第12話 『お前の母さんには、借りがある』
荷を山のように積んだ、ラクダの列だった。その脇を、長衣をまとった背の高い人影が歩いてくる。
リザードマンだった。
先頭は、ひときわ大柄な男だった。白い頭布の下の顔は砂色の鱗に覆われていて、長い尾が、長衣の裾を引きずるように揺れている。片方の耳の穴に、隊商長の印の金の耳環が光っていた。
男は俺たちの掘った穴を見て、それから、俺たちの顔を見た。金色の目の上を、半透明の薄いまぶたが、横にすっと滑った。
低く、喉の奥で鳴らすような、砂漠の言葉。この水場は、誰が開けたのか。俺にわかるのは、半分くらいだ。
答えようとした俺より先に、キシェンが口を開いた。
流れるような、砂漠の言葉だった。喉の鳴らし方も抑揚も、まるで砂漠で生まれ育った者みたいだった。隊商長の鱗の顔が、ふっとゆるんだ。後ろの男たちが、どっと笑った。
隊商長は尾を一度大きく振って、帝国の言葉で言った。
「水を開けた者には、礼をする。それが、砂の掟だ。今夜は、わしらの火に来るといい」
「……おい。今、何て言った」
「うちの案内人は、鼻で水を嗅ぎ当てる犬みたいな奴です、ってさ。褒めたんだって」
「お前、いつの間に、あんなにしゃべれるようになった」
「昔ちょっとね」
キシェンは、八重歯を見せて笑っただけだった。
◇
砂漠の夜は、早く、深く、冷える。
隊商の男たちは、大きな焚き火のまわりに肩を寄せ合っていた。リザードマンは体の熱を自分ではあまり作れないから、日が沈んだら火のそばを離れないのだと、メルカが小声で教えてくれた。
火にかけた平たい鍋に、砕いた種が香ばしく爆ぜた。そこへナツメヤシと、干した山羊の肉と、挽いた麦。最後に、薄い桃色の塊を小刀で削って落とす。
岩塩だった。
「エルグの塩だ」
隊商長が、焚き火の向こうからその塊を放ってよこした。薄い桃色がかった、半透明の結晶。火にかざすと、中で小さな光がいくつも揺れた。
「太古の海の塩だ。この砂漠は、ずっと昔、海の底だった」
隊商長は、バトゥと名乗った。
煮込みを椀によそいながら、バトゥは焚き火越しに、俺の顔をじっと眺めていた。半透明のまぶたが、ゆっくりと一度、閉じて、開いた。
「峠の案内人か」
「ああ」
「峠に、昔、ストラという女の案内人がいた」
俺は、椀を受け取る手を止めた。
「……母さんだ」
バトゥはうなずいて、俺の椀に、肉を一切れ余分に入れた。
「お前の母さんには、借りがある」
それだけだった。
煮込みは、塩が強くて、ナツメヤシが甘くて、体の芯まで温まる味がした。隊商の男が焚き火の下の砂を棒で掘ると、灰をかぶった丸くて平たい塊が出てきた。日が沈む前に、熱い砂と燠の下に埋めておいた生地だという。割ると、ぱりっと乾いた音がして、白い湯気が立ちのぼった。
「砂で、平焼きが焼けるのか」
「砂は、鍋だ。火は、蓋だ」
バトゥが、こともなげに言った。
メルカは、黙々と食べていた。椀が空になると、少し迷うように底を見つめてから、椀をバトゥのほうへ差し出した。
バトゥがよそった椀は、山盛りだった。
◇
夜が更けて、火が小さくなったころ、バトゥが声を低くした。
「南のワジのあたりに、帝国の大軍が来ている。傘下のオアシスの一族が、重い税に逆らって兵を挙げた。それを潰しに来た兵だ。お前たちが見た空っぽの村も、その兵の仕業だろう。……噂では、皇帝が、自ら率いているそうだ」
メルカの鉛筆が、止まった。
「南へは、行かぬことだ」
メルカの野帳の計画は、南のワジの流域を測ることになっていた。メルカは鉛筆を握ったまま、計画の表のいちばん下の行を見ていた。答えは、しなかった。
バトゥも、それ以上は言わなかった。長い尾が、砂の上で、ぱたりと鳴った。
◇
