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徹子の旅  作者: 堺大和
八木新宮線から伊勢路
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4/12

4 五新線から

五條バスセンターを出発すると

市街地は少しづつ後ろへ遠ざかっていった

車窓の向こうには吉野川が見える

川幅は広く

水は朝の日差しをうけて銀色に光っていた

徹子は窓へ少し身を寄せる

奈良県と言えば寺や神社の印象が強い

だが実際に来てみると

川と山の存在感が圧倒的だった

バスは川沿いの道を進んでいく

やがて道路脇に

不思議な構造物が見え始めた

高い築堤

真っ直ぐ伸びるコンクリート

周囲の地形とは少し違う人工的な線

徹子は思わず目を細めた

「あれが……」

五新線の遺構だった

旅行会社で働くようになってから知った名前

そして今回の旅で

少し楽しみにしていたものでもある

もし完成していたら

五條から新宮方面へ鉄道が伸びていたという

だが計画は途中で止まり

線路が敷かれる事はなかった

それでも構造物だけは残っている

徹子は目で追った

バスはカーブで曲がる

遺構は再び姿を現す

まるで道路と並走する幽霊鉄道のようだった

現役の鉄道会社で働く徹子にとって

その背景は不思議な感覚だった

鉄道は人を運ぶ

だが この場所では道路が

その役目を引き継いでいる

もし鉄道が完成していたら

この景色は違っていたのだろうか

そんな事を考えているうちに

バスは更に山へ近づいていく

そして突然 それは現れた

川の向こう

山の傾斜

空へ向かって伸びる巨大な橋脚

徹子は思わず息を飲んだ

建設途中で止まった鉄橋だった

完成する事なく

何十年もそのまま残されている

コンクリートの橋脚だけが

空へ突きだしていた

まるで時間が止まったようだった

バスはその下をくぐるように進む

ほんの数秒

だが徹子の目は離れなかった

近代的な道路

走るバス

そして完成しなかった鉄道

異なる時代が同じ景色の中に重なっている

不思議な光景だった

周囲の乗客は静かだった

地元の人にとっては

見慣れた景色なのかもしれない

だが徹子には強く印象に残った

スマートフォンで写真を撮ろうかと思った

だが止めた

窓の外を流れる景色として

覚えておきたかった

やがて五新線の遺構は少しづつ離れていく

道路は山の方へ向きを変える

カーブが増える

民家も少なくなる

山が近い

さっきまで遠くに見えていた稜線が

今は目の前に追っていた

徹子は窓の外を見ながら思った

ここから先は もう奈良盆地ではない

本当の紀伊山地へ入っていくのだ

そして

この旅はまだ始まったばかりだった



五新線の遺構が見えなくなる頃には

周囲の景色はすっかり変わっていた

平地が少なくなっている

道路は山へ向かって伸びていた

バスはゆっくりと高度を揚げ始める

カーブ

またカーブ

さらにカーブ

徹子は窓の外へ視線を向けた

道路の先が見えない

曲がったと思ったら

直ぐにカーブが現れる

まるで山の傾斜へ糸を巻き付けるように

道が続いていた

車内アナウンスが流れる

天辻峠方面へ向かう案内だった

徹子は少し身を乗り出す

旅行会社で働いていると

地名だけは知っている

だが実際に来るのは初めてだった

奈良と紀伊を結ぶ難所

昔から人の往来を阻んできた場所

その言葉の意味が

少しずつ分かり始めていた

バスは右へ大きく曲がる

続いて左

さらに右

身体が自然と揺れる

徹子は座席の手すりを握った

窓の外を見る

また山

何処をみても山だった

しかも近い

大阪や奈良盆地で見る山とは違う

壁のように追って来る

谷は深く 斜面は急だった

徹子は思わず苦笑いする

「これ……酔う人おるやろうな……」

独り言のように呟く

幸い自分はまだ大丈夫だった

だが窓の外を見ていないと

少し危ない気もする

視線を落とすと酔いそうだった

だから景色を見続ける

それだけでも退屈しなかった

次々と現れるカーブ

小さな集落

山肌に張り付くような家々

時折現れるトンネル

その一つ一つが

