第13話 日曜日のハンバーグ
お父さんと会う日曜日は、文化祭の次の週になった。
あのあと、「文化祭の準備が忙しいから、一週間のばしてほしい」とメッセージを送ったら、お父さんは『わかった』とだけ返してきた。
短い。
わたしも短かったから、おあいこだけど。
駅前の改札の前で、お父さんは、本当に待っていた。
約束の十五分前なのに。
「……柚」
「久しぶり」
それだけ言って、ふたりとも、黙った。
お父さんは、ちょっと、痩せていた。
お母さんも痩せたけど、お父さんも痩せた。
うちの家族は、揃いもそろって、悲しいと痩せるタイプらしい。
わたしは、悲しくても、プリンを食べるタイプだけど。
……って、そんなこと考えてる場合か。
「あ、あの、ごはん、どこ行く?」
「柚は、何が食べたい?」
「なんでもいい」
「なんでもいい、が、いちばん困るんだけどな」
「じゃあ、お父さんが決めて」
「そうか。じゃあ、ハンバーグでいいか」
「いいけど」
「柚、小さいころ、好きだっただろ」
「わたし、もう高二だよ」
「そうか」
「お子さまランチ、頼まないからね」
「頼まないよ」
お父さんは、ちょっと、笑った。
笑い方が、お姉ちゃんに似ていた。
目じりが、くしゃっとなるところが。
それに気づいたら、変に、胸がざわざわした。
駅から歩いて五分のファミレス。
日曜のお昼だから、家族連れでいっぱいだった。
窓ぎわの席に、向かいあって座る。
お父さんは、メニューを、わたしの方に向けて、ずっとひらいていた。
自分は、見ない。
わたしがページをめくるたびに、さっと向きを直す。
気をつかいすぎだ。
「お父さんは、何にするの」
「柚と同じのでいい」
「それ、決めてないだけじゃん」
「そうとも言う」
結局、ハンバーグのセットをふたつ頼んだ。
お父さんは、ドリンクバーで、自分のぶんのコーヒーと、わたしのぶんのオレンジジュースを、持ってきた。
ブラックのコーヒー。
湯気の立つカップを見た瞬間、わたしは、息を止めた。
……やっぱり。
聞くなら、今だ。
でも、聞いたら、何かが変わってしまう気がする。
聞かなくても、たぶん、答えは、わかっている。
それでも。
「お父さん」
「ん?」
「お墓に、缶コーヒー、置いた?」
お父さんの手が、ぴたっと止まった。
カップが、受け皿に、かちゃんと音を立てた。
「……見たのか」
「うん。先々週、行った」
「そうか」
お父さんは、カップを持ったまま、しばらく、黙っていた。
それから、ふうっと息をはいた。
「毎週、土曜日の夕方に行ってる。お母さんが日曜に来るのは、知ってたから。かち合わないように」
「なんで、お母さんに会わないようにするの」
「会わせる顔が、ないんだよ」
お父さんは、笑おうとして、失敗した顔をした。
「茜が死んだとき、俺は、何もできなかった。お母さんが、いちばんつらいときに、そばにいなかった。……いてやる資格が、なかった」
「資格って」
「柚にも、そうだ。お葬式のとき、声をかけられなかった」
「わたしも、かけなかった」
「それは、俺が、かけにくい顔をしてたからだ」
お父さんの声は、静かだった。
静かだったけど、ふるえていた。
「ごめんな、柚」
ずるい。
ほんとに、ずるい。
そんな風に言われたら、怒れないじゃん。
わたしは、ずっと、お父さんに怒っていたはずなのに。
中三のとき、勝手に出ていって。
お姉ちゃんが死んだときも、ひとことも話しかけてくれなくて。
言いたいことが、山ほどあった。
なのに、いざ目の前にすると、全部、どこかに消えてしまった。
「……ブラックって」
「ん?」
「お姉ちゃん、ブラック飲めなかったよ。苦いって」
お父さんは、一瞬、きょとんとした。
