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徹子の旅  作者: 堺大和
八木新宮線から伊勢路
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3/12

3 大和八木から五條

大和八木駅前へ出ると

日差しは既に強かった

九月とはいえ 

奈良の空気にはまだ夏が残っている

駅前ロータリーには

何台ものバスが出入りしていた

路線バス

高速バス

行き先表示が次々と変わっていく

徹子はリックの肩紐を持ち直した

スマートフォンで保存していた案内図を

確認する

八木新宮線

新宮駅行

乗り場は直ぐに見つかった

思わず足を止める

そこに停まっていたバスは

ごく普通の路線バスだった

観光バスではない

特別な塗装もない

何処にでもありそうな奈良交通の路線バス

だが行き先表示だけが違う

新宮駅

その文字を見た瞬間ようやく実感が湧いた

本当に行くのだ

紀伊半島の南端まで

しかも このバス一台で

徹子は小さく笑った

「やっぱり 長すぎるやろ」

バス停には十人ほど人が並んでいた

登山靴を履いた男性

大きなリックを背負った外国人旅行者

地元のお年寄り

学生らしい若者

観光客だけではない

生活路線なのだと解る顔ぶれだった

徹子は列の後ろへ並ぶ

発車迄まだ少し時間がある

運転席では運転手が出発前の確認をしていた

車内一つ一つを丁寧に確認している

徹子は無意識にその様子を見ていた

鉄道会社に勤めているせいかもしれない

安全確認の仕草は

職種が違ってもどこか似ている

そう思った

やがて乗車開始の案内が流れる

乗客がゆっくり車内に入っていく

徹子も列に続いた

整理券を取る

冷房の効いた空気が心地よい

車内は二列掛けの座席が並んでいた

派手さはない

だが座席は思ったよりゆったりしている

徹子は左側の窓際へ腰を下ろした

黒いリックを膝の上に置く

窓の外には大和八木駅

タクシー 

通勤客

近鉄電車

まだ日常の景色だった

だが数分後には

その日常から少しずつ離れていく

徹子はスマートフォンを取り出した

時刻表をもう一度見る

大和八木

五條

上野地

十津川温泉

本宮大社前

新宮駅

知らない地名が並んでいる

まるで別世界への案内図みたいだった

車内アナウンスが流れる

本日は 新宮駅まで運行します

徹子は窓の外へ視線を向けた

空は高い

まだ夏の青さが残っている

だが風は少しだけ変わり始めていた

徹子の紀伊半島の旅が

ようやく動き始めた



発車時刻になると

バスは静かに動きだした

大きな振動は無い

ゆっくりとロータリーを抜け

橿原市街を走っていく

徹子は窓の外を見つめた

まだ見慣れた景色の延長

住宅地

コンビニ

ドラッグストア

郊外型の店舗

大阪を出たばかりの徹子には

何処か親しみのある風景だった

車内には二十人ほどの乗客が乗っている

ほとんどが静かだった

会話も少ない

観光バスのような賑やかさはない

地元の人もいれば 旅行者らしい人もいる

其々が其々の目的地へ向かっている

徹子は少しだけ安心した

長時間乗るバスだから

騒がしい車内だったらどうしようかと

思っていた

今 

新宮を早朝に出た大和八木の駅に向かう

始発バスとすれ違った

そして市街地を抜ける

窓の外に田んぼが増え始めた

九月の稲はまだ青さを残している

遠くに山並みが見える

奈良盆地の南端が近づいていた

徹子はスマートフォンの地図を開く

画面の上では

まだほんの少ししか進んでいない

旅は始まったばかりだった

不思議と焦る気持ちは無かった

むしろ今日は

その遅さを楽しもうと思っていた

電車なら一瞬で通り過ぎる景色が

ゆっくり流れていく

交差点で信号待ちをする

何気ない風景を眺めているうちに

徹子の方の力が少しずつ抜けていった

やがて車内アナウンスが流れる

次の停留所が告げられる

聞いたことのない地名が増えていく

徹子は少し笑う

旅行会社で働いているのに

知らない場所はまだ沢山ある

だから旅は面白いのかもしれない

窓の外には近鉄吉野線が見えた

離れる

更に進むとJR和歌山線も見える

徹子は無意識に目で追った

鉄道会社で働くようになってから

どうしても線路は気になる

だがこの先には鉄道が届かない地域が

広がっている

今日 自分が乗っているこのバスが

その代わりに担っている

そう思うと少し不思議だった

バスはゆっくり南へ向かう

だが山はまだ遠い

本当の紀伊半島は

まだ入り口にも届いていなかった


バスは奈良盆地を南に進み続けた

車窓には田んぼが広がり

その向こうに山並みが見える

途中の停留所では

地元の人が乗ったり降りたりしていた

観光客ばかりではない

この路線が地域の

生活を支えている事が分かる

徹子は窓の外を眺めながら

お茶を一口飲んだ

思っていたよりも乗り心地が良い

座席もゆっくりしている

六時間以上乗る路線だからだろうか

やがて市街地が近づいて来た

大きな建物が見える

車の数も増える

車内アナウンスが流れた

「まもなく 五條バスセンターです」

徹子は窓の外を見る

立派なバスセンターだった

バスが静かに停車する

ここで最初の休憩だった

乗客たちが次々と降りていく

徹子もリックを背負い 車外にでた

外の空気は思ったより暑い

まだ夏が残っている

大和八木を出てから一時間半ほど

それなりに移動した気になっていた

だが

ここから新宮まではまだまだ長い

バスターミナルの隣には

大きなイオンがあった

徹子は歩いて向かう

ふと目の前に牛丼屋があった

少し心が揺れる

温かいものも食べたい

だが休憩時間は限られている

もし注文が混んでいたら

間に合わないかもしれない

徹子は苦笑いした

「今日はやめとこう」

その呟き イオンへ入る

冷房が気持ち良い

店内には地元の買い物客が

行き交っている

旅行中というより

普通の生活空間だった

惣菜売場へ向かう

お弁当とお茶

それから小さな菓子パンを一つ

午後の長い移動に備えて買っておく

レジを済ませ 

急いでバスターミナルへ戻る

その途中だった

一台の奈良交通のバスが

ゆっくり入って来る

行き先表示を見る

「大和八木駅」

徹子は思わず立ち止まった

新宮からやって来た便だった

朝 橿原市内ですれ違ったバスと

同じ路線

だが今度は目の前にいる

車体には山道を走ってきた跡が

残っているように見えた

徹子は時刻を確認する

新宮を朝に出発した二便目

それが今ようやくここまで来たのだ

徹子は遠くを見る様な気持ちになった

新宮

まだ見ぬ終点

そこから来たバスが目の前にいる

そして自分は

此れからその場所へ向かう

距離の感覚が急に現実になった

大和八木から一時間半

それでも旅はまだ入り口だった

徹子は乗車口へ向かう

運転手が出発準備を始めている

乗客たちも戻って来た

席に座る

買った弁当を足元へ置く

窓の外では 新宮から来たバスが

ゆっくり出発していく

その姿を見送りながら 徹子は思った

「ほんまに遠いんやな……」

バスは静かに発車した

そして 前方には

いよいよ山々が近づいていた

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