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第19話 土曜日の、お墓

 その週の土曜日、わたしは、お母さんの後ろを、こっそり歩いていた。


 お母さんは、お墓に行くのだ。


 日曜日じゃなくて、土曜日の、夕方に。


「ちょっと、お散歩してくるわね」


 そう言って出ていったけど、片手には、白い菊の花束。


 お散歩の格好じゃない。


 お母さんは、たぶん、わたしがついてきているのを、わかっている。


 ……わかっていて、気づかないふりをしている。


 うちの家族は、そういうところが、そっくりだ。


  


 坂道の途中で、先に着いている人影が見えた。


 お父さんだった。


 缶コーヒーを、墓石の前に置いて、手を合わせていた。


 お母さんの足が、ぴたっと止まった。


 わたしも、あわてて、木のかげに隠れた。


 心臓が、ばくばくいっている。


 お父さんが、人の気配に気づいて、顔を上げた。


「……あ」


「……どうも」


 どうも、って。


 もっと、他に、言うことあるでしょ。


 木のかげで、わたしは、ひとりで、頭をかかえた。


 ふたりは、墓石をはさんで、しばらく、黙っていた。


 風の音だけが、ざわざわ、鳴っている。


「……土曜日だったのね」


「ああ。日曜は、お前が来るだろうから」


「知ってたの」


「ずっと、知ってた」


「そう」


 お母さんは、菊の花を、墓石の前に置いた。


 お父さんの缶コーヒーの隣に。


 白い花と、黒い缶。


 ならんでいるのが、なんだか、おかしかった。


「あの缶コーヒー」


 お母さんが、ぽつんと言った。


「あの子、ブラック、飲めなかったのよ」


「……知ってる。砂糖、五本だろ」


「そう」


「ひと口で、『にがっ』って」


「ふふ」


 お母さんが、笑った。


 お父さんも、ちょっとだけ、笑った。


 笑った顔の、目じりが、くしゃっとなる。


 お姉ちゃんと、そっくりの顔。


「カレーに、入れてたでしょう。インスタントコーヒー」


「……ああ」


「あなたが、毎回、残さず食べるから、あの子が、真似したがったの。隠し味、わからなくて、ノートに、りんごとか、はちみつとか書いてた」


「そうか」


「二十回、失敗してたわよ。かわいそうに」


「それは、見たかったな」


 お父さんは、ちょっと、泣きそうな顔で、笑っていた。


 そのとき、お母さんが、言った。


「柚が、言ってたの。あの子、毎週水曜日に、帰ってくるって」


「……ああ」


「聞いてたの?」


「柚から、メッセージで、ちょっとだけ」


 びくっとした。


 そういえば、日曜に会ったあと、「お姉ちゃんのこと、いつか話すね」って、送ったんだ。


 お父さん、ちゃんと、読んでたんだ。


「信じたの?」


「信じたい、と思った」


「わたしも」


 お母さんは、墓石を、じっと見た。


「信じたいのよ。あの子が、まだ、近くにいるって」


「うん」


「でも、そのうち、行ってしまうんでしょうね」


 お母さんの声は、すごく、静かだった。


「だから、その前に。……あなたに、会っておきたかったの」


「…………」


「ちゃんと、怒ってもいないのに、怒ったふりをして、ごめんなさい」


 お父さんが、目を見ひらいた。


 それから、がばっと、頭を下げた。


「いや、俺のほうが、悪かった」


「そんなの、わかってるわよ」


「……うん」


「でも、茜は、きっと、わたしたちが、いつまでも、ケンカしてるのを、いやがってると思うの」


「ああ」


「だから、今日は、おしまい」


 お母さんは、そう言って、お父さんに、手をさしだした。


「握手」


「握手?」


「仲直りの、しるし」


 お父さんは、びっくりした顔のまま、その手を、にぎった。


 ぎこちなくて、不器用な、握手だった。


 それを、わたしは、木のかげから、こっそり、見ていた。


 ……見ていたら、目の奥が、じんとして。


 急いで、ごしごし、こすった。


 ゴミ、入った。


  