それから、ふはっと、吹き出した。
「そうだった。あいつ、いつも砂糖五本入れてたな」
「そうなの!?」
「小学生のとき、コーヒー牛乳だって言って、ねだってきて。ひと口飲んで、『にがっ!』って、顔をしかめてた」
「それ、全然かわいくない」
「いや、かわいかったぞ」
「娘バカだ」
「娘バカだよ。二人とも」
お父さんは、あっさり言った。
わたしは、不意をつかれて、言葉につまった。
そこへ、ハンバーグが、運ばれてきた。
じゅうじゅう音を立てる、鉄板。
湯気で、ふたりとも、ちょっとだけ、視界がくもった。
ありがたかった。
「あのな、柚」
半分くらい食べたころ、お父さんが、フォークを置いた。
「茜は、定期的に、俺に会いに来てたんだ」
「……え?」
「月に一回くらい。大学に入ってから、ずっと。こうやって、ごはんを食べて」
フォークを持つ手が、止まった。
知らなかった。
そんなこと、お姉ちゃんは、一度も、言わなかった。
「母さんには、内緒にしてた。あいつ、変なところで気をつかうから」
「……なんで、わたしにも、内緒だったんだろう」
「柚が、俺に怒ってるのを、知ってたからだろうな」
お父さんは、コーヒーを、ひと口飲んだ。
「毎回、柚の話をしてくれた。高校に受かったときも、いちばんに連絡をくれたのは、茜だった。文化祭で、柚が、クラスの出し物でがんばってるって話も、聞いた」
「それ、今年の文化祭の話?」
「いや、去年のだ」
「……そっか」
「『柚、まじでがんばってるから、お父さん、いつか見に来てよ』って、言ってたんだけどな」
お父さんの声が、少し、かすれた。
「結局、見に行けなかった」
わたしは、何も言えなかった。
お姉ちゃんが、わたしの知らないところで、お父さんに、わたしの話をしていた。
わたしが、お父さんに怒っているのを、知っていて。
それでも、ずっと。
「……あの人、ほんとに、勝手だよね」
「ああ」
「人のプリン食べるし」
「プリン?」
「あ、ううん。こっちの話」
「勝手に、人の気持ちを、つなげようとして」
「うん」
「最悪だ」
「そうだな」
お父さんは、ふっと、笑った。
わたしも、つられて、ちょっと、笑った。
それから、わたしは、ずっと、聞けなかったことを、口にした。
「お父さん」
「ん」
「また、会ってもいい?」
お父さんは、ゆっくり、目を見ひらいた。
それから、うつむいて、鼻をすすった。
「……ああ。いつでも」
「お母さんにも、そのうち、会ってほしい」
「それは、ちょっと、時間がほしいな」
「うん。わかってる」
「でも、考えとく」
お父さんは、そう言って、ぎこちなく、親指を立てた。
その仕草が、お姉ちゃんと、そっくりだった。
笑い方も。
親指も。
ああ、お姉ちゃんは、お父さんに似てたんだ。
そんなことも、わたしは、知らなかった。
帰り道。
夕焼けの中を、ひとりで歩きながら、スマホを取りだした。
待ち受けの、海辺の写真。
空中に、手を差しだしている、わたし。
その隣に、誰も写っていない。
「お姉ちゃん」
小さな声で、呼んでみた。
返事は、ない。
今日は、日曜日だ。
水曜日まで、あと三日。
「聞いて。お父さんに、会ってきたよ」
当然、返事は、ない。
でも、わたしは、話しつづけた。
「缶コーヒー、お父さんだった。お姉ちゃんが言ってたとおり、毎週、置いてた」
風が、ふわっと、髪をなでていった。
わたしは、立ちどまって、空を見上げた。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
つぶやいた声は、夕焼けに、吸いこまれていった。
ちょっと、遅れて。
どこかで、コタロウが、ワンと一回、吠えた気がした。




