第3話 姉、登校する
重い。
目を開ける前から、そう思った。
胸のあたりに、何かが乗っている。
金縛り?
それとも、猫? うち、猫いないけど。
おそるおそる、目を開けた。
お姉ちゃんの顔が、三十センチの距離にあった。
「うわあああああ!」
「おはよー。やっと起きた」
「近い! 近い近い近い!」
お姉ちゃんは、わたしのお腹の上に、あぐらをかいて座っていた。
重いのは、お姉ちゃんだった。
幽霊なのに、ちゃんと重い。理不尽すぎる。
「どいて! 息できない!」
「あんたの寝顔、観察してた。よだれ、垂れてたよ」
「うそ!」
「うそ。でもびっくりしたでしょ」
「……降りて」
「はいはい」
ようやく解放されて、わたしは枕もとの目覚まし時計を見た。
六時四十分。
水曜日。
そして、お姉ちゃんが、いる。
朝から。
先週も先々週も、お姉ちゃんが現れたのは、学校から帰ってきたあとだった。朝になったら消えていて、わたしはひとりで目を覚ました。
それが、今日は。
「……なんで、朝からいるの」
「わかんない。目が覚めたら、この部屋にいた」
「目が覚めたって、寝てたの?」
「寝てない。でも、気分的には目が覚めた感じ。てか、あんた、寝言で『プリンもう一個』って言ってたよ」
「言ってない!」
「言った」
「言ってないってば!」
たぶん。
……言ってたかも。
それはさておき。
これは、ちょっと大きな変化だ。
今までは、「夜のあいだに、いなくなる」だった。
でも今日は、「朝から、いる」。
つまり、今日は一日中、お姉ちゃんと一緒?
それって、すごく。
……すごく、面倒くさいことなのでは?
「えっ、学校ついてくる気?」
「だって、暇じゃん」
朝ごはんのあと、制服に着がえていたら、お姉ちゃんが当然みたいな顔で玄関に立っていた。
「うちにいればいいでしょ。お母さんも出かけるし、テレビでも見てて」
「飽きた」
「まだ朝だよ!」
「あんたの高校、行ってみたいんだよね。わたし、中学も違ったから、一回も行ったことないし」
そういえば、そうだった。
お姉ちゃんは、中学から私立で、電車で通っていた。
わたしの学校は、家から歩いて十分の、ふつうの公立。
行ったことがないのは、本当だ。
「……おとなしくしててよ?」
「するする。わたし、超おとなしいから」
その言葉ほど、信用できないものはない。
結論から言います。
地獄でした。
「へえー、ここが柚の教室かあ。思ったより狭いな」
お姉ちゃんは、わたしの隣の空いている席の上に、どかっと座るみたいな格好で浮かんだ。
学校の椅子には、さわれないらしい。足の先が、床からほんの少しだけ浮いている。
……って、そんな観察をしている場合じゃない。
わたしは、必死で無視した。
教室で、独り言をしゃべるわけにはいかない。
ただでさえ、数学の授業で「プリンです」って答えた事件のせいで、変なあだ名がつきかけているのに。
「あ、あの子が彩ちゃん? お葬式に来てくれてた子だよね。かわいいじゃん。ほら、挨拶しなよ」
しない。
「あっちの男子、寝てる。ウケる」
見ない。
「黒板の字、きたなっ。あの先生、字、ヘタすぎない?」
それは同意する。
でも、反応しない。
わたしの顔は、たぶん、ものすごい形に固まっていたと思う。
「柚、なんで顔こわばってんの?」
彩が、のぞきこんできた。
「えっ! いや、ちょっと、歯が痛くて!」
「歯医者行ったほうがいいよ」
「そ、そうだね!」
お姉ちゃんが、後ろで声を殺して笑っていた。
絶対、わざとだ。
ほんと、この人。
一限目が始まっても、お姉ちゃんはおとなしくなんかしなかった。
先生の背後で、先生の動きを完全にコピーしはじめたのだ。
手を上げれば上げ、メガネを直せば直し、咳ばらいをすれば咳ばらいをする。
しかも、ちょっとオーバーに。
ぶっ。
「橘さん?」
「す、すみません! なんでもないです!」
わたしは、教科書で顔を隠した。
やめて、お姉ちゃん。
お願いだから。
このままだと、わたし、笑い死ぬ。
いや、死ぬのはお姉ちゃんだけで十分だけど。
……って、それは、ブラックすぎるか。