 水曜日。


 お姉ちゃんは、朝から、屋根の上にいた。


 わたしは、窓から、そっと出て、となりに座った。


 高いのは、まだ、こわい。


 でも、もう、膝は、ふるえなかった。


「どうだった、土曜日」


「え、なんで知って」


「見てたもん」


「……いたの!?」


「昼のあいだだけ、って言ったでしょ。夕方は、いないはずだったんだけどね。なんか、気になって、行っちゃった」


 お姉ちゃんは、へへっと笑った。


「お母さんとお父さんが、握手してた」


「うん」


「親指、立ててたね、お父さん」


「うん」


「わたし、リストの九番に、書いてあったんだ」


 お姉ちゃんは、ポケットから、ノートの切れ端を、取りだした。


 わたしが預かっていたはずなのに。


 そう言いかけて、気づいた。


 持っているのは、お姉ちゃんの、もうひとつの、リストだった。


 ひっそり、書いていたらしい。


『九、お父さんと、お母さんを、仲直りさせる』


 その横に、汚い字で、「済」。


「あんた、ほんとに、すごいよ」


「わたし、なんもしてないよ。お母さんが、自分で決めたんだもん」


「でも、あんたが、青いノート、見つけたから」


「それは、お姉ちゃんの部屋に、行こうって、言ったから」


「それは、お姉ちゃんが、……あー、もう、ややこしい!」


「あはは」


 ふたりで、笑った。


 笑いが、おさまったあと、お姉ちゃんは、空を見た。


 夕焼けのまえの、うすい水色の空。


「柚」


「うん」


「言っておかなきゃいけないこと、言うね」


 わたしは、息を、ゆっくり、はいた。


 来た。


「リストの、十番」


「うん」


「ずっと、内緒にしてたやつ」


「うん」


 お姉ちゃんは、一枚の紙を、わたしの膝の上に、のせた。


 切れ端の、いちばん下。


 六から九の、穴だらけの空白の、さらに、下。


 小さな字で、こう書いてあった。


『十、柚が、わたしがいなくても、大丈夫になる』


 世界の音が、すうっと、遠くなった。


 風の音も、遠くの車の音も。


 なんにも、聞こえなくなった。


「……え」


「最初から、書いてあったんだよ。このリストを作った日に」


「どういうこと」


「わたしが、こっちに来た理由。たぶん、これなんだ。ほかに、思いつかないもん」


 お姉ちゃんは、ふっと、笑った。


「死んだ人が、帰ってくる理由なんて、残された人が、ちゃんと、立てるようになるまで、見届けるため、くらいしか、ないじゃん」


「やだ」


 声が、勝手に、出た。


「やだ。そんなの、やだ」


「柚」


「だったら、わたし、大丈夫にならない」


「えっ」


「ずっと、泣いて、電気つけて寝て、笑ってごまかす。そしたら、お姉ちゃん、ずっと、来てくれるでしょ」


「ちょっと待って」


「だって、そうなんでしょ!?」


 お姉ちゃんは、目を丸くしていた。


 それから、ぷっと、吹き出した。


「ぶはっ」


「笑わないで!」


「ごめん。でも、あんた、本気で、そんなこと言ってるの?」


「本気だよ!」


「嘘つき」


 お姉ちゃんは、やさしい声で、言った。


「もう、あんた、そんなふうに、なれないよ」


「……なれるもん」


「彩ちゃんがいて、瀬戸くんがいて、お母さんがいて、お父さんがいて。コタロウにも、おばあちゃんにも、顔、覚えてもらってるじゃん」


「それは、お姉ちゃんが、いるから」


「ちがうよ。わたしが、いなくても、あんたの周りには、ちゃんと、人がいるの。あんたが、自分で、つくったんだよ」


 お姉ちゃんの声は、すごく、おだやかだった。


 わたしは、膝の上の紙を、ぐしゃっと、にぎった。


「……いつ、なの」


「わかんない」


「また、わかんない」


「ほんとに、わかんないんだよ。でも、たぶん、そんなに、遠くない」


 お姉ちゃんは、自分の手を、空にかざした。


 夕焼けが、手のひらを、すかして、オレンジ色に光っていた。


「だから、聞いてほしいの。わたしがいなくなるまでの、水曜日を」


「…………」


「ちゃんと、笑って、終わらせたい」


 わたしは、何も言えなかった。


 ただ、お姉ちゃんの肩に、頭を、こつんと、のせた。


 あったかかった。


 でも、前よりも、ずっと、軽かった。


「……ばか」


「うん」


「ほんと、勝手」


「うん、知ってる」


 夕焼けが、だんだん、濃くなっていった。


 わたしは、泣かなかった。


 泣いたら、本当のことになってしまう気がして。


 でも、お姉ちゃんの肩にのせた頭は、はなさなかった。


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