第三章 エピソード6
「里紗、お疲れ様」
仕事を終えて、里紗が学校から出てくるのを、将司は偶然を装って近づいた。
「あら、将司くん、どうしたの急に?」
突然、声をかけられて、里紗は驚いたように、肩を上げた。
「いやぁ、仕事でこの近くまで来たものだからさ。それに、里紗に話したいこともあったし」
「えっ、何、話したいことって?」
「カセットテープのことでさ」
それを聞いた里紗は、途端に目を泳がせた。困ったときに宙に視線を移すのは、昔からの里紗の癖だった。
そのまま成り行きで、二人は校庭へと向かった。昼間は日ざしの温もりを感じることはできても、十二月も半ばを過ぎると、日が沈むとともに一気に冷たい空気が、足元から押し寄せてきた。二人は、そのままブランコに並んで腰かけた。正面に校舎がうっすらと見える。その中で、一階の職員室だけが煌々と明かりを漏らしていた。
里紗は、ブランコを漕ぎ始めた。静まり返った校庭に、ブランコの甲高いさび付いた音だけが、響きわたっていく。そんな里紗の横顔を、将司はぼんやり眺めていた。
「この学校で、夜にスピーカーから声が聞こえるって話があったでしょ。僕さ、初めてそれを聞いたとき、ラジオの混線かと思ったんだ。みんなが噂していたように、亡くなった人の仕業とか、時空を超えた声とか、そんなことがあるはずがないと思ってた」
「ふうん、それで?」
里紗は、なおもブランコを漕ぐスピードを緩めなかった。
「いろいろ調べている中で、わかったんだ。あれには、一本のカセットテープが関係しているって」
「…」
「昔、この小学校に、一人の女の子が転校してきたんだ。彼女は生まれつき耳が不自由な子だった。同じクラスの人たちは、彼女のことを『もの静かな子』だと、ちょっと不思議な目で見るようになっていった。そんなとき、彼女が自分から選んで、放送委員会に入ったんだ。そこで一緒になったクラスメイトがいた。仮にその子の名前をA子としておこうか。A子は、彼女が話せないことを最初は不憫に思ったのかも知れない。だけど、彼女には、文章を書くと言う才能があった。彼女は、放送室で必死に原稿を書くことで、自分の置かれた状況を、自分の力で乗り越えようとした。そんな彼女のひたむきな姿をそばで見ていたA子は、いつしか彼女に心を惹かれていった。言葉では会話ができなくても、他に手段はいくらでもあったからね。そして、A子は、彼女のたった一人の親友になった」
「…」
「六年生と言えば、そりゃ好きな人の一人や二人はできるだろう。やがて、A子にも、そんな相手が現れた。だけど、彼女は、それを相手に伝えることに、どうしても二の足を踏んだ。相手がどんな反応をするのかを知るのが、怖かったのかも知れない。そんな彼女の心の内を知ったA子は、彼女の力になってあげたいと願った。なんとか、彼女の思いを、彼に届けてあげたいと思った。そこで、思いついたのが……」
「お昼の放送だった」
里紗は、被せるようにそう言うと、ブランコを漕ぐのを止めた。徐々に勢いを失う里紗の乗ったブランコ。
「そうよ、お昼の放送で、『お便りのコーナー』ってのがあったでしょ。私、佳代に提案したの。自分の口で伝えられなくても、好きな人に気持ちを伝える方法があるって。佳代は、目の色を変えて、その考えに乗ってくれた。佳代、必死で原稿を書いていたわ。それをバレンタインデーの日に、私が代わりに読むの。そのお便りと、下駄箱に入れたチョコレートがあれば、将司くんなら、必ずわかってくれると思ったわ。だけど、その日の後も、将司くんは何も変わらなかった。佳代、フラれたんだって、とても悲しんでいた」
「違う、違うんだ」
将司は、さっと立ち上がった。
「何が違うの?せめて、『嬉しかった』とか『ありがとう』とか、嘘でもいいからやさしく声をかけてあげればよかったじゃない」
「いや、だから、違うんだ。僕は、その放送を聞かなかった、いや、聞けなかったんだ」
「それって、どういうこと?」
里紗の声が、少しトーンダウンした。
「あの日、僕は体調が悪かったんだ。多分、その日の朝に食べたお寿司がいけなかったのかも知れない。だから、給食の時間は我慢が出来なくなって、保健室で寝ていたんだ。保健室は、具合の悪い人のために、放送が流れないようになっていたでしょ。だから、僕は、佳代がチョコレートをくれたとはわからなかった」
「えっ、あぁ、そうなんだ……」
気落ちしたように、里紗が呟いた。それと同時に、冷たい風が、二人のまわりを吹き抜けていった。




