解体の人
「いや、本当にどこも」
「じゃあ、この血はなに」
(……さて、どう答えたものか)
(正直に言ったら、明日には町中の噂になりかねない)
「……獣の解体を、手伝っていまして」
嘘ではない。……いや、さすがに無理がある。
「獣の解体で、そんなんなる!?」
女の子は立ち上がり、椅子の後ろへ回り込んだ。肩、背中、襟元。どこを見ても赤黒い。
「最後に、後ろから抱きつかれまして」
「誰に」
「獣に」
一拍、間があった。
それから女の子は、噴き出した。
「なにそれ! 解体される側が抱きついてくんの!?」
「……そういう獣も、いるんですよ」
「あー、おっかしいの!」
笑いながら前へ戻ってきて、手ぬぐいで俺の頬をごしごし拭く。顔にまで付いていたらしい。遠慮がない。……痛い。拭かれているところが。
拭き終えた手ぬぐいを見て、それから俺の顔を見て、女の子は眉を寄せた。
「……ほんとに、どこも切れてないじゃん」
「だから、そう言って」
「まあいいや。怪我してないなら、それでいいし」
「宿は? 決まってんの?」
「これから探すところです」
「その格好で?」
「……この格好で」
女の子は、通りの先を指さした。
「角の宿なら、討伐者も泊まるから。その服でも、たぶん平気」
たぶん、が付いたがありがたい情報だ。
「あと、無理して丁寧に喋らなくていいよ! あたしもこの町の人も、そういうの気にしないから」
「……善処します」
「それ、絶対しない人の言い方でしょ」
言い返す言葉は、見つからなかった。
礼を言って立ち上がる。杯を返すと、女の子は手ぬぐいの方は受け取らなかった。
「それ、持ってっていいよ。顔、まだ汚れてるし」
角の宿は、本当に泊めてくれた。宿の主人は俺の服を見て眉を一つ上げただけで、何も聞かなかった。助かる。
部屋を取ると、すぐに井戸で服を洗った。指が千切れそうに冷たい水が、すぐに赤くなる。何度か替えて、ようやく色が薄くなった。
翌朝、ギルドに寄った。
朝のギルドは、思ったより騒がしかった。鉄と交易で栄えた町だけあって、ギルドも大きい。奥の卓からは、朝から笑い声が上がっていた。
掲示板は、依頼書で埋まっていた。駆除、護衛、採取……
すぐそばの卓から、声を潜めるでもない話し声が聞こえてきた。
「――昨日の夜、カイルが死にかけで担ぎ込まれたってよ」
「まじか。あいつがやられたなんて、初めて聞いたぞ」
「ハイオークだとさ」
「ハイオーク? あんなの、数年に一度しか出ねえだろ」
聞くともなしに聞きながら、依頼書の文字を目で追う。
(やっぱり、噂は早い)
(……あれ、ハイオークだったのか)
ふと、視線を感じた。受付の女が頬杖をついたまま、気だるそうにