39 帰る場所
応接間でのやり取りの後、なぜか「少々レオナルド殿を借りる」とレオナルドだけ部屋に残され、アマリアとユーゴはオリビアの案内で一足先に部屋に向かうことになった。
「……レオナルド、大丈夫かなー?」
言葉とは裏腹にのんびりとユーゴが言うと、振り返ったオリビアは苦笑した。
「きっと、ご息女の恋人ということで色々心配なさっているのでしょう。大丈夫です、公爵様はレオナルド様を取って食ったりはなさりませんよ」
可愛い顔だが、なかなか物騒なことをユーゴに言っている。ユーゴは了解したように頷くが、オリビアが前を向くと、「……レオナルドを食おうものなら、おれが八つ裂きにする」とオリビアを上回る物騒なことを呟いたので、後でお尻ペンペンすることにした。
オリビアが案内した部屋は、かなり広かった。ひとつの部屋にリビングと寝室があり、トイレがあるのは予想していた。だが大きな浴室や簡易厨房、書庫や書斎に応接間まであり、ガーデニングができそうなほど立派な庭まで付いていた。
あまりの対応に、オリビアに室内の設備の説明を受けていたアマリアは言葉を失う。
(こ、これが客室ひとつ!? この部屋の中だけで十分生活できるじゃない!)
「こ、こんなにすごい部屋をあてがっていただき、本当にいいのでしょうか……?」
これはプールか、と思うような浴槽を見せられたアマリアが呆然と呟くと、オリビアはくすくす笑った。
「お義父様は、アマリア様のために張り切ってらっしゃいますから。ああ、ちなみに先ほど案内した寝室はアマリア様とユーゴ様用で、レオナルド様にはこちらの小部屋を使っていただきます」
なるほど、アマリアとレオナルドは同じ部屋だが、寝室は分けられている。おまけに部屋自体がとてつもなく広いので、同じ部屋で生活しているという感覚はほとんどない。
……とはいえ、オリビアが「レオナルド様はお付きという立場なので、どうしても狭い部屋ですが……」と説明した「小部屋」でさえ、自宅のアマリアたちの寝室よりも広かったが。
一通りの説明を終えたオリビアが退室してしばらくすると、レオナルドが来た。彼はアマリアと同じように部屋の広さに絶句した後、リビングのソファに座っていたアマリアたちのもとにやってきた。
「……一瞬、別の屋敷に迷い込んだのだと思いました。これ、僕たちの部屋ですよね……?」
「ええ……あっちがレオナルドの寝室。他の設備も、なんでも自由に使っていいって」
「……自由というのはありがたいですが、ここまで大盤振る舞いされると何をすればいいのか分からなくなりそうですね」
「おい、レオナルド。それならおれが部屋の説明をしてやる。さっきママと一緒に教えてもらったんだ」
「それじゃ、頼めるかな。……ユーゴに教えを請うてきますね」
レオナルドに言われたので、アマリアは笑顔で頷いた。
「ええ。……もうすぐメイドさんがお茶のセットを持ってきてくれるそうだから、お茶を淹れておくわね」
「はい、よろしくお願いします」
レオナルドが「おれの話をよく聞くといい!」と先輩風を吹かせるユーゴと一緒に室内探検に出発してしばらくすると、ドアがノックされた。応じると、ワゴンを押したメイドが入ってくる。
「オリビア様のご命令で参りました。紅茶を淹れる際に必要な一式と、果実やハーブ。そしてお茶菓子をご用意しました。他に何か必要なものはございますか?」
「いえ、十分です。どうもありがとうございます」
一通りの茶器や材料を確認してからアマリアが言うと、メイドは小さなベルを置いて去っていった。普通、貴人の周りには常に使用人が控えているものらしいが、田舎暮らしをしているアマリアたちのことを思い、何かあったときだけベルで使用人を呼ぶようにと配慮してくれていたのだ。
湯は、ポットの中に入っている。急がないと冷めてしまうと思ったが、やけにポットは重くて、しかも僅かだが魔法の気配がする。後でユーゴに聞いてみようと思うが、おそらく炎属性魔法の効果で保温されているのだろう。
(さて、それじゃあ作りますか!)
