は深く頭を下げた。

「先日は、伊勢の港まで船を出していただき、ありがとうございました。おかげさまで

 港の顔役にも挨拶でき、寺社にも寄進できました」

「いやいや、お安いご用やで。むしろ、いろんなところに顔を出せてよかったやろ」

「はい。おかげさまで、なんとか楔は打てたかなと思っております」

 家臣はにやりとする。

「金をばらまいてきたわけやな」

「ばらまいたというと品が悪いですが、港の顔役、寺、神社、伊勢の屋形、郊外の寺社と、

 筋を通してまいりました」

「それが大事や。よそで商売するなら、飯がうまいだけでは足りん」

「痛感しております」

 博之は頭を下げたまま続けた。

「その後は陸路で松坂へ戻りました。道すがら、参拝客の多さを改めて見まして。

雨の日には傘や布が売れるのではないか、休み処もいるのではないかなど、いろいろ考えておりました」

「また何か思いついた顔やな」

「はい。伊勢と松坂がつながったことで、一つ思いつきまして」

 家臣が面白そうに身を乗り出す。

「言うてみい」

「うちの松坂の者は、飯と寝床を店で用意しております。女衆も男衆も、まかないがあり、

 寝る場所があり、湯浴みもあります。そうなると、給金があまり出ていかないのです」

「ええことやないか」

「ええことではあります。ただ、休みの日に買い物に行く暇も少なく、銭を持っていても使う場がない。 

 特に女衆は、伊勢の小物や香袋、髪紐、櫛、髪を整える油や洗い粉などが欲しくても、

 なかなか買いに行けません」

「なるほどな」

「一方で、私はできるだけ早く、伊勢の城下町や内宮さんの周りと顔つなぎをしたいと思っております」

「ほう」

「その二つが合いました」

 博之は少し身を乗り出した。

「購買方を作ります」

「購買方?」

「はい。伊勢で品を仕入れ、松坂のうちの者たちに一・五倍で売る仕組みでございます」

 九鬼方の家臣は一瞬きょとんとし、それから声を上げて笑った。

「お前、買い付けする言うても、それ、自分のところの者に売るんやろ。

 自分のところの回しもんやないか」

「おっしゃる通りです」

「よう考えるな」

「うちは今、三百人ほどの所帯になっております。最初は小さく始めますが、今回は若い女衆と

 古参の女衆を混ぜて、売れ残りにくそうな品を三万文ほど仕入れたいと思っております」

「三万文?」

 家臣の目が少し変わった。

「女衆の小物で三万文か。なかなかの規模やな。米を仕入れるのとは違うぞ」

「はい。ですので、高級な着物や帯を大量に買うつもりはありません。そういったものは

 見本だけにして、注文を取る形にします」

「では何を買う」

「小物です。香袋、髪紐、櫛、巾着、手ぬぐい、香の物、甘味は予約分。それから、

 髪まわりのものです」

「髪まわり?」

「はい。女衆は髪を大事にします。櫛も、髪紐も、髪油も、少しきれいな布も、湯浴みの後には

 欲しくなる。うちの女衆は働いて銭を持っておりますから、伊勢の流行りの髪飾りや髪紐を

 見せたら、かなり買うと思っております」

 お花が後ろで静かに頷いていた。

「それと、伊勢の流行りを松坂に持ち帰りたいのです。松坂の女衆が伊勢の髪紐や香袋を

 身につける。すると城下でも話になります。『それはどこのものか』と」

「伊勢松坂屋で売ってます、となるわけか」

「はい」

 家臣は呆れたように笑った。

「飯屋のくせに、色々思いつくよな、旦那は」

「飯は飯で、またいろいろ思いついております」

「まだあるんか」

「それはまた今度、飯としてお持ちします」

「楽しみにしとくわ」

 博之は改めて深く頭を下げた。

「今回は、その買い付け方十人を伊勢へ運んでいただきたく参りました。船のお礼として五千文、

 それとは別にご挨拶として一万文を持参しております」

 そう言って、包みを差し出す。

「どうか、船の手配と、伊勢へ入る際の話を通していただけませんでしょうか」

 家臣は包みを受け取り、軽く重さを確かめた。

「任しとけ」

 あっさりと言った。

「うちとしても、松坂屋は大事な商売付き合いや。飯もうまいし、金払いもええ。

