第12話 お母さんの、誕生日
十月の最後の水曜日は、お母さんの誕生日だった。
四十七歳。
お姉ちゃんいわく、「地味な数字」。
「そこ、笑うところじゃないから」
「わたし、笑ってないけど」
「顔が笑ってるの!」
朝から、お姉ちゃんは、ケーキの計画を、熱心に練っていた。
「ショートケーキ。絶対。いちご多めで」
「お母さん、モンブランが好きだよ」
「そうなの?」
「そうだよ。そんなことも知らないの?」
「……知らなかった」
お姉ちゃんは、ちょっと、固まった。
それから、リストの八番を、じっと見た。
『八、お母さんの誕生日』
「ねえ、柚」
「なに」
「わたし、お母さんのこと、あんまり知らなかったかも」
お姉ちゃんの声は、いつもより、ずっと小さかった。
「知ってるつもりだったんだけどね。でも、モンブランが好きって、いま、はじめて知った」
「……わたしも、最近、お姉ちゃんのこと、知らなかったなって思ってる」
言ってから、気づいた。
あ、これ、前にも、似たようなこと、思ったな。
「お互いさまだね」
「うん、お互いさま」
わたしたちは、顔を見合わせて、ちょっとだけ、笑った。
学校帰りに、駅前のケーキ屋さんに寄った。
モンブラン。
ショーケースの中に、ひとつだけ、残っていた。
「あと、ひとつです」
「それ、ください」
お金を払いながら、横目で、お姉ちゃんを見ると、ショーケースの前に張りついて、ケーキを、じーっと見つめていた。
目が、キラキラしている。
「……お姉ちゃんの分、買おうか?」
「えっ、いいの?」
「プリンも、食べられたし。ケーキも、いけるかも」
「やった!」
お姉ちゃんは、両手を上げて喜んだ。
わたしは、もうひとつ、いちごのショートケーキを買った。
……やっぱり、お姉ちゃんは、ショートケーキなんだよな。
家に帰って、わたしは、ショートケーキの箱だけ、お母さんに見つからないように、冷蔵庫の奥にしまった。
お姉ちゃんの分は、あとで、わたしの部屋で食べる。
お母さんの前で、フォークだけが宙に浮いたら、大事件になるから。
夜、お母さんが帰ってきた。
食卓に、モンブランの箱が、ぽんと置いてある。
「え? なに、これ」
「お母さん、誕生日おめでとう」
わたしは、ちょっと照れながら言った。
お母さんは、目を丸くした。
それから、ふっと、顔をくしゃっとさせた。
「……忘れてた。自分の、誕生日」
「ひどい」
「だって、去年は、茜が、ケーキ買ってきてくれたから。それで、思い出したの」
お母さんは、笑っていた。
でも、目は、ちょっと、赤かった。
「そうだったの?」
「うん。あの子、ショートケーキ買ってきて、『お母さん、これ好きでしょ』って」
「お母さん、モンブラン好きなのに?」
「そうなのよ。でも、あの子、勝手にショートケーキだと思ってて。毎年、まちがえるの」
お母さんは、おかしそうに笑った。
わたしは、隣のお姉ちゃんを、ちらっと見た。
お姉ちゃんは、口を、ぽかんと開けていた。
「……毎年、まちがえてた?」
「ぜんぜん、気づいてなかった」
お姉ちゃんが、小さく、つぶやいた。
「お母さん、何も言わなかった。ありがとうって、ちゃんと、食べてくれてた」
そうか。
お母さん、ずっと、お姉ちゃんの勘違いを、そのまま、受けとめてたんだ。
わたしは、モンブランの箱を、お母さんの前にさしだした。
「今年は、ちゃんと、モンブラン」
「あら、柚、ちゃんと覚えててくれたのね」
「うん」
お母さんは、お皿にモンブランをのせて、スプーンですくった。
一口、食べて、目をつぶった。
「……おいしい」
その表情が、あんまりにも、やさしくて。
わたしは、胸の奥が、ぎゅっとなった。
お姉ちゃんは、お母さんの隣に座って、お母さんの横顔を、じっと見ていた。
自分のケーキは、ここでは食べられない。
食べられないのに、お姉ちゃんは、ゆっくり、ゆっくり、お母さんがモンブランを食べるのを、見守っていた。
「……よかった」
お姉ちゃんが、小さく言った。
その声は、わたしにしか、聞こえない。
お母さんにも、聞こえてほしいのに。
聞こえないのが、悔しかった。
「ねえ、お母さん」
お母さんが、モンブランを食べ終わったあと、わたしは、勇気を出して、言った。
「ん?」
「お姉ちゃんなら、きっと、こう言うと思うんだ」
お姉ちゃんが、はっと、わたしを見た。
「え、ちょっと、柚、なに言うつもり」
「『お母さん、まちがえてごめん。でも、毎年、ちゃんと食べてくれて、ありがとう』って」
お母さんの動きが、止まった。
わたしは、続けた。
「あと、『お母さん、ちょっと痩せたから、ちゃんと、ご飯食べて』って」
「柚」
「あと、『お母さんの、カレー、世界で一番おいしかった』って」
お姉ちゃんの顔が、くしゃくしゃになっていた。
ぽろぽろ、涙がこぼれていた。
「やめてよ、柚、そんなの、言わなくていいのに」
「だって、言いたかったんでしょ?」
「……言いたかったよ」
お姉ちゃんは、手の甲で、ごしごしと涙をぬぐった。
お母さんは、わたしの顔を、じっと見つめていた。
それから、ゆっくり、笑った。
「……あなた、茜みたいなこと言うわね」
その言葉を、聞いたとき。
お姉ちゃんは、いつものように、「そんなこと言わないし」とは、言わなかった。
ただ、口を、ぎゅっと閉じて。
お母さんの方を、まっすぐ見て。
それから、ぽつんと、言った。
「……そうだよ。わたしだよ、お母さん」
お母さんには、聞こえていない。
でも、お母さんは、ふと、何かに気づいたみたいに、首をかしげた。
視線が、一瞬、お姉ちゃんのいる方向に、動いた。
「……変ね。今、あの子の声が、聞こえた気がしたわ」
「え」
「気のせいかしら」
お母さんは、そう言って、空になったお皿を、そっとテーブルに置いた。
お姉ちゃんは、手を口にあてて、肩をふるわせていた。
わたしは、見ないふりをした。
そのほうが、いい気がした。




