第9話 心を込めて手作りを
いつだったか、以前の奉公先でお嬢さんにアイスクリームが食べたいのとねだられたことがあった。
ちょうどその家には最新のアイスクリームメーカーというハイカラな品物があった。
それで、女中のみんなで手分けして氷や材料を買ってお嬢さんの手伝いをしたのだ。
卵や牛乳、砂糖をふんだんに使って冷やしながら混ぜ合わせるうちに固まっていく。
楽しそうに交代しながら機械を回すのを眺めていたのを覚えている。
滅多にない経験だったので、材料や手順もしっかり記憶していた。
あんまりたくさんこしらえたものだから、ご家族やちょうど遊びに来ていたお嬢さんの従兄弟さんにも振舞ってみんなで食べたのを覚えている。
あの家は玲子の数多い奉公先の中でもよい環境だった。
その後、神戸の親戚筋から引き取りたいと声がかかったためお暇させてもらったものの、神戸でも色々とあって結局奉公生活に逆戻りだった。
(そういえば、あのお家もこのあたりの地域だったわね。いつかどこかでお会いできたりしないかしら……)
お嬢さんは歳が近かったため、友達のように仲良くしてくれていた。
かつてのことを考えながら、玲子はさっそく買い出しに向かうことにした。
***
夕方、いつもの時間に帰宅した一樹を玲子は出迎える。
「お帰りさなさいませ。夕餉の支度はできておりますよ」
「ただいま帰った。では頼もうか」
玲子がいつにもまして妙に浮き足立った様子なのは分かっているようだ。
特に触れず、一樹はいつものように食堂の席に着く。
今晩の献立は、鯵の南蛮漬けだ。
素揚げにした鯵を人参と玉ねぎと共に甘酢に漬け込んでおいた、さっぱりした味付けで暑い日でも箸が進む一品だ。
「南蛮漬けか。いいな」
昼間、約束した冷たいものに選ばれたのが南蛮漬けだと一樹は思ったのだろう。
しかし、玲子はその裏で台所に戻って本命の準備を進めていく。
あらかじめ、卵黄と牛乳、砂糖を混ぜ合わせて弱火でじっくりと煮込み粗熱を取る。
そして、ボウルに移し替えて氷水の上で何度もかき混ぜる。そうしているうちに固形になり、アイスクリームの形になっていくのだ。
南蛮漬けは余ったぶんの氷で冷ましたもので、おまけにすまし汁に入っている溶き卵は卵白を活用したものだ。
「さて、最後にこれを混ぜ合わせれば完成よ……!」
玲子が棚から取り出したのは、ゆであずきの缶詰だ。
一樹は洋菓子より和菓子を好むようだから、なにかひと手間加えてみたいと思ったのだ。
そこで、アイスクリームにあずきを加えてみようと。
関東の震災以来、缶詰製品がずいぶん増えたがゆであずきもそのうちの一環である。
素揚げもしてアイスクリームも作って、さらにそこで小豆まで煮込んでいては時間が足りないため、缶詰を使ってみることにした。
アイスクリームの中にそのまま流し入れ、一緒に混ぜ合わせていく。
生地はもったりとしてなかなか重たい。
じんわり汗を滲ませながら、玲子はひたすらかき混ぜた。
そうして、一樹が食事を終えた頃合にアイスクリームはちょうど完成した。
「あとはグラスに盛り付けて、完成っと!」
ガラスの器に丸い形になるように盛り付けて、端に取っておいた甘納豆を並べておいた。
記憶の中にあるアイスクリームに添えてあったさくらんぼの代わりだ。
あずき味のアイスなのだから甘納豆でも十分見栄えするだろう。
「青崎様、本日のデザートをお持ちしました」
まるでウエイトレスのように振る舞う玲子に、一樹はぽかんとする。
が、玲子が運んできた器を見てあっと気づいたようだ。
「僕が頼んだ冷たいものは、南蛮漬けだけではなかったのか」
「はい。あずき味のアイスクリームです、どうぞおあがりください」
グラスの器と銀のスプーンを前に、一樹はなぜか玲子を見る。
「きみの分はないのか? 少しぐらい余っているだろう?」
「余りですか? おかわりの分が少しありますが……」
「きみも一緒に食べよう。苦労して作ったのに、僕だけがありつくなんて悲しいだろ」
一樹は隣の席の椅子をスっと引く。
そこへ座れと言うように促された。
まさか一緒にと誘ってもらえるとは思いもよらず、玲子は驚いてしまう。
答えない玲子に対して、一樹はどうしたのかと首を傾げていた。
確かに、そう言われてみるとせっかく作ったのに自分は食べれられないのは悲しいと思うかもしれないと、玲子は気づく。
自分のためではなく一樹に食べてもらうために作ったのだから、まったく考えていなかったのだ。
「では、お言葉に甘えて……」
玲子はしばし迷ってから、自分の分を小皿によそうと、おずおずと一樹の隣に座る。
ちらりと一樹を見てから、玲子も口をつけた。
「美味いな。手作りなんてすごいじゃないか。それに、あずき入りと趣向を凝らしていて良いな」
やはりゆであずきを加えたのは正解だったようだ。一樹の頬も自然と綻んでいる。
アイスクリームはひんやりとした舌触りで、まろやかな味わいだった。
あらかじめ砂糖を減らして作ったおかげで、あずきが混ぜ合わさっていてもくどくならず、ほどよい甘さで最後まで美味しく食べられる。
「料理人の次は菓子職人か。もしかするときみは、うちの女中にしておくにはもったいないほどの逸材だったやもしれんな」
「どれも料理も青崎様のおかげですよ。ここの台所は設備も良いですし、嬉しそうに食べてくださるだけで作りがいがあるというものですから」
「嬉しそう?」
自覚がなかったのか、一樹は驚いている。
玲子は笑顔で肯定した。
「青崎様のお顔は感情豊かですから、いつも気持ちは伝わっておりますよ」
「なっ……!」
一樹はとたんに赤面する。
ほらやっぱり、と玲子はくすりと微笑んだ。
「そう言うきみだって、結構分かりやすいがな」
「えっ、そうなんですか? もっとかしこまった顔の方が良いですかね……?」
「そういうわけじゃないが……きみは、笑顔が一番似合うと思うぞ。昼間の落ち込み様よりかは、今の気楽な顔の方がよっぽど良い」
昼間の、というとあの夢のことだ。
うなされていたと一樹は言っていたが、まだ心配してくれていたようだ。
「青崎様……」
「何があったかは聞かないが、あまり無理はするな。困っているのなら少しぐらいは手を貸してやれないこともない」
素っ気ない言い方だけれど、耳の端が少し赤くなっている。
「ふふ、ありがとうございます。でも、こうして青崎様が私の作ったお菓子を食べてくださっただけで十分私は救われましたよ」
「救われた?」
大袈裟な、と一樹は言う。
けれど、玲子にとっては大袈裟などではなかった。
「私にとって、アイスクリームはちょっと悲しい思い出の食べ物だったんです。ですが、青崎様とこうして時間を過ごしたことで、新しい良き思い出を重ねることができました」
きっとこれから、玲子がアイスクリームを見て思い出すのは自分を捨てた父親だけでなく、喜んでくれた一樹の姿も思い出すだろう。
「そうか」
一樹はいつものように、けれど少しだけ弾んだ声で頷いてから、またひと匙すくって口に含んだ。




