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伊勢の拠点が欲しい問題と伊勢松坂屋の従業員がお金を使わない問題の解決法。購買方を作ろう。

 松坂本店の奥で、博之はしばらく黙っていた。

 伊勢の港まで行った。

 九鬼様の口添えで船に乗り、港の顔役に頭を下げ、寺社に銭を置き、城下の屋形にも挨拶した。

 さらに伊勢郊外の拠点にも寄り、港、郊外、松坂をつなぐ線が、ようやく見え始めた。

 松坂と伊勢がつながった。

 そのことには、正直、感極まるものがあった。

 だが同時に、博之は冷静でもあった。

「まだやな」

 ぽつりと言う。

「伊勢の城下町と、神宮にはまだ拠点がない」

 ヨイチが横で茶をすすっていた。

「そこが残ってますね」

「うん。港と郊外は取っかかりができた。けど、伊勢で本当に強いところは、城下町と神宮や」

 博之は畳に寝転がったまま、天井を見ていた。

 そして、ふと別の問題が頭に浮かんだ。

「あと、うちの者、金を使わんな」

 ヨイチが少し笑う。

「飯と寝床がありますからね」

「そこなんよ」

 博之は身体を起こした。

「給金を出してる。半月ごとに上げてる者もいる。けど、飯も寝床もある。湯浴みもある。

 そうなると、銭が貯まる」

「悪いことではないでしょう」

「悪くはない。けど、銭が止まる」

 博之はお花を呼ばせた。

 しばらくして、お花がやって来ると、博之はすぐに切り出した。

「うちの者に、伊勢のものを買わせるってどうやろうか」

「伊勢のもの、ですか」

「そうや。伊勢の甘味、小物、香袋、髪紐、櫛、手ぬぐい、香の物。神宮さんそのものの

 お札とか守りには手を出さん。そこは怖い。けど、伊勢に集まってるかわいいもん、珍しいもん、

 使えるもんを仕入れて、松坂で売る」

 ヨイチが眉を上げた。

「値段は?」

「一・五倍や」

「またえらいぼりますね」

「ちゃうちゃう」

 博之は手を振った。

「うちには、もう松坂と伊勢をつなぐ拠点がある。城下町と神宮にはまだ入ってへんけど、

 伊勢の端と港はつながった。なら、その便で物のやり取りができる」

「伊勢で定価で買って、松坂で一・五倍ですか」

「そうや。紋付き袴を着たうちの者が、伊勢でちゃんと定価で買う。値切り倒さん。伊勢の商人に銭を落とす。それをうちの拠点に順繰り回して売る」

 お花が少し考え込んだ。

「伊勢まで買いに行けない者は、買うと思います」

「やろ」

「特に女衆は買います。香袋、髪紐、櫛、手ぬぐい、甘味。そういうものが拠点まで来るなら、

 少し高くても買います」

「一・五倍でもか」

「はい。手間賃込みなら納得できます」

 博之は紙を引き寄せた。

「例えば、五千文分買うやろ」

「はい」

「七千五百文で売る。二千五百文の利益や」

 ヨイチが頷く。

「数字としては分かりやすいですね」

「最初は、うち今金があるから、二万文ぐらい買ってもええと思ってる」

「二万文ですか」

「三万文で売る。利益一万文」

「本当に商売にしますね」

「当たり前や。儲からん仕組みは続かん」

 博之は続けた。

「ただし、神様系は触らん。神宮のお守りとかお札とか、そういうもんは売らん。

 うちは飯屋や。神さんのありがたみを勝手に売るほど命知らずちゃう」

「そこは大事ですね」

 お花が頷いた。

「売るのは、伊勢の小物、かわいい櫛、香袋、髪紐、手ぬぐい、瓶漬け、香の物、甘味。

 そういうものや」

「従業員向けですね」

「まずはな。客向けにも少し置いてええけど、本命はうちの者や」

 博之はさらに構想を話し始めた。

「定期便みたいにする」

「定期便?」

「うん。十人ぐらいで組を作る。買い付け方や。紋付き袴を着せて、

 伊勢や松坂の店に買いに行かせる。で、戻ってきた品を、十日ぐらいかけて拠点をぐるぐる

 回して売る」

「本店、郊外、城下、港、街道、伊勢郊外、伊勢港……」

「そうや。買える場所をこっちから回す」

 ヨイチが筆を取った。

「売れ残ったらどうします」

「腐らんものは、いったん店で抱える。香袋、櫛、髪紐、手ぬぐいは置いとける。

 何かの時の褒美にしてもええ」

