第3話 静謐な図書館
一樹が玲子を連れてきたのは、市立の図書館ではなく大きな洋館だった。
広小路通りから少し離れた、武家屋敷や文化住宅などが並ぶ邸宅街、そのうちの一つが一樹の屋敷であった。
和洋折衷の文化住宅で、大きな外観に玲子は圧倒されていたが、玄関ホールも広々としていた。
美しいステンドグラスの窓に、赤い絨毯の敷かれた螺旋階段と、洋風というだけでなく洒落た内装になっている。
「こっちだ」
調度品に目を奪わそうになりながら、一樹の案内で進んでいく。
玄関ホールを抜ければ大広間と食堂があり、浴室や洗面所、さらに茶室なども。
そして肝心なのは、一樹の書斎があるという二階からだった。
「わぁっ……! すごい数の蔵書です!」
螺旋階段を上がった先、いくつもの本棚がぎっしりと並び、まさしく図書館と言うべき量に圧倒された。
色とりどりの背表紙が所狭しと並び、そこに書かれている文字は日本語のみならず英語や蘭語など言語を問わない。
玲子は見たことがないような書物の数々にすっかり興奮してしまった。
親戚や知人など様々な家庭をたらいまわしにされてきた玲子だが、こんなに豪華なお屋敷も本棚も初めて目にするものだった。
「二階はほとんど書籍ばかりが置いてある。どこも本棚で埋め尽くされているから、掃除やら管理やらが面倒で」
「これほどの数でしたら、なかなか骨が折れますでしょう。青崎様は素晴らしい読書家ですね。こんなに集めるのは、大変だったのではありませんか?」
「いや、これは……僕のものではないんだ」
さすが通訳官だと玲子は思ったのだが、一樹は歯切れが悪そうに目を逸らしている。
「祖父から受け継いだ遺産なんだ。屋敷も本も、全て」
「まあ、そうでしたか……!」
どうりで彼のような若さでこんなに豪奢な屋敷に一人住んでいるわけだ。
一樹の祖父はさぞ見立ての良い人物なのだろう。
内装のセンスもさることながら、収められた蔵書の数々から博識さが伺える。
本棚は玲子の背丈を超えるほど大きいが、圧迫感はさほどなく、室内では所々に猫脚のテーブルやカウチが置かれ、くつろげるようにもなっている。
ステンドグラスの飾り窓も相まって、優雅さを感じられた。
一樹も普段、読書をしながら静謐なこの場所で悠々とした時間を過ごしているのだろうか。
さぞ絵になることだろうと想像する。
「お祖父様の大切なお屋敷と書籍の管理を任せていただき、光栄です。必ず青崎様のご期待に添えるよう頑張りますね」
「……ああ。ありがとう」
一樹はそれだけ言うと、サッと背を向けて一階に戻っていってしまう。
本棚の前にはあまり長居したくないとばかりの速さだ。
彼の家だと言うのに、彼の方が居心地悪そうにしているなんてどうしてなのだろう。
玲子は不思議に思いつつ、一樹の後を追う。
「以前はどなたかが勤めていらっしゃったのですか?」
こんなに広いのだから使用人が何人もいると思いきや、屋敷の中はしんと静まり返っており、誰もいないように見受けられる。
「一人女中を雇っていたが、解雇した」
「それは……何か、あったのですか?」
一樹の言い方にやや含みを感じ、つい玲子は聞き返してしまった。
「なんてことは無い。彼女は不埒な目的でここへ来ただけだったんだ。だから次は、僕に色目を使わないような人を自分で探そうと思って」
「まあ、それは災難でしたね」
一樹は気を悪くすることなく教えてくれたが、わざわざ自分で女中を探しに来ていた理由が分かった。
(青崎様、とても美しい方ですものね……。色々苦労なさったご様子だし、あまり深堀しないようにしないと)
独身、高給取り、美丈夫。
この三拍子が揃えば世の乙女が飛びつくものだ。
一樹は淡々と語っていたが、うんざりしているのは声色から感じられた。
「とりあえず。請け負ってくれるというようだから、契約について話そうか」
一樹に促され、大広間のソファに座る。
「基本的には女中としての仕事をそれなりにこなしてくれれば問題はない。ただ、その中でいくつか厳守してもらう規則がある」
一、許可がある時以外は書斎に立ち入らないこと
二、一樹に干渉しないこと
三、一樹の仕事内容を詮索しないこと
一樹が玲子に指示したのは、概ねこの三つの規則だった。
細かな契約事項が書かれた書類まで出されたあたり、几帳面な性格なようだ。
玲子は良く読み込みながら、一樹の指示をしっかり心に刻む。
「僕と関わるのは必要最低限にしてくれ。他は何をしても構わない」
「了解しました。お仕事の都合もおありでしょうから、必ずそのようにいたします」
「ああ。他に使用人を雇っていないから迷惑をかける時もあるだろうから、不都合があれば遠慮なく申し付けるように」
「はい」
徹底的に干渉を避ける規則には驚かされたが、こうして気遣ってくれるのだから洋品店の怒鳴ってばかりの店主よりもずっと良い主人だろう。
どこか冷めた様子でも、一樹の心遣いは感じられた。
通訳官の仕事の邪魔にならないよう、玲子は一樹の私生活を支えるのみだ。
(拾っていただいた恩返しができるよう、期待に応えられるように頑張らないと……!)
あの時一樹が助けてくれなければ、また路頭に迷っていたところだっただろう。
今度こそ最後の転職となるよう、玲子は意気込みながら契約書に署名をした。