この土地で暮らす大変さを物語ってる

バスは更に登る

エンジン音が少し大きくなる

車体は大きい

それなのに運転手は迷いなく

カーブを曲がっていく

対向車とすれ違う

大型トラック

乗用車

工事車両

ギリギリの幅だった

徹子は思った

鉄道会社でも運転士や車掌は凄いと思う

だが この道を毎日走る運転手も

相当な技術が必要なのではないか

窓の外には新しいトンネルが見えた

そして少し離れた場所には

古い道も見える

うねうねと山肌へ張り付く旧道

その横を真っ直ぐ伸びる新しい道路

時代が変わるたびに

人は少しずつこの山を越えやすく

してきたのだろう

だが それでも簡単な場所ではない

徹子はスマートフォンの地図を開いた

驚いた

かなり進んだ気がしていた

だが地図の上では

まだ旅の序盤だった

新宮までは まだ四時間半以上ある

思わず笑ってしまう

「まだ半分も行ってへんやん……」

だが不思議と嫌な気持ちにはならなかった

むしろ面白かった

時間をかけて進む

少しずつ景色が変わる

山が近づき 空気が変わる

その全部を身体で感じながら移動している

旅とは 

本来こういうものなのかもしれない

バスは更にカーブを曲がる

その先に長いトンネルが見えて来た

天辻峠が近づいていた



長いトンネルの入り口が近づいてくる

バスは速度を落としながら

その暗闇へ吸い込まれていった

天辻トンネル

徹子は窓の外を見つめる

さっきまで続いていた山の景色が

一瞬で消える

車内にはエンジン音だけが響いていた

奈良と紀伊を隔ててきた難所

昔なら何時間もかけて峠を

越えていたのだろう

そう思うと

このトンネル一本に込められた

技術の大きさが少しだけ分かる気がした

やがて前方に光が見え始める

出口だった

バスがトンネルを抜ける

その瞬間 景色が変わった

道路は今度は下り坂へ転じていた

山肌に沿うように続く道路

右へ

左へ

再び右へ

カーブは相変わらず続く

だが先程までの登りとは少し違う

今度は谷へ向かって下っていく感覚だった

徹子は窓へ顔を近づける

遠くまで山が見える

幾重にも重なった稜線

その向こうにも山

さらに向こうにも山

紀伊山地の大きさが少しずつ見えてきた

大阪からたった数時間

それなのに別世界だった

小さな集落が見える

道路脇に商店らしい建物もある

看板は少し色褪せていた

車でなければ立ち寄れないような場所

徹子は思う

こういう場所に泊まる旅も面白そうだ

旅行会社のパンフレットには載らない様な宿

昔から続いている食堂

そんな場所が

この山の中にはまだ残っている気がした

バスはさらに下っていく

窓の外に川が見えた

青く澄んだ流れだった

車内アナウンスが流れる

星のくに

その名前に徹子は少し反応した

聞いたことがある

旅行資料でみた記憶があった

星が美しい場所

都会では見られない夜空が広がる場所

名前だけで少し言ってみたくなる

バスは停まらず通過する

窓の外には施設や建物が一瞬見えた

だが直ぐに山が視界を埋めた

紀伊半島では

人の暮らしより山の方が圧倒的に大きい

そんな気がした

さらに進む

谷は深くなっていく

山の斜面には木々がびっしりと生えていた

道路は高い場所を通っている

窓の下を見ると少し怖い

落ちたら大変そうだ

徹子は視線を前へ戻した

その時だった

川が見えた

車窓の右側

山の間を流れている

陽の光を受けて輝いていた

天の川

名前だけなら 空にあるものを想像する

だが今目の前にあるのは

本物の川だった

徹子は少し微笑んだ

ただそれだけなのに ずっと見ていられる

スマートフォンを見る回数も減っていた

大阪を出た頃は何度も

時刻や地図を確認していた

今は違う

景色の方が面白かった

バスは更に南へ向かう

カーブを曲がる

谷を渡る

また曲がる

そして紀伊山地の奥へ奥へと進んでいく

やがて遠くの山並みの向こうに

何か細い線のようなものが見え始める

だがまだよくわからない

その正体を知るのは

もう少し先だった

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