11話 雨という物理で窮地に追い込まれる
その夜 外はザアザアと鳴る雨音だけが響く。
薄暗い部屋のなか、PCモニターの光だけが、ぼくの顔を青白く照らしている。
無機質にモニターに映るピンポイント天気。
雨 雨 大雨
今日の現実マップを公園にしてシュミレート。
「今日はどうしよう これは想定外だわ」
協定は18時以降は、22時までの公園への接続。
妹=最終ボス級NPC(現実適応力S)
「ここは交渉だな」
悩んだら、丸投げが一番だ。
久しぶりにボス部屋のドアを叩く。
「何よ」
この所、隣人としてのやりとりは、壁越しだった。
しかしいきなりの声掛けは、失礼だと、鈍いぼくの脳内MMOもアップデートされている。
「雨で公園マップが使えない」
ガチャリと開いた扉からは、PT討伐を邪魔されたうろんなBOSSの視線がある。
「お前との協定はこの特記事項に対しての解がなかったはずだ アオハライドという聖書を持つお前の考えを聞きたい」
「……は? 」
(めんどくさいなあ ホント)
妹の眉間に皺が寄る。
「じゃあ橋の下でも行って好きなだけ ガラクタ叩けばいいでしょ」
その瞬間ドンと目に見えない稲妻が脳に響く。
「そのプラン魅力的だ……さすが聖書を日夜……」
バンと扉が閉まる。
(しょうもないことで、いちいち呼ばないで)
それは、妹なりに考えた「迷い猫の次の居場所」だった。
1時間後
雨で公園マップが封鎖された。
夜のログイン地点を失ったぼくは、濡れた道路を避けるように橋の下へ潜り込む。
コンクリートの天井に雨粒が当たり、一定間隔で「ピチ、ピチ」と環境音が鳴る。
反響のせいで空間は妙に広く感じる。ここは誰も来ない簡易インスタンスダンジョンだ。
ギターケースを下ろし、壁にもたれる。
「……今日はここで練習するか」
カチャリ。
ケースを開けた瞬間、視界の端で何かが光った。
《未確認ユニットを発見》
――二つの双眸。
橋脚の陰。段ボール箱の横。雨の匂いの中で、野良猫がこちらを見ている。
近づかない。
逃げもしない。
ただ、見ている。
【観測者:野良猫】
レベル:???
属性:中立
会話:不可
推定行動:雨宿り
(なんだこのNPC……)
普通の敵なら襲ってくる。普通の通行人なら無視して去る。
だがこいつは違う。こちらの行動を待っているように見える。
ぼくはそっとギターを構えた。
ジャラーン。
橋の下に和音が反響する。
猫の耳がピクリと動いた。
逃げない。
もう一度弾く。今度は少し静かに。
ジャーン……。
雨音と混ざり、音がゆっくり天井へ吸い込まれていく。
リアクション判定。
猫は動かない。
敵対フラグは立っていない。
(……通った?)
なぜかそんな気がした。
ぼくはそのまま耳コピ練習を始める。動画を巻き戻し、単音を探し、半音ずつフレットをずらす。
高すぎれば外れる。
低すぎれば沈む。
ちょうど重なった瞬間だけ、音が橋脚の空間で綺麗に止まる。
ジャキィン。
その一致を確認した時、猫がゆっくり瞬きをした。
《観測者の視線が変化した》
好感度が上昇した気がした。
もちろん、ただの気のせいだ。
猫はゲームじゃない。
経験値も称号も落とさない。
それでも。
誰にも見られていないと思っていた夜に、あの二つの双眸だけは、ずっとこちらを見ていた。
雨が少し弱くなる。
何も言わず、ただ毛づくろいを始めるその動作に、僕は唐突な衝動を覚える。
――コードを変え、声を乗せる。
━━━━━━━━━━━━━━
欄干に 雨がバシャバシャ その下の 猫とぼく
タゲはお互い 無い ないけれど
きみは その暗闇で 目を大きくし
なんだか不思議なきもち
ぼくをただ見つめる
しゃらん。
━━━━━━━━━━━━━━
演奏が終わる。
猫は尻尾を一度だけ揺らし、橋脚の闇へと溶け込むように消えていった。
《イベント終了》
称号獲得:『雨宿りの演奏者』
※効果は不明。
1時間ほど。
一人で弾いていたらスマホがブルッとなる。
「ポテチ買ってきて」
彼女の雑な指示。
溜息を吐き。
雨の中、コンビニでポテチを買って帰宅する。
(そんなことないよぜったい)
リビングから妹の声がする。
友達と通話しているのだろう。
2階へ戻り荷物を置き、リビングへ。
「これでいいか? で何の用だ」
袋を妹に投げ渡した。
灰実が聞くと、妹は一拍置いてから言った。
「タケル、明日退院」
一瞬、意味が遅れて届く。
(タケル)
(退院)
(病院の、あの3DSの)
頭の中で単語が並び替えられていく。
「……どうして分かる」
妹は3DSを軽く見せる。
画面には、すれ違い通信の履歴。
小さな村データ。
更新日時。
そして、ひとつの変化ログ。
「退院予定:明日」
(データが、そんなことまで)
灰実は少しだけ黙る。
「で、それを俺に?」
妹は肩をすくめた。
「暇そうだったから」
その言い方は、雑だった。
でも、意図は明確だった。
(伝える必要があると判断した)
それ以上でも以下でもない。
灰実はギターケースを持ち直す。
「行くか」
「うん」
妹はもうそれ以上何も言わない。
廊下を歩く。
白い壁。
一定間隔の扉。
誰かの生活の続き。
(タケルが、退院)
それは“イベントクリア”のようでいて、
どこか現実味が薄い。
そのとき灰実は気づく。
この病院という場所は、
誰かが治る場所というより――
「状態が更新され続ける場所」だ。
そしてその更新は、
誰かの手ではなく、タケルがログイン地点を変える。
(明日にはいなくなる)
小さな意志と状況で進んでいる。
灰実はギターケースを握り直した。
今日はまだ、家で何も弾いていない。
それなのに、指先が少しだけ落ち着かない。
(また、何か始まる)
そういう予感だけが、静かに残ってい