 何より、伊勢で金を使うというのがええ」

「ありがとうございます」

「三万文分、小物を一日で買うとなると、内宮の周りの店も驚くやろうな」

「そうなればありがたいです」

「態度が変わるかもしれんぞ」

「それも狙いの一つでございます」

 博之は正直に答えた。

「伊勢で売るだけではなく、伊勢で買う。うちは伊勢から吸い上げるだけではないと、見せたいのです」

「隠さんなあ」

「隠しても仕方がございません」

 家臣は愉快そうに笑った。

「まあ、ええ考えやと思う。内宮側も、ただのよそ者が来るより、三万文買う客が来る方が

 印象はええ。しかも紋付き袴の女衆が十人やろ。目立つわ」

 後ろの女衆たちは、少し緊張しながらも背筋を伸ばしていた。

「この者たちには、伊勢松坂屋の名を背負わせます」

 博之は言った。

「買い付けだけではなく、伊勢の港横丁の様子も見させます。足りないもの、困っていること、

 売れ筋、地元の反応。それも見て戻らせるつもりです」

「それも大事やな」

「はい。今回、買い物だけでは終わらせません」

 家臣は頷いた。

「伊勢の港の横丁は、まだ数字はよう分からんか」

「まだ立ち上がったばかりです。鮪鍋とすり身天の反応は悪くないと見ておりますが、

 どれだけ続くかはこれからでございます」

「まあ、数字はおいおいやな」

「はい」

「ただ、評判が良ければ、港から内宮、城下へ話も流れる。そこへ今回、三万文の買い付け方が入る。

 うまくいけば、伊勢松坂屋は羽振りがいいと思われる」

「そう見えれば、ありがたいです」

「見えるやろ」

 家臣は笑った。

「飯屋が三百人抱えて、港で飯を出し、今度は女衆を船で連れて内宮まで買い付けに来る。

 普通の飯屋ではない」

「飯屋でございます」

「その言い訳、もう厳しいぞ」

 周りに笑いが起きた。

 九鬼方の家臣は、女衆たちにも目を向けた。

「お前ら、伊勢で粗相するなよ。伊勢松坂屋の名だけやなく、九鬼の船で来たということにもなる」

 女衆たちは揃って頭を下げた。

「はい」

 お花が一歩前に出て言う。

「買い付けの礼儀、帳面、神宮での作法は、出発前に確認しております。店の金と自分の小遣いは

 分けること、値切りすぎないこと、買った店と値段を必ず書くことも徹底します」

「よし」

 家臣は満足そうに頷いた。

「女衆がしっかりしとるな」

 ヨイチが横で小さく言った。

「旦那よりしっかりしてます」

「聞こえとるぞ」

「聞こえるように言いました」

「お前な」

 また笑いが漏れる。

 最後に家臣は言った。

「船は出す。行き帰り、荷も積めるようにしておく。伊勢の港にも話は通しておく。

 内宮周りの小物屋や甘味屋までは、全部こちらでどうこうはできんが、少なくとも

 港から入る分には困らんようにする」

「ありがとうございます」

「その代わり、またうまい飯を持ってこい」

「もちろんでございます」

「この前言うてた新しい飯もな」

「近いうちにお持ちします」

 博之は深く頭を下げた。

 屋形を出る時、女衆たちは少しだけ浮き足立っていた。

 伊勢へ行ける。

 内宮へ参れる。

 店の金で三万文の買い付けができる。

 自分の小遣いでも少し買える。

 それは仕事でありながら、明らかに特別な役目だった。

 ヨイチが小声で言う。

「旦那、これ、かなり人気の役目になりますよ」

「やろうな」

「順番で揉めますよ」

「だから、働いた者への褒美にする」

「また人事に使う」

「使えるもんは使う」

 お花が笑った。

「でも、みんな張り合いが出ると思います」

「それならええ」

 博之は伊勢の方角を見た。

 伊勢で買い、松坂で売る。

 松坂の女衆が伊勢の品を身につける。

 伊勢の店には銭が落ちる。

 九鬼との縁も深まる。

 港横丁の様子も見られる。

 ひとつの買い付けが、いくつもの線を結び始めていた。

「よし」

 博之は言った。

「初回の伊勢便、動かすぞ」

 紋付き袴の女衆たちは、そろって背筋を伸ばした。

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