第14話 過去との決別
「なっ……何を言うのかね!」
突然の名乗りに、父は顔を赤くして立ち上がる。
しかし、驚いている孝明を見てすぐに冷静になったのか、座り直すと咳払いをする。
「ははは、驚いた! 娘と同じ名前だったとはね。どうやら君は大変な生い立ちをしているようだが、私は君の父親ではないよ」
あくまでもシラを切るつもりらしい。
だが孝明は突然の状況に困惑しているようだ。
そもそも、父がまともな職について真っ当な理由で孝明と事業を興そうとしていたとしても、ようやく手に入れた大切な居場所をよりによってこの人に奪わせるわけにはいかないのだ。
「あの日、百貨店でアイスクリームを食べさせてくれたことは今も覚えています。その翌日、あなたは私を一人置き去りにして逃げました」
玲子は父の弁解を遮り話を続ける。
「最初にお世話になったのは、母方の親戚です。その時、私がなんと言われたか知っていますか。蛙の子は蛙、私も家の金を食い荒らすのだと何もしていないのに蔑まれ、すぐにほかの家へ追い出されました」
「だから私は君とは無関係で……」
「私がいることであなたが戻ってきては困る。不景気なのに他所の子どもを養う義理はない。同じ歳の頃の子がいる家で、着飾って大切に愛されている姿を横目にら私は下働きをしていました」
「いい加減にしたまえ!」
声を上げたのは孝明だった。
「お前、おかしいんじゃないか!? 人違いだと言っているじゃないか! 証拠もなしに勘違いして、無礼だと思わないのか!?」
孝明は本気で玲子が勘違いしていると思っているようだ。
変わらず凄まじい剣幕で怒鳴られるも、玲子は確たる証拠を持っていた。
そうでなければ、こんな勝負に出たりしない。
「証拠ならいくらでもありますよ。手っ取り早いものでしたら、左腕の傷でしょうか。大きな裂傷の痕があるでしょう? 若い頃に喧嘩をして、その名残だと言っていましたが」
「傷痕だと? そんなもの見たことがないぞ。ほら、平郷さん、この女に見せてやったらどうですか。傷痕なんかどこにもないと」
得意げな顔で、孝明は父にそう言う。
しかし、父はとたんに表情を固くして話を逸らそうとした。
「……いや、この子も大変な身の上のようだし、つい父親を思い出してしまったんじゃないかな。そう怒るものではないよ、きっと可哀想な子なんだ」
「……平郷さん?」
へらへらと笑って、話を流そうとする。
シャツをまくって見せるだけ。それで玲子が人違いをしていると証明して終わる。
それだけなのに、頑なに断る父に、孝明は戸惑っている。
玲子はこの隙を見逃さなかった。
「見せられないんでしょう。他にも言い当てて見せましょうか? 亡くなった妻の名前は久枝、あなたの出身は名古屋、卒業した学校は……」
「やめないか。本当に人違いなんだ、私と君は何の関係もないんだ」
「なぜ、そうまでして嘘だと知られることを恐れるのですか? あなたはきっと、彼にいくつもの嘘を重ねているからではありませんか。あなたは昔から、嘘つきで大袈裟で、自分のことしか頭にない人だった。昔も、投資話で揉め事を起こして家族を危険に晒したこともあった」
「覚えがないな」
「今も、変わらないのでしょう?」
個人情報を次々言い当てる玲子に、さすがの父も顔色が悪くなっていく。
どれだけ怖い顔をされても、玲子は気圧されたりしなかった。
黙って飲み込んで、受け入れてしまうようなやり方では自分を守れない。
玲子の性格を作り上げたのは、他でもない父の行いが原因だ。
頑なに譲らない玲子に父が困らされているのは、まさに因果応報と言うべきだろう。
「付き合ってられないな。まともに取り合う必要はない。きっと彼女は頭がおかしいんだ」
「この女が無関係だと証明できればいいじゃないですか。娘さんのところに今すぐ連絡しましょう。証拠だって、いくらでも手元にあるでしょう?」
「いや、いいんだ。本当に無関係なのだから、取り合わなくていいんだよ。それより、この前紹介してくれた青年たちと話はまとまりそうかな。商売は速さが肝心だから、大金だとしても動かすことに躊躇してはいけないんだよ」
早口で誤魔化そうとする父に、孝明も疑いを捨てきれないようだった。
やはり彼にも嘘をついて、騙して儲けようとしていたのだろう。
悲しいが、父が生来の性格を改めることはなかったようだ。
「平郷さん、いったいどうしたというのですか! 早くこの女に証拠を突きつけて、黙らせてやってください!」
「孝明くん、それは……」
あくまで冷静を装っているようだが、玲子を見るその目は凄まじい怒りが込められていた。
目の前にいる女が実の娘だと、これ以上否定する術を持たないのだろう。
