第10話 脚本、完成(してない)
文化祭まで、あと八日。
わたしの脚本は、まだ一行のままだった。
『暗い廊下。そこに、女の人が立っている』
装飾係のみんなは、段ボールを切ったり、黒い布を貼ったりしている。
教室の半分は、もう、お化け屋敷の入口みたいになっていた。
なのに、脚本係のわたしだけ、ゼロ進捗。
まずい。
これは、まずい。
「橘さん、どう? 進んでる?」
瀬戸くんが、段ボールをかかえたまま、通りかかった。
「えっ! あ、うん、順調! たぶん!」
「たぶん?」
「だいじょうぶ、ちゃんと、書くから!」
「そっか。無理しないでね」
瀬戸くんは、にこっと笑って、行ってしまった。
優しい。
優しいのが、逆にきつい。
「うわー、嘘つき」
後ろで、お姉ちゃんが、ひそひそ声で言った。
今日は、水曜日。朝から、教室に来ている日だ。
「順調って、白紙じゃん」
「うるさい。わかってる」
「で、どうすんの?」
「……わかんない」
わたしは、シャーペンを置いて、机につっぷした。
怖い話なんて、書いたことがない。
そもそも、わたし、ホラー苦手だし。
「あのさ、柚」
お姉ちゃんが、わたしの机の横に、ふわっと降りてきた。
「怖がらせようとするから、書けないんじゃない?」
「それがお化け屋敷でしょ」
「そうだけど。あんたが書けるのって、怖い話じゃないでしょ」
「じゃあ、なにを書けって言うの」
「あんたが、知ってる話」
お姉ちゃんは、にっと笑った。
「幽霊が、冷蔵庫の前でプリンを食べてる話」
「……それ、怖くないじゃん」
「でも、あんたは、びっくりしたでしょ」
「した、けど」
「じゃあ、そこから書けば?」
わたしは、顔を上げた。
お姉ちゃんの顔を、まじまじと見た。
……この人、たまに、まともなこと言うんだよな。
ほんとに、たまにだけど。
放課後、教室に残って、書いた。
ひとりで。
いや、正確には、お姉ちゃんが、後ろでずっと、「そこ、もうちょっとオーバーに!」とか「その台詞、わたしっぽくない!」とか、ツッコんでいたけど。
無視して、書きつづけた。
『暗い廊下。そこに、女の人が立っている。
お客さんが近づくと、女の人は、ふり向く。
その手には、プリン。
口の端には、カラメル。
「……おかえり。遅かったじゃん」』
ここまで書いて、手が止まった。
これ、ほとんど、あの日の再現じゃん。
「いいじゃん、続けて」
「でも、これ、お姉ちゃんのことだし」
「だから、いいんだって。リアルだから」
お姉ちゃんは、真面目な顔で言った。
「お客さんが、あんたと同じ反応してくれたら、成功でしょ」
「同じ反応って」
「『お化けええええ!』って、叫ぶ」
「……それ、本気で叫んでたからね、わたし」
「知ってる。かわいかった」
「かわいくない!」
顔が、熱くなった。
書きつづける。
『お客さんは、逃げようとする。
でも、女の人は、追いかけない。
ただ、ぽつんと言う。
「ごめん。ちょっと、お腹すいてただけ」』
そこで、ふと、手が止まった。
お腹すいてただけ。
あの日、お姉ちゃんが、言ってた。
死んでもお腹ってすくんだわ、びっくり、って。
あのとき、わたしは、びっくりしてるのそこ? って思った。
でも、もしかしたら。
お姉ちゃんは、お腹がすいたって、言いたかったんじゃなくて。
生きてるときと、ちがわないことが、あったのが、嬉しかったのかもしれない。
……考えすぎかな。
たぶん。
「柚?」
「なんでもない」
わたしは、続きを書いた。
最後の一行は、こうなった。
『女の人は、手を振る。
「また、来週」』
書き終えて、読み返した。
これ、お化け屋敷の脚本じゃないよね。
どちらかというと、ちょっと、変な、やさしい話だ。
「……いいんじゃない?」
お姉ちゃんが、ぽつんと言った。
声が、いつもより、ちょっとだけ小さかった。




