7話 大病院 待機時間とのセッション
朝8時30分。
ぼっちで見上げる壮大な神殿は、まさにこの現実において、霧の中に浮かぶ城のようだった。
――要するに、ただの大病院が見えてきたのだ。
ゲームと違うのは、すでにおびただしい数の「上級プレイヤー群」が待機している点である。
しかし、その獣の口のような洞窟への入り口は固く閉じられ、屈強な門兵が立ち塞がっている。
――まだ自動ドアは閉まっており、警備員が外で案内をしているだけだ。
中に入ることすらままならない。
「再診ですね。ではこの整理券を持ち、あちらでお待ちを」
まず、管理クランからの無慈悲な洗礼が叩きつけられた。
「えっ!」
渡された紙切れを握りしめ、右を見た瞬間、ぼくはただ震える。
視線の先には、見知らぬ上級プレイヤーたちの巨大な巣窟があった。
そこでは、これから始まるレイド戦(高難易度クエスト)を前にした、歴戦の猛者たちによる親しくも緊張感に満ちたコミュニティの宴が広がっている。
――ただ十数人の老人方が、駐車場で開門までの時間をつぶして井戸端会議をしているだけである。
─── ◈ ──── ── ◈ ─── ─── ◈ ───
駐車場に車を停めた石橋は、関係者通路へ向かう足をピタリと止めた。
視線の先には、開門待ちの老人たちの輪から完全に弾き出され、ポツンと震えている見慣れた、野良猫
灰実だ。
その左手には、不格好な白い包帯がぐるぐると巻かれている。
「……なるほどな」
石橋はポン、と小さく膝を打った。
酔って乱入した、路地裏で叫ぶ捨て猫。
次に会ったときは妹に追い出された家無し猫。
ギターケースには大量のゲームソフトが無造作に詰め込まれていた。
あれを見て、だいたい察した。
「ようするに引きこもり」
最近、夜の公園で迷い猫を観察できなかった理由。
「それより灰実くん この時間に来たようですが気の毒ですねえ」
老人たちの圧に飲まれて縮こまる灰実の姿に、思わず苦笑いが漏れる。
白衣を羽織る彼の胸元には、
◈ 内科 医師 石橋 三郎 ◈
こう記された名札が揺れていた。
2時間経過
「お待ちの井上様 井上様 5番診療にお入り下さい」
ゴリゴリと脳内HP(精神力)が削られていく。
時間の経過が0.5倍速になる重力異常空間――『白い待合室』で、ぼくは必死に自分の番号がアナウンスされるのを待っていた。
「なんという初見殺し……! 先行ログイン組との差、なんだよこれ」
レイド(診療)の開始時刻は9時。
しかし、8時30分に訪れたぼくが手にした整理券の番号は、無慈悲にも『48番』だった。
「6時半には来ているよ」
「月曜は、いつもねそうねえ 金曜は……」
早い上級プレーヤーは、マウント合戦をしている。
そんな武勇伝を耳に流しながらこの待ち時間は、あまりにも長かった。
診察室から吐き出される冒険者たちの顔は、みな笑顔であったり皺を濃くしたり、様々です。
看護師さんが通る。
「7時から3時間以上待っているんだよ わざわざ、仕事休んできてる」
「すみません 今日は月曜なので。 はい」
その管理側NPCに怒る気持ちもわかります。しかもLV75以上(75歳)ぽいので。
(もう……休め)
老体を心配し引退してもいいのでは?と感じる一幕もあった。
それ以外に、音の少ないボス待ち部屋は、集中力を高める。
一方で、時計の針の進みが異常に遅い。
「やはり持ってきて良かった」
詠唱メモと合わせ、自分のリフをイメージする。
「48番の方、第2診察室へどうぞー」
ついに運命のアナウンスが響き、ぼくは意気揚々とボス部屋(診察室)の扉を開けた。
――が、戦闘は一瞬で終了した。
「はい、傷口塞がってますね。じゃあ念のため、中の状態を見るから、次は2階のエコー室で受付してきて」
2時間という果てしない待機時間を経て、ボス戦(診察)はわずか3分で終了。
ぼくの手に残されたのは、「エコー検査受診票」という新たなクエストアイテムだけだった。
「なんだこのクソゲー……! 『たらい回し』という名のお遣いクエストじゃないか……」
ぼくはブツブツと呪詛を吐きながら、複雑に入り組んだ大病院という名のダンジョンを彷徨う。
この白い空間は、色が少ない。
その中を淡々と行きかう槍を持つ屈強な人。
――点滴スタンドを引き、歩いているおじさん。
多機能魔具に寄りかかり群衆を波のように分ける気だるい魔女の人。
――サークル型歩行車に、気を使い避ける患者たち。
いつの間にか入院エリアで迷子になる。
プレイルームの隅で、3DSを握りしめ、誰とも交わらずに画面を睨みつけている影。
「……それ、ポケモンの戦闘BGM?」
少年は顔を上げない。
「……うん。でも、勝てない。この相手、強すぎる」
僕は足を止めた。
「見せて」
少年の手元の画面を覗き込む。そこには、手持ちのポケモンが次々と倒されていく戦闘画面が映っていた。レベル差というより、相性と構成の噛み合わなさで押し潰されている。
「……その相手、水・飛行っぽいから電気が通る。あと、今の技だと受け切られるから、技を一つ変えたほうがいい」
僕の言葉に、少年はうなずいて操作を変える。
――ただの横から口を出すだけの人間。でも、画面の中の流れは少しずつ変わっていく。
最後の一撃が決まり、戦闘が終わった。
「……勝った」
少年は小さく息を吐いた。
「ありがとう」
そのまま少年は、ソフトを切り替えた。
「あれ? とびだせどうぶつの森に反応がある」
「反応?」
彼が見せてきたのは、すれ違い通信の通知だった。
「近くを通った人のデータが来るやつだよ」
そう説明しながら、少年は画面を操作する。
そういえば今朝、妹が「病院行くなら持ってて」と言って、3DSをかばんに入れてきたのを思い出した。
僕はそのピンク色の3DSを取り出した。
「開け方はよくわからないけど、妹に預けられたやつだ」
「それだよ! それで反応してる」
少年が画面を指さす。
そこには、誰かの村のデータが届いていた。住民や施設の情報が、すれ違い通信を通してやってきている。
「これ、近くにいたプレイヤーのデータだよ。村を見に行けるやつ」
画面の中で、知らない誰かの村が静かに表示されていた。
「……お前の妹さん、結構やり込んでるなー」
少年が少しだけ笑った。
すれ違い通信。
物理的に近くにいる人間同士が、閉ざされたサーバーの壁を越えて、互いのデータを「背中合わせ」で交換する。
病院という無機質な閉鎖空間で、ぼくたちの持っていた二つの3DSが、まるで磁石のように引き寄せられていた。
「お兄ちゃん、何者?」
「……ただの迷子だ。 コホンエコー検査を探している」
――その瞬間子供にすら呆れた顔を向けられる。
現地NPCとの会話で脳内ミニマップを頼りに階段を上がる。
ようやく『エコー(超音波検査)受付』の看板を発見した。
しかし、そこにもまた新たな「待ち時間」の気配が濃厚に漂っている。
肩を落とし、ため息をつきながら受診票を受付のクリアファイルに入れ待つ。
30分後
「――奇遇ですね、灰実くん」
振り返る。
そこには夜の公園で見慣れたスーツ姿ではなく、真っ白な白衣を羽織った石橋さんが立っていた。
首には聴診器。
胸元には、
◈ 内科 医師 石橋 三郎 ◈
そう記された名札が揺れている。
「い、石橋さん……?」
まるで隠しイベントのNPCが突然ジョブチェンジしたみたいだった。
サラリーマンだと思っていたら、実は高レベル回復職だったのである。
僕の脳が処理落ちしかけた、その時だった。
ガチャン。
車椅子のブレーキ音が響く。
「おーい石橋先生、この前の薬よく効いたよ」
老人Aが接近した。
――エンカウント。
だが、それは始まりに過ぎなかった。
「あっ先生、うちの息子が昨日山登りに行ったんだけどね」
老人Bが乱入。
「先生、そういえば熱が出る日がまだあって」
老人Cが追撃。
「それより昨日変な電話がかかってきてねぇ」
老人Dが追加出現。
「先生! 嫁がまた妙なこと言い出してね!」
老人Eが援軍召喚。
(おいおいおいおいおい!)
僕は思わず一歩後退した。
何だこの流れ。
対戦格闘ゲームか?
いや違う。
レイド戦だ。
石橋さんという名のボスへ向かって、古参プレイヤーたちが一斉にスキルを叩き込んでいる。
山登り。
熱。
電話。
嫁。
次から次へと飛び出すサブクエスト。
画面のログが流れる速度に処理能力が追いつかない。
(高度すぎる……)
間違いない。
これはヘイト管理だ。
僕が石橋さんへ話しかけようとした瞬間、歴戦の猛者たちが一斉にタゲを奪いに来たのである。
病院ロビーという名の戦場で繰り広げられる、高度なボス独占戦術。
冷や汗が流れた。
だが石橋さんは動じなかった。
「山登りですか。息子さん元気ですね」
まず一人。
「熱の件は次回詳しく聞きましょう」
二人目。
「電話の件は外来とは別ですから、今度時間を取りましょう」
三人目。
「お嫁さんの件はまず本人のお話も聞かないとですね」
四人目。
流れるように処理していく。
誰も傷つけず。
誰も無視せず。
それでいて話を終わらせていく。
まるで熟練プレイヤーによる完璧なギミック処理だった。
(つ、強い……)
公園で見た時は感情の薄い変なサラリーマンだった。
だが今の石橋さんは違う。
ここは彼のホームグラウンドだ。
そして僕は初めて理解する。
この人はただの観測者じゃない。




