第1話 わたしのプリンを返せ
玄関の電気が、ついていた。
おかしい。
お母さんは、水曜日はパートで九時まで帰ってこない。わたしが家を出たときは、ちゃんと消したはずだ。
……たぶん。
消した、よね?
自信がなくなってきた。
最近のわたしは、そういうところがダメだ。三十八日前から、ずっと。
姉が死んだのは、六月の終わりの、水曜日だった。
事故だった。
あっという間で、本当にあっという間で、わたしは今でも、「死んだ」という言葉をうまく自分の中に入れられていない。
お葬式のときも、ぼーっとしていた。
泣いたのは、そのあとだ。三日くらい、バカみたいに泣いた。……内緒だけど。
とにかく。
今は、玄関の電気だ。
泥棒かもしれない。
わたしは傘立てから、いちばん長い傘を抜いた。ビニール傘。武器としての信頼性は、たぶん限りなくゼロに近い。
でも、ないよりマシだ。
「……ただいま」
小声で言ってみた。
泥棒に挨拶してどうする、わたし。
いや、でも癖で。
台所から、ガサゴソ音がする。
冷蔵庫の開く音。
そのあと、ぱくっ、ぺちゃ、って感じの、やけに幸せそうな咀嚼音。
泥棒が冷蔵庫を漁ってる……? 図太すぎない?
わたしは傘を構えて、そーっと、そーっと台所をのぞいた。
冷蔵庫の前に、女の人が立っていた。
ジャージ姿で、ぼさぼさの髪を適当に結んで、左手にプリンのカップ、右手にスプーン。
見覚えがありすぎる後ろ姿だった。
っていうか、そのジャージ、お姉ちゃんが高校のときから着てるやつ。膝に穴があるやつ。
いやいやいや。
いやいやいやいや!
ありえない。
だって、お姉ちゃんは、死んだ。
お葬式もした。火葬場にも行った。骨だって見た。
それが、どうして、わたしのプリンを食べてるの?
そう、プリン。
それ、わたしが昨日、コンビニで買ったやつ。
一個三百円もする、とろとろのやつ。
わたしにとっては、高級品。
今週のご褒美に取っておいた、ささやかな楽しみ。
ふり向いた女の人は、口の端にカラメルをつけたまま、にかっと笑った。
「おー、おかえり。遅かったじゃん」
お姉ちゃんだった。
どこからどう見ても、わたしの姉、橘茜だった。
わたしの手から、傘がすべり落ちた。からん、と情けない音がした。
「……お、お、お……」
「お?」
「お化けええええええ!」
「失礼だな! 幽霊って言え!」
「どっちも同じだよ!」
思わず叫んでから、はっとした。
ツッコんでる場合じゃない。
脳みそが、レンジで三分くらいチンされたみたいになっている。熱いのか冷たいのかもよくわからない。
とにかく、落ち着け。
えっと、えっと。
まず、足。幽霊って足がないって言うよね。
わたしは、お姉ちゃんの足元を見た。
……ある。
しかも、左右で違う靴下をはいている。
「何見てんの」
「足……」
「あるよ。ほら」
お姉ちゃんは、片足をぶらぶらさせてみせた。
うん、あるな。
っていうか、そうじゃなくて!
「なんで? なんでいるの? お姉ちゃん、死んだよね?」
「死んだよ」
あっさり言うな。
「じゃあ、なんで」
「知らん」
「知らん、って」
「気がついたら冷蔵庫の前にいて、めちゃくちゃお腹すいてたんだよね。死んでもお腹ってすくんだわ。びっくり」
お姉ちゃんは、真面目な顔でうなずいた。
びっくりしてるの、そこ?
もっと他にあるでしょ。
わたしは、ためしに自分のほっぺたを、思いっきりつねってみた。
痛い。
夢じゃないらしい。
「つねってやろうか?」
「自分でやったから大丈夫!」
「遠慮すんなって」
「いたっ! 痛い痛い痛い!」
わざわざ反対のほっぺたを、容赦なくつねられた。
あったかい指だった。
……あったかい。
その事実に、胸の奥がぎゅっとなった。
けど、それどころじゃなかった。
「やめてよ! しかも、そのプリン、わたしのだし!」
「あー、これ? あんたのだったの」
「見ればわかるでしょ! 名前書いてあるじゃん!」
「え、どこ」
「蓋の裏!」
「見えるかそんなとこ」
「ふつう、食べる前に確認するでしょ!」
「ふつうの人はね」
お姉ちゃんは、悪びれもせず、最後のひと口をぱくりと食べた。
「うま。あんた、いいもん食ってんじゃん」
「返せ!」
「もう食べちゃったし」
「吐け!」
「無理!」
最悪だ。
この人、死んでも、まったく変わってない。
っていうか、死んだことを、なんかちょっとネタにしてる気がする。
わたしは、へなへなと椅子に座り込んだ。
しばらく、台所に沈黙が流れた。
冷蔵庫のモーター音だけが、ぶーん、と鳴っている。
「……お姉ちゃん」
「ん?」
「ほんとに、お姉ちゃん?」
「ほんとに、わたしだけど」
「証拠は」
「証拠?」
お姉ちゃんは、うーん、と首をかしげた。
「あんた、小二のとき、おねしょして、わたしの布団に潜り込んできたじゃん」
「ぎゃああああ!」
「あと、中一の春にこっそり前髪切って、全然まっすぐじゃなくて、三日間学校休もうとした」
「やめて! ほんとにやめて!」
「あと、あんたの好きな人って」
「お姉ちゃん!!」
はい、本物。
こんな嫌なところばっかり覚えてるの、お姉ちゃんしかいない。
「わかった、わかったから、もうやめて……」
わたしは両手で顔をおおった。
顔が、燃えるように熱い。
たぶん、今のわたしは、茹でたてのタコだ。
お姉ちゃんは、けらけら笑っていた。
その笑い声を聞いた瞬間。
なんだろう。
どうしてか、目の奥がじんとした。
あわてて、ごしごしこすった。
「なに、泣いてんの」
「泣いてない! 目にゴミ入っただけ!」
「ふーん。そういえばさ」
お姉ちゃんは、冷蔵庫にもたれかかって、腕を組んだ。
「わたしの葬式、どうだった? ちゃんと盛り上がった?」
「盛り上がるわけないでしょ、お葬式だよ!?」
「えー。わたし的には、もっとこう、みんなで笑いながら見送ってほしかったなー」
「無茶言わないで」
「あとさ、遺影。あれ、誰が選んだの」
ドキッとした。
あれは、わたしが選んだ。
お母さんは、何も選べる状態じゃなかったから。
大学の友達と行った、海での写真。口を大きく開けて、思いっきり笑っているやつ。
「……わたし、だけど」
「やっぱりか! なんであれ! 口、全開だったじゃん! もっとマシなやつあったでしょ!」
「だって、あれが一番、お姉ちゃんっぽかったから」
「ぽいけどさあ! 遺影だよ!? 一生残るんだよ!?」
お姉ちゃんは、頭をかかえた。
一生残るも何も、お姉ちゃんの一生は、もう終わってるんだけど。
……って、それは言えなかった。
代わりに、わたしは言った。
「いいじゃん。笑ってるんだし」
「まあ、そうだけど……」
お姉ちゃんは、ちょっと口をとがらせて、そっぽを向いた。
耳が、ほんのり赤い気がした。
もしかして、照れてる?
いやまさか。
このお姉ちゃんが。
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