高価なドレスが汚れないよう、ワゴンに載っていたリボンでドレスの袖をまとめ、アマリアはバスケットの中の材料をざっと調べた。
果物はプリネ、フィフィ、モレ、グワム。ハーブはムルム、ラヴィなど、ポルクでもよく使うものを始めとして、アマリアも見たことのないものも入っていた。どれを使ってもいいとのことなので、囓って味を確認しつつ新しいブレンドに挑戦してもいいかもしれない。
ワゴンには、銀色の細いナイフのようなものが置かれている。これは植物性の毒に反応する道具で、食物に刺したり液に浸したりして、銀が変色しないかを確認する。銀が黒ずめば毒の可能性あり、変わらなければ安全ということだ。
公爵がアマリアたちを害するとは思えないが、念には念をということだ。そして公爵がこの銀のナイフを添えさせたというのなら、いくら公爵家の中とはいえ用心しておけ、というメッセージも含まれているのかもしれない。
ひとまず今回は茶葉をベースにすることにし、様々な果実との相性がいいプリネとラヴィ、そして小さな実が房状になっている果実を合わせようと思う。
濃い紫色の果実は、表面の皮はつるつるしていた。皮を剥いた果肉は薄緑色で、念のため銀のナイフで刺して毒がないのを確認した後、囓ってみる。噛むとじゅわっと汁が溢れ、甘酸っぱい味が口内に広がった。グワムよりも大粒だが、おそらく漿果の一種なのだろう。
(歯ごたえは思ったよりもサクサクしていて、小さな種がたくさん入っている……実を潰しておいたら、プリネと一緒に使えるかも)
紫色の果実は房状態なので、ひとつひとつ手でもぎ取って皮を剥く。ナイフは必要なくて、爪の先で皮を引っ張ればつるりと剥くことができた。
皮を剥いて種をほじくり出した黄緑色の果肉をガラスボウルに入れ、大きめのスプーンで潰した。この果実は実がしっかりしているので、潰して湯に浸しても果肉がボロボロにならないだろう。プリネの方は果肉が崩れやすいので、櫛形に切ってそのまま投入するつもりだ。
果実の下ごしらえが終わったら、保温されていた湯で紅茶を淹れる。ある程度茶葉が蒸れたところで、潰した果肉とプリネ、手で千切ったラヴィを入れた。
(あの果実もプリネも果肉が薄い色だから、茶葉の元々の色をうまく映えさせるはず)
蒸らしている間に、茶菓子として提供されたケーキも切り分けた。銀のナイフで切ったのだが、こんがり茶色に焼けた表面に反し、断面から見える内部は層になっていてドライフルーツやクリームがたっぷりと練り込まれているのが分かった。
ポットからいい香りが漂い始めた頃、探検を終えたらしいレオナルドとユーゴが戻ってきた。二人は室内を見回し、「いい匂い」とほぼ同時に呟く。
「ママ、紅茶淹れてくれたんだね!」
「ええ。今日は暖かいし、冷製にしようと思うの。ユーゴ、このポットを冷やしてくれる?」
「任せて!」
駆け寄ってきたユーゴがポットを両手で持って氷属性魔法で冷やしていると、レオナルドが笑顔で片手を挙げた。
「探検終わりました。……なんというか、貴族はすごいですね」
「ええ……こんなすごい部屋に泊まれるなんて、今後一生なさそうね」
公爵はアマリアを最高級の客として扱っているので、客室のレベルはキロスの離宮とは比べものにならないほどだ。紅茶に使った果実や茶葉、茶菓子なども、おそらくアマリアたちの小遣いではとうてい賄えないほど高価なのだろう。
「ママ、冷ませたよ!」
「ありがとう。それじゃあ、お茶にしましょう」
レオナルドたちを座らせ、アマリアはユーゴがほどよく冷やしてくれた紅茶をカップに注いだ。思った通り、紅茶の色は茶葉のみで蒸らしたときとほとんど変化がなく、甘い香りが漂っていた。
茶を注ぎ、ケーキを添えてのおやつタイムだ。ユーゴは茶をおいしそうに飲んだのはもちろんのこと、公爵家とっておきのケーキに目を輝かせ、一口一口を丁寧に食べていた。
「お、おいしい……! ママ、すっごく甘くておいしい!」
「ええ、本当にね。……きっと砂糖も蜂蜜もたくさん使っているのね」
レアンドラの地方都市では養蜂が盛んなところがあり、蜂蜜なら比較的容易に手に入る。だが、砂糖はそうもいかない。
砂糖の原料となる植物はレアンドラでは栽培できず、輸入に頼るしかない。しかも安価なものだと色が茶色っぽかったりざらざらしていたりと、使い勝手が悪いのだ。
だがこのケーキを見る限り、これで使われている砂糖は雪のように白くて甘い一級品だ。おそらく――ポルクに戻れば、一生食べることはないだろう。
「……ユーゴは、このおいしいケーキを毎日食べたい?」
ぽつんと問うと、紅茶を飲んでいたユーゴは最初不思議そうに首を傾げた。だがアマリアの質問の意図を察したようで、首を横に振る。
「確かにおいしいけど、毎日食べたら飽きちゃうよ。それにおれは、ここで甘いケーキを毎日食べるのより、ポルクでママのケーキを毎日食べた方がいい」
「……そう?」
「だからさ、用が終わったら早くポルクに戻ろう。ふかふかのベッドもいいけど、やっぱりおれはママと一緒に自分ちの布団で寝るのが一番いい」
ね? と笑顔で見上げてくるユーゴ。息子のそんな表情を見ていると、ここに留まる方がユーゴにとって幸せかも……と思っていた自分が情けなくなってきた。
(甘くておいしいケーキより、私が作ったケーキの方を選んでくれる……)
ユーゴもアマリアを気遣っているのだろうが、そうだとしても十分嬉しい。
(やることをやったら、三人で帰ろう)
アマリアたちの帰る場所である、ポルクへ。




