第5話 黒歴史ノート事件
はい、先に言っておきます。
今回は、わたしにとって、人生最大の危機です。
先週の「恋のキューピッド事件」なんて、比べものになりません。
なぜなら。
お姉ちゃんが、見つけてしまったのです。
例のノートを。
水曜日、朝七時。
部屋に、ガサゴソという音が響いていた。
目をあけると、お姉ちゃんが、わたしのクローゼットの奥に、上半身ごと突っこんでいた。
「……なにしてるの」
「宝探し」
「出て! 今すぐ出て!」
「あんた、絶対なにか隠してるでしょ。先週から、クローゼットの前を通るたびに、視線がきょどってた」
「そんなことない!」
「あ、あった」
お姉ちゃんが、クローゼットから、ゆっくりと身体を引き抜いた。
その手に、ピンク色の、小さなノートがあった。
表紙には、シールが貼ってある。
星と、ハートと、ちょっと下手なうさぎのイラスト。
そして、油性ペンで、大きく。
『ゆずのひみつ♡ ぜったいみるな!!』
「ぎゃあああああ!」
「うわ、すごい。見るなって書いてある」
「見ないで! 返して! お願い!」
「あんた、これ、いつの?」
「小五! 小五のとき! もう捨てたと思ってたのに!」
わたしは、ベッドから飛び起きて、お姉ちゃんに飛びかかった。
お姉ちゃんは、ひらりとかわした。
幽霊のくせに、動きが素早い。
「ふむふむ。『きょうは、たかはしくんにはなしかけられた。うれしかった。でも、へんじがうまくできなかった』」
「朗読しないで!」
「『かえりみち、ひとりでれんしゅうした。おはよう。おはよう。おはよう』」
「やめてええええ!」
「いいじゃん、かわいいじゃん」
「かわいくない! 地獄だよ!」
わたしは、枕を投げた。
お姉ちゃんは、枕をキャッチして、笑いながら、さらにページをめくった。
わたしは、頭をかかえて、床にうずくまった。
もう、終わりだ。
人生が、終わる。
幽霊に黒歴史を朗読されて死ぬ人間なんて、世界でわたしだけだ。
……いや、まてよ。
死ぬのは、お姉ちゃんの方か。
いやいや、そういう問題じゃない!
そのうち、お姉ちゃんの声が、ふいに止まった。
あれ?
わたしは、おそるおそる顔を上げた。
お姉ちゃんは、ノートのあるページを、じっと見ていた。
さっきまでの、ふざけた顔は、どこにもなかった。
「……お姉ちゃん?」
返事がない。
わたしは、立ち上がって、そっとのぞきこんだ。
ページには、つたない字で、こう書いてあった。
『おねえちゃんは、すごい。なんでもできる。かおもかわいい。
わたしも、おねえちゃんみたいになりたい。
でも、むり。ぜったいむり。
だって、わたしは、おねえちゃんじゃないから』
顔が、一瞬で熱くなった。
「……あの、それは、その」
言い訳しようとして、言葉が出てこなかった。
これは、完全に、見られたくなかったやつだ。
あれは、小五の冬。
お姉ちゃんが、中学受験に受かって、家じゅうがお祝いムードだった日。
わたしは、ひとりで、自分の部屋で、そのノートを書いていた。
嬉しかった。
本当に、お姉ちゃんのことを、誇らしく思っていた。
それなのに、同時に。
どうしようもなく、さびしかった。
お母さんも、お父さんも、お姉ちゃんの話ばかりで。
わたしは、その輪の、外側にいるみたいで。
……あれ、お父さんは。
って、いけない、今は関係ない。
「ごめん、忘れて。ほんと、ただの子どもの落書きだから」
わたしは、ノートを取りあげようとした。
でも、お姉ちゃんは、手を離さなかった。
「柚」
「なに」
「これ、わたしが、読んでよかったやつ?」
「……だめだよ。だめに、決まってる」
「そっか」
お姉ちゃんは、ノートを、ぱたんと閉じた。
それから、わたしの顔を見た。
しばらく、何も言わなかった。
こんなお姉ちゃんの顔、はじめて見た。
笑ってもいない。
からかってもいない。
ただ、まっすぐに、わたしを見ていた。
「……ごめんね」
「え?」
「いや、勝手に読んだこと。ほんとに、ごめん」
「べ、別に。もういいよ」
どうして、謝るの。
いつもみたいに、バカにして、笑えばいいのに。
調子が狂う。
すごく、狂う。
「あのさ」
お姉ちゃんは、ノートを、わたしの手にそっとのせた。
「これ、捨てないでね」
「は? 捨てるに決まってるでしょ、こんな黒歴史」
「だめ。持ってて」
「なんで」
「いいから」
お姉ちゃんは、にっと笑った。
いつもの笑顔だったけど、ちょっとだけ、ぎこちなかった。
「その代わり、もう朗読はしないから。約束」
「……ほんとに?」
「ほんと」
「約束だからね!」
「はいはい」
わたしは、ノートを、クローゼットの奥に戻した。
でも、なぜか、捨てる気にはなれなかった。
その日の夜は、ふたりとも、いつもよりちょっとだけ静かだった。
晩ごはんは、ハンバーグ。
お母さんが、わたしの分と、もうひとつ、お皿を出した。
「……あ」
お母さんは、そこで、固まった。
それから、そっと、お皿を戻した。
先週と同じ。
お姉ちゃんは、お母さんの隣で、それをじっと見ていた。
わたしは、見ないふりをして、ハンバーグを食べた。
味が、よくわからなかった。
部屋に戻ると、お姉ちゃんは、わたしの机の前に座っていた。
ペン立てから、黄色の蛍光ペンを取りだして、くるくる回している。
「ねえ、柚」
「なに」
「わたしさ」
お姉ちゃんは、ペンを回す手を止めた。
「……ううん、やっぱ、なんでもない」
「なにそれ。気になるじゃん」
「気にしなくていい」
「言いかけたなら、最後まで言ってよ」
「やだ」
「ずるい」
「ずるいよ、わたしは」
お姉ちゃんは、笑った。
その笑顔が、なんだか、遠く見えた。
わたしは、それ以上、聞けなかった。
聞いたら、何かが、壊れてしまいそうで。
壊れるって、なにが。
わからない。
でも、怖かった。
布団に入って、電気は、ついたまま。
目をとじる前に、お姉ちゃんの方を見た。
まだ、そこにいる。
それだけで、ちょっと安心した。
明日の朝には、いない。
それがわかっているから、余計に。
今、ここにいてくれる時間が、ぎゅっと、あたたかく感じた。
「おやすみ、ちび」
「……おやすみ、お姉ちゃん」
はじめて、ちゃんと返事をした。
お姉ちゃんが、ちょっと驚いた顔をした気がした。
でも、それを確かめる前に、わたしは、眠りに落ちていた。




