38 父と母②
当時十代前半だった公爵は香水の制作者が気になり、身分を偽って商人を問いつめた。結果、香水を作ったのは丘の上の修道院に勤めるシスターだと判明し、彼は手土産を持って修道院を訪問した。
そこで出会ったのが、アマリアの母ルフィナだった。まだ幼い二人だが、香水をきっかけに意気投合した。二人の穏やかな関係は公爵が身分を明かし、王都に戻ってからも続いた。
「当時、私はコルネート公爵子息ではなかった。当時のコルネート公爵は私の母方の伯父で、私の父はランヘル伯爵だった。父は全く出世欲がなくて、私が田舎のシスターと文通を始めても何も言わなかったし、『結婚を考えている』と申し出たときも、あっさり許してくれた。私が次男で、年の離れた兄がいたというのも大きいだろうな」
どうやら、伯爵――アマリアの実の祖父にあたる人物は、子どもの恋愛や結婚にも非常に寛容だったようだ。
「そうしてルフィナが十六歳になるのを待って結婚したのが、三十三年前のことだ。その頃には兄も襲爵し、私とルフィナは王都の隅の小さな家で暮らすようになった」
そこで公爵は話を一旦終え、妻をちらっと見やった。夫人は頷き、夫の後を繋ぐように話し始める。
「その頃、わたくしはコルネート公爵の息子であり、ロドルフォ様の従兄にあたる方と婚約しておりました。当時のコルネート公爵家は立場こそ強いけれども財政に不安があり、潤沢な資金を持っていた我がグラナド侯爵家と婚姻を結ぶのは、わたくしたちが子どもの頃から決められていたことでした。しかし――」
……夫人の婚約者は、落馬事故で亡くなったそうだ。
コルネート公爵家は跡継ぎを失い、混乱に陥った。事故死した公爵子息には兄弟がおらず、いとこも女性ばかり。唯一の男性でしかも爵位を持っていないのは、ロドルフォだけだったのだ。
「兄をランヘル伯爵からコルネート公爵にし、私をランヘル伯爵にするという手もあった。だが、伯父公爵は私の方を推してきた。他に候補がないのでルフィナと離婚し、伯父の養子になる。そして混乱が起きる前にマグダレナと再婚しろ、と命じられたのだ」
公爵の話を聞き、アマリアも三十年以上前に起きた出来事が分かってきた。そして、なぜ院長先生が公爵家を嫌っているのかの理由も。
(拒否権のない公爵は、伯父の言うことを聞くしかなかった。お母さんと離婚して、公爵夫人と再婚した……)
アマリアが視線を落としたからか、夫人の方が言葉を添えてくる。
「わたくしも、幸せな夫妻を引き裂くことには反対しました。しかし先代公爵は、言うことを聞かねばルフィナ様がどうなってもいいのか、とまで脅してきたそうなのです。……どうか、ロドルフォ様を恨まないでください」
「それは違う、マグダレナ。私は恨まれて当然のことをした。……私にもっと力があれば、ルフィナを失わずに済んだ。婚約者を亡くして傷心だったおまえと無理に再婚することも、なかっただろう」
公爵はそう言った後、腕を組んで瞑目した。眉間には、深い皺が刻まれている。
「……幸い、ルフィナが世話になっていたあの修道院の場所は伯父には割れていなかった。だからルフィナを守るため、私は修道院とは一切の連絡を絶ち、マグダレナを同士として公爵家の跡を継ぐことにした」
「同士……ですか」
「ええ。わたくしもロドルフォも、大人たちの都合で振り回された身。それならばこれからは同士として協力していこう、と約束したのです」
夫人は微笑み、痛ましい表情で壁際に立っていたトビアスを手で示した。
「先代公爵は、跡取りの息子を強く望んでいました。幸いわたくしたちには、優秀なトビアスが生まれ、オリビアという美しい花嫁も連れてきてくれました。孫たちも生まれ、わたくしたちはようやく三十年前に交わした同士の誓いを果たすことができたと感じています」
つまり、公爵と夫人の間に仲間意識や家族としての結託はあっても、愛情はないのだろう。公爵は今でもルフィナのことを愛しているようだし、話を聞く限り夫人も亡くなった婚約者を想ったまま公爵と結婚したとのことだ。
(……そんな公爵家に私が飛び込んでしまったわけだけど)
「……二十年以上前になるか。ルフィナと別れて初めて、修道院から手紙が届いた。ルフィナが病で死んだ。それだけの、グラシエラ殿からの短い手紙だった」
「……私のことは書かれていなかったのですよね」
「ああ、ルフィナが娘を生んだことも――私たちは身重のルフィナを追い出すことになっていたのだということも」
「アマリア様、どうか我が公爵家でくつろいでいってくださいな。使用人の中には、ルフィナ様のことを知っている者もおります。顔を見せればきっと、喜ぶことでしょう」
公爵夫人にもにこやかに言われ、アマリアはぎこちないながら笑みを返した。
(……あ、でもこれは言っておかないと)
「公爵様、これは私からのお願いなのですが……私の存在はどうか、他言無用でお願いします」
「……屋敷の者以外には存在を知られたくないのだな?」
質問、というより確認の意味で問われた。公爵もアマリアの希望はだいたい予想していたようで、察しがよい公爵には感謝だ。
「はい。……その、私にも色々事情がありまして。こうして公爵様とお会いできたことはとても嬉しく思いますが、できるならご縁はこれっきりにしていただきたいのです」
「これっきり、か……」
「父上」
やや残念そうな公爵の呟きを聞きとがめ、トビアスがちらっと視線を向けた。おそらく、修道院で約束した事項を思い出させているのだろう。公爵とて、修道院に対して後ろめたい思いがあるため、わざわざ院長先生の怒りを煽るようなことはしないはずだ。
アマリアの予想通り、息子から無言の指摘を受けた公爵は渋々ながらといった様子で頷いた。
「……そうだな。アマリア嬢には既に自分だけの人生がある。それを無理矢理ねじ曲げれば、私も伯父と同じ人間になってしまうだろう。……だが、滞在中だけでもよいので、公爵家の一員として接させてもらえないか」
「……かしこまりました。レオナルドとユーゴも一緒になりますが、どうぞよろしくお願いします」
アマリアがお辞儀をすると、黙って話を聞いていたレオナルドとユーゴも頭を下げた。