皆が長衣にくるまって眠ったあと、北の空の釘星に拳を重ねた。峠と同じ、ふたつと少し。北へも南へも、まだ動いていない。
毛布にくるまったメルカが隣に座って、自分でも拳を積んだ。肘は、もう曲がっていなかった。
燠の明かりが、毛布の端からのぞくメルカの腕を照らしていた。赤黒い血彫りが、静かに艶を帯びている。
「……それ、いつ彫ったんだ」
メルカは、少しだけ黙った。それから、腕を毛布の中に引っ込めた。
「十六の時です。二年前の、帝都で。眠り薬を飲まされて、目が覚めたら、もう彫り上がっていて……三日、熱が下がりませんでした。彫り師の方は、手本も見ずに、一晩で彫るのだそうです」
二年前なら、今は十八だ。俺と、同じ年になる。
メルカは、膝を抱え直した。
「覚えているのは、その部屋のことだけです。帝都の奥の、窓のない部屋でした。壁の向こうにも、同じような部屋が並んでいて、鍵のかかった扉がありました。眠り薬が効いてくるまでのあいだ、その扉の向こうから……誰かが、泣いている声が、ずっと聞こえていました」
「……誰が」
「わかりません。彫り師の方に聞いたら、気のせいだと言われました」
メルカは、星を見上げた。
「気のせいだったのだと、思います」
自分に言い聞かせているように聞こえた。
「それと……今日、水を見つけてくださって、ありがとうございました。峠でも、森でも、雲の森でも、助けられてばかりです。砂漠では、私が助ける番だと思っていたのに」
「頭の布、巻き直してもらった」
メルカはきょとんとして、それから、ふっと吹き出した。
「それは、助けたうちに入りません」
「入るさ。首が焼けずに済んだ」
「では、昼に歩かずに済んだのも、入りますか」
「……入れといてくれ」
「はい。では、二つ、と」
メルカは笑いながら、毛布に顔を埋めた。寝息が聞こえてきたのは、燠がひとつ、音を立てて崩れたころだった。小さな頭が、ゆっくりと傾いて、俺の肩に落ちてきた。
起こすべきだったと思う。砂漠の夜は冷える。
俺は、燠が消えかけるまで、動かなかった。
焚き火のそばの石の上には、寝る前に置いたナツメヤシが三つ、並んでいた。峠の神様の分だ。
◇
翌朝、ナツメヤシは、一つも残っていなかった。
発つ前に、バトゥはラクダを三頭、俺たちの前に引いてきた。
前足を折って座ったラクダの鞍に、俺はおそるおそるまたがった。
「アレクさん。ラクダは、後ろ足から立ちます。ですから、まず体を後ろに――」
言い終わる前に、尻がいきなり跳ね上がって、俺は前へつんのめった。次は前足で、思いきり後ろへ振られる。気がついた時には、屋根の上みたいな高さから砂漠を見下ろしていた。
「……先に言え」
「言おうとしました」
鞍の下から、バトゥの金色の目が、メルカを見上げていた。
「貸すだけだ。ワジの近くに、帝国の側についたリザードマンの兵がいる。南へ行くなら、ラクダはその者たちに預けておけ。……行かぬなら、ここで降りろ」
メルカは鞍の上で野帳を開き、計画の表のいちばん下の行を、指で押さえた。
バトゥの目が、俺に移った。俺がうなずくと、メルカが野帳から顔を上げた。
「……行きます。測量官ですので」
◇
南へ下って何日目かの朝、メルカがラクダを止めた。
山脈の西の麓を南へ続く道の先に、山脈から西へ張り出した尾根が一本、青く霞んで横たわっていた。
メルカは鞍から下りて、測量器を据えた。覗き窓を覗き、野帳に数字を書き、もう一度覗いた。
鉛筆の先が、書いたばかりの数字の上で止まった。
「……千二百」
メルカは、小さく首をかしげた。
「地図より、低い。測り直します」
「何が低いんだ」
「数字が、そろってから申し上げます」
その日のうちに、メルカは場所を変えて、もう二度、測量器を据えた。