「勤続半月祝いとかですか」

「それもありやな。あと縁談会の景品、湯浴みのくじ、古参への慰労品。売れ残りが在庫やなくて、

 使い道のある品になる」

 お花が少し楽しそうに言った。

「女衆が喜びそうですね」

「やろ」

「特に、古参の女衆と若い女衆を買い付けに行かせるのはいいと思います。

 目利きができますし、若い子の好みも分かります」

「そうなんよ。男が買いに行っても、たぶん変なもん買う」

 ヨイチが苦笑した。

「否定できません」

「だから、古参の女衆と、センスのある若い子を混ぜる。松坂の城下、伊勢の城下、内宮近く。

 そこを見て、今何がかわいいか、何が売れそうかを見繕ってもらう」

「それ自体が仕事になりますね」

「そうや。買い付け、帳面、提案、販売。女衆の仕事の幅も広がる」

 お花は頷いた。

「ただ、高い着物や帯は予約制の方がいいです。売れ残ると重いですから」

「それもそうやな」

 博之は紙に書かせた。


「小物は在庫。着物、帯、上等な草履は予約制。甘味は腐るから完全に予約制」

「甘味便ですね」

「そうや。月に二回、甘味便や」

 ヨイチが笑った。

「蜂蜜饅頭とは別ですね」

「別や。蜂蜜饅頭は湯浴みの楽しみやから触らん。伊勢の甘味は伊勢で仕入れる。

 欲しい者は先に札を出す。仕入れ値の一・五倍で渡す」

「それなら揉めにくいですね」

 お花が言った。

「蜂蜜饅頭だけではなく、伊勢の甘味も楽しめるなら、みんな買うと思います」

「やっぱり買うか」

「買います。特に月二回なら、楽しみになります」

 博之はだんだん乗ってきた。

「あと、松坂のものも同じや」

「松坂のもの?」

「松坂城下で仕入れた草履、布、着物、手ぬぐい、櫛、日用品。これを松坂郊外や街道、

 伊勢の拠点に売る。松坂にも銭が落ちる」

「つまり、伊勢便と松坂便ですか」

「そうや」

 ヨイチが呆れたように笑う。

「旦那、完全に店の中に市を作ろうとしてますね」

「三百人おるんやぞ。もう小さい町みたいなもんや」

「それはそうですけど」

「だったら、店の中で銭を回す仕組みがいる。うちの者は休みの日にしか外に出られへん。

 五日に一回とかやろ。欲しいものを買いに行くのも大変や。そこへ、こっちから買い物を持っていく」

「便利ですね」

「便利やし、うちも儲かる」

「結局そこですね」

「そこも大事や」

 博之は真顔で言った。

「でも、松坂と伊勢に銭が落ちる。うちの者は欲しいものが買える。店は手間賃を取る。これでええ」

 お花が静かに笑った。

「それなら、福利厚生として通りますね」

「そうや。福利厚生や」

 ヨイチがすかさず突っ込む。

「一・五倍で売る福利厚生ですけどね」

「儲からん福利厚生は続かん」

「それ、名言みたいに言わないでください」

 部屋に笑いが広がった。

 博之は最後に、紙の上へ大きく書かせた。

 ――購買方。

「これを作る」

「担当は十人ですか」

「最初は十人。買い付け頭一人。帳面二人。松坂担当二人。伊勢担当二人。拠点巡回三人。

 そんな感じやな」

「各拠点に注文を集める者もいります」

「それも置く」

「売上と在庫の帳面も増えます」

「……それは嫌やな」

「でもやるんでしょう」

「やる」

 お花がくすりと笑う。

「旦那様、頭が冴えてますね」

「帳簿見てない時は冴えるんや」

「それでいいのか分かりませんが、これは本当に良いと思います」

 博之は満足そうに頷いた。

「松坂と伊勢がつながったら、飯だけやない。物も動く。人も動く。銭も動く。

 うちはその流れの真ん中にいる」

 ヨイチが言った。

「また大きな話になってきましたね」

「大きい話やけど、やることは単純や」

 博之はにやりと笑った。

「伊勢で買って、松坂で売る。松坂で買って、伊勢で売る。一・五倍でな」

「ほんま、何でも商売にしますね」

「病気やからな」

 そう言って、博之はまた畳にごろりと転がった。

 しかしその顔には、伊勢と松坂をつなぐ新しい銭の流れを見つけた者の、妙な満足感が浮かんでいた。

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