事態が拮抗した、その時だ。
「これはいったいどういうことでしょうか」
ドアの開く音と共に、聞きなれた足音が近づいてくる。
全員の視線が、いっせいにそちらを向く。
現れたのは、この家の主、一樹だった。
「来客の予定など伺っていなかったと記憶しているのですが、何かの間違いでしょうか。どちら様で?」
「青崎様……!」
一樹は堂々とした出で立ちで、玲子の前に立つ。
「これはこれは! 初めまして、青崎さん。私は孝明くんと共に事業を興そうとしているものでして……」
「ええ、よく知っています」
即座に顔色を変えてにこやかに話しかける父に、一樹は穏やかに返事をする。
しかし、その発言は驚くべきものだった。
「平郷子爵を名乗り詐欺まがいの投資を若者に持ちかけて回る不審人物とは、あなたのことでしょう?」
「…………は」
「箕作文哉という男に覚えはありませんか。あなた、彼にも投資を持ちかけたらしいですね。実は僕の友人でして、先程相談を受けたばかりなんですよ」
一樹は穏やかに、しかし、確実に追い詰めていく。
父の顔色はますます青くなり、薄ら笑いをしながら目が泳いでいる。
一樹は構わず、追求を続けた。
「以前まで海外にいらしたと聞いたのですが、偶然にも僕は領事館勤めでして。どちらへ洋行されていたのかお聞きしても?」
「倫敦だ。そうだろう、平郷さん」
即答したのは孝明だった。
一段と得意げな様子は、一樹がいるせいだろう。
言い負かしてやるつもりなのだろうが、この父が渡航費用なんてどうやって工面したと言うのだと、玲子は信じられない。
玲子が疑いの目を向けても、これ幸いとばかりに父は堂々と頷いている。
「あ、ああ。もちろん。これからの時代、外国に遅れをとるわけにはいかないからね、最新の商業を学びに……」
「おかしいですね。あなたの渡航歴は、ひとつも出てこなかったのですが」
一瞬で場が静まり返った。
墓穴を掘ったということだ。
一樹の職業は孝明も知っているようで、抗議の声は返ってこなかった。
「それで、本日はどういったご要件でしょうか? 僕が相続した遺産について話すより、ご自身の負債を見つめ直すことを急がれた方がよろしいと思うのですが」
「っ……」
こんなはずではなかった。表情が全てを物語っている。
「どういうことだ」
孝明が血相を変えて一樹に詰め寄る。
一樹はそれを突き放し、一言言う。
「まだ分からないか? あなたは騙されていたんだ」
家族も、経歴も、嘘。
そんな男が持ちかけてきた投資話の、どこに旨味があると言うのだろう。
孝明はようやく自身の失態に気づいたようで、呆然としてしまった。
真実が明らかになり、取り繕うことすら諦めてしまったようで、父は声を荒らげる。
「――――――クソッ! これだから、私はいつもついてないんだ! お前さえいなければ全部上手くいったのに!」
「っ!?」
そのまま拳を握りしめ、玲子に向かって振り下ろそうとした時だ。
「無礼な真似はやめて頂きたい」
一樹がその拳を止め、キッと父を睨んでいる。
「離せ!」
「彼女は、この図書館の大切な司書だ。いくら肉親といえど、それ以上は見過ごせない。お帰り願おうか!」
玲子は、一樹がこれほどまでに怒りをあらわにした所を初めて見た。
玲子のために、心の底から怒ってくれている。
玲子に対して無関心なふりを続けていた、あの一樹がだ。
「……っ、言われなくても!」
「平郷さん、待ってくれ! どうなってるんだ!」
悪態をつきながら、父は大急ぎで逃げ出していく。
狼狽えながらも孝明が追いかけていくが、きっと捕まえられないだろう。
二人が消えて、室内は嘘のように静かになった。
「大丈夫だったか?」
一樹は彼らを追いかけることはせず、玲子の手を心配そうに握る。
迷いのない動作に驚くものの、玲子がどこか怪我をしていないかあちこち確認しているだけのようだった。
「あれほど人を入れるなと言っただろう……!」
玲子を叱るその顔から、何よりも玲子を思ってくれていることがありありと伝わってきた。
以前、一樹の表情は分かりやすいと言ったが、やはり彼は顔に出やすいようだ。
(――――――私は、この人を救いたいと思いながら、私も救われていたのね)
父にまつわる悲しい思い出を、一樹と上書きしたように。
今この瞬間、一人ぼっちで泣いていた過去の自分まで一樹が守ってくれたような、そんな感覚がした。
「ありがとうございます。青崎様」
様々な思いが玲子の中を駆け巡るものの、言えたのはたった一言、それだけだった。
一樹はハッと驚いたように手を離してから、青崎様ではなく一樹と……、と小さく呟いていた。




