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3話:路地裏のノイズ、吟遊詩人に転職してしまった件


音は噛み合っていない。なのに、不思議と“同じリズム”だけが残っていく。



灰実「空を裂け!!」


小学生たち「空を裂け!!」




灰実「いでよ!!」


小学生たち「いでよ!!」




そのときだった。


路地裏の空気が、わずかに変わる。



カツ、カツ、カツ。




革靴の音。



ゆっくりとした足取り。


灰実も、小学生たちも、一瞬だけ手を止める。


路地の奥から現れたのは、くたびれたスーツ姿の中年男だった。


片手には、古びたサックスケース。



もう片方の手には、コンビニのビニール袋。


中身は缶ビールとつまみ。




男は一度だけ、現場を見渡した。


ギターをかき鳴らす少年


謎のコールを叫ぶ小学生


わけのわからない熱量



「……昼間から、随分楽しそう」


「おじさんも鳴らせるの?」

小学生が、ぼそりと呟く。


「……これ吹いていい流れ?」


灰実はうなづく。


そして、ため息を一つついてから。




ケースを開けた。


カチャ……



金属音。


サックスが、ゆっくりと姿を現す。


灰実の動きが止まる。



小学生たちも、なんとなく黙る。


男はサックスを組み立てながら言った。


「最近の子供は元気だな。私が若い頃は、こんな騒がしくなかった」



そして、軽く息を吸う。




――フッ。


最初の音は、思ったよりも軽かった。



(……何だ、この“ちゃんとした音”は)


小学生の一人が小声で言う。


「……新しいポケモンのBGM?」



違う。




それはBGMではない。


男は目を閉じたまま、サックスを吹き続ける。


音は派手ではない。


だが、妙に“生活の匂い”がする。



コンビニ袋。


疲れた背中。


昼間から酒の気配。


その全部が、音になっている。



灰実のギターのノイズと、小学生たちのコールが、少しずつ揺らぐ。



「……あ?」



灰実が一瞬、現実に戻りかける。



だがその瞬間。


男のサックスが、一段だけ音を上げた。


――ビィィィィィ……


空気が、またズレる。


灰実の世界と、小学生の世界と、そしてこの中年の“現実”が、


同じ路地裏に重なり始める。




サックスおじさんの音が、路地に満ちていく。




それは派手なソロではない。


どこか疲れた、日常の延長の音だった。




だが――その“生活の音”が入った瞬間。


何かが、ズレた。



灰実のギターが一瞬だけ止まる。



小学生たちのコールも、半拍遅れる。


サックスの音だけが、淡々と続いている。


(……混ざってる?)


灰実の頭に、違和感が浮かぶ。


今まで「戦場」だった音が、少しだけ“街”に引き戻される。



小学生A


「……なんか、変わった?」


小学生B


「BGM、バージョンアップした?」



違う。


誰も“正しくは”理解していない。



サックスおじさんは目を閉じたまま吹き続ける。


ギターも、止まらない。


「いつもいつでもー!」

小学生たちの声も、なぜか途切れない。


だが今度は――バラバラではない。



三つの音が、勝手に“同じテンポ”に寄っていく。


サックスの呼吸


ギターのノイズ

「あーあこがれのー」

子供の声


誰も合わせていない。


なのに、ずれていたはずのリズムが、勝手に収束していく。



灰実

「……なんだよ、これ」


サックスおじさん


(目を閉じたまま)


「……うるさいけど、悪くない」


小学生たち


「もっとやれー!!」


その声は応援なのか、命令なのか、ただの遊びなのか分からない。



だが音は、止まらない。


灰実のギターが、勝手に“フレーズ”を作り始める。



いつものノイズではない。


何か“形になりかけている音”。


サックスが、その隙間を埋める。



まるで、呼吸のように。


小学生たちの声が、その上に乗る。


意味ではなく、“リズム”として。


空気が変わる。




路地裏が、さっきまでとは別の場所になっていく。




誰も指揮していない。




誰も合わせていない。




それなのに――


灰実


(小さく)


「……これ、音楽じゃ……」



言いかけて、止める。



その言葉を認めた瞬間、何かが壊れそうだったからだ。



サックスおじさんが、初めて目を開ける。



そして、少しだけ笑う。

「子供と、野良猫と、サラリーマン。ふふふ」


ぷぷーぷー



その言葉とは裏腹に、音は一番まとまっていた。




小学生は、いつの間にか五人になり。



気づけば十人を超えていた。


下校中の列が立ち止まり。




「なにやってんの?」


「カイリューだって!」


「マジかよ!」


誰かが叫ぶ。




誰かが笑う。


誰かが3DSを掲げる。


もう誰が最初だったのか分からない。


ボクは半ばヤケクソでギターをかき鳴らした。



ジャラン――!!


炭色のボディが震える。




弦を弾く指先。


擦り切れたピック。



ノイズ。




その横で。


プァァァ――ッ!!



サックスおじさんが勝手に旋律を重ねる。



サックスのキーを叩く指。


酒焼けした息。




路地裏に転がる即興のメロディ。


キィィィィッ!!



通り過ぎた自転車が急ブレーキをかける。

車輪が悲鳴を上げる。



チーン!


換気扇越しに漏れてきた店内のレジ音。



ガタン。


誰かが蹴飛ばした空き缶。


ミーンミーンミーン!



蝉。



全部バラバラだった。



全部うるさかった。


全部ノイズだった。




なのに。




「空を裂け!!」



「空を裂け!!」


「いけー!!」


「カイリュー!!」



「はかいこうせん!!」



叫びだけが。



不思議なほど同じ場所へ向かっていく。



ギター。



サックス。



ブレーキ音。



レジ音。


蝉。



歓声。



路地裏の全てが。



ひとつの巨大な楽器になった瞬間。



「はかいこうせんで、世界を割れぇぇぇ!!」

全員が、叫んだ!



路地裏の叫びは、蒼い空へ溶けていく。



小学生たちの歓声。


サックスの余韻。



そしてボクの炭のようなギターのノイズ。


それらは空中で混ざり合い、ひとつの“歪な傑作”になった。


ボクは呆然と空を見上げた。



(勝った)



クソみたいな現実の、この理不尽な閉塞感を、確かに破壊した。



(……俺は、英雄になれた)


その時だった。


――ピンポンパンポン。



路地裏に、無機質な電子音が響く。



『お客様にご案内いたします。現在、店舗裏の路地におきまして、騒音行為および迷惑行為が確認されております』


一瞬で、空気が止まる。


灰実、小学生、サックスおじさん。



全員が同時に固まった。



「……え」


「お兄ちゃん すごいことになってる!」


小学生の一人が、画面を見せる。


そこには、さっきの路地裏を撮った動画がもう投稿されていた。



『#路地裏ポフレギタリスト』


『#はかいこうせんで世界を割れ』


『#ハイタくん』


(……あ)



ボクの中で、何かが音を立てて崩れる。



「……伝説、になっちゃった……」


サックスおじさんは缶ビールを飲み干して言った。



「悪くないグルーブでした。君、何か変わった?」


ボクの中で、何かがログアウトする。



PS3の世界も。


灰色の海も。


愛馬も。



(終わった)




(これはもう、クエストじゃない)


立ち上がれないまま、空を見る。


夏の空は、さっきより普通だった。


その日、僕の「新世界への移住計画」は終了した。


代わりに残ったのは――




ネットという名の巨大な灰色の海に、最も消えない形で刻まれた、ひとつのバグログだった。


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