↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/30

第1話 後編

 そのとき、玄関の方で、がちゃ、と鍵が回る音がした。


「ただいまー」


 お母さんの声だ。


「やばっ!」


 わたしは、思わず立ち上がった。


 九時には、まだ早い。仕事、早く終わったのかな?


 っていうか、どうしよう。


 お母さんに、なんて説明すればいいの。


 お姉ちゃんが帰ってきた、って?


 絶対、びっくりして倒れる。いや、喜ぶ? それとも、わたしの頭がおかしくなったと思う?


「お姉ちゃん、隠れて!」


「えー、なんで」


「お母さんがびっくりするから!」


「大丈夫だって。わたし、感動の再会しますよ?」


「そういう問題じゃ……」


 言い終わる前に、お母さんが台所に入ってきた。


 スーパーの袋を両手に提げて、ちょっと疲れた顔で。


「あら、柚。いたの。今日は早く上がれたのよ。っていうか、電気ぐらいつけなさいよ」


 ……つけてますけど。


 お母さんは、まっすぐ冷蔵庫の方に歩いてきた。


 お姉ちゃんの真ん前に。


 ぶつかる、と思って、思わず目をつぶった。


 でも、何も起こらなかった。


 おそるおそる目を開ける。


 お姉ちゃんが、ひょいっと横によけただけだった。


 それなのに、お母さんは、そこにお姉ちゃんがいることに、まったく気づいていない。


 これって。


 見えてないってこと?


 お姉ちゃんは、お母さんの顔の前で、ひらひらと手を振ってみせた。


「お母さーん。おーい」


 反応なし。


「えっ、まじで見えてないの? ウケる」


 ウケないよ!


 わたしは、両手で口をおさえた。


 お姉ちゃんが、お母さんの後ろで変顔をはじめたから。


 ほっぺたを思いっきりふくらませて、目を寄せて、鼻の穴をひろげて。


 ぶはっ。


「柚? どうしたの?」


「な、なんでもない! ちょっと、むせただけ!」


「大丈夫? お茶でも飲む?」


「いらない!」


 お姉ちゃん、やめて!


 笑いそうになるから!


 お母さんは、スーパーの袋から、食材を出して冷蔵庫に入れはじめた。


 そのあいだも、お姉ちゃんは後ろでダンスをしていた。


 なんでこの人、死んでもこんなに元気なの。


 ……お母さん、ちょっと痩せたな。


 ふと、そんなことを思った。


 お姉ちゃんも、同じことを思ったみたいだった。


 ダンスをやめて、お母さんの背中を、じっと見ていた。


 さっきまでの、おちゃらけた顔じゃなかった。


「……お母さん、痩せたね」


 小さい声だった。


 わたしにしか聞こえない声。


 わたしは、何も言えなかった。


「晩ごはん、今から作るから。柚、手伝って」


「うん」


 お母さんは、棚から、お茶碗を三つ取り出した。


 そこで、ぴたりと動きをとめた。


 三つ。


 お母さんも、わたしも、お姉ちゃんも。


 お母さんは、しばらく手の中の茶碗を見つめていた。


 それから、何も言わずに、ひとつを棚に戻した。


「……ごめん、二人分でよかったね」


 お母さんは、笑った。


 ちょっと、うまく笑えていなかったけど。


 わたしは、また、胸の奥がぎゅっとなった。


 お姉ちゃんは、何も言わなかった。


 ただ、いつもの顔で、そこに立っていた。


 


 その夜。


 わたしの部屋のベッドに、お姉ちゃんが寝転がっていた。


「ちょっと! わたしのベッド!」


「いいじゃん、どうせ寝ないし」


「だからって、占領しないでよ!」


 わたしは、お姉ちゃんを押しのけて、なんとか自分の寝る場所を確保した。


 しばらく、二人で天井を見上げた。


 お姉ちゃんが、ふいに言った。


「てかさ、あんた、まだ電気つけたまま寝てんの?」


「……うるさい」


「小六か」


「消したら眠れないだけ! 別にいいでしょ!」


「ふーん」


 お姉ちゃんは、それ以上、何も言わなかった。


 ただ、ちょっとだけ、わたしの顔を見ていた。


 なに?


 やめてよ、そういうの。


 調子が狂う。


 その空気をごまかすみたいに、お姉ちゃんは、机の上に手をのばした。


「あ、これ借りるね」


 お姉ちゃんの指には、わたしの黄色いヘアゴムがあった。


「え、なんで!」


「髪、邪魔だから」


「自分の持ってないの?」


「死んだとき、持ってなかった」


 死んだとき、とか普通に言う。


「それ、お気に入りなんだけど」


「ちゃんと返すって。来週」


「……来週?」


 わたしは、お姉ちゃんの方を向いた。


「来週も来るの?」


「たぶんね。知らんけど」


「知らんけど、ってなに」


「だって、わたしもよくわかんないし。来れたら来る」


 来れたら来る、って。


 飲み会の返事か。


 なんなのこの人。


 ほんとに、最悪だ。


 勝手に死んで。


 勝手に帰ってきて。


 人のプリンを食べて、ヘアゴムまで持っていこうとして。


 それなのに。


 どうして、わたしは、ちょっとだけ嬉しいんだろう。


 ……いやいやいや。


 嬉しくない。


 全然、嬉しくない。


 断じて!


 そう思っているうちに、まぶたが重くなってきた。


 寝たらだめ。


 寝たら、お姉ちゃんが、いなくなる気がする。


 だから、起きてなきゃ。


 明日は学校だけど。


 そんなの、どうでもいい。


 お姉ちゃんの声が、遠くで聞こえた。


「おやすみ、ちび」


 あ、その呼び方、久しぶり。


 そう思ったのが、最後だった。

 朝になった。


 目をあけると、部屋の電気は、ちゃんとついていた。


 ベッドの隣には、誰もいなかった。


 机の上の、黄色いヘアゴムが、なくなっていた。


 台所に行くと、流しの中に、スプーンがひとつ入っていた。


 まだ、水がついていて、ぬれていた。


 わたしは、しばらくそれを見つめていた。


 夢、じゃなかった。


 たぶん。


「柚、早く食べなさい。遅刻するわよ」


 お母さんの声が、いつもどおり聞こえた。


「はーい」


 返事をしながら、ふと思った。


 来週の水曜日は、プリンを二つ買っておこう。


 ……いや。


 なんで買うんだ、わたし!


 お姉ちゃんの分とか、ぜんぜん考えてないし!


 全然!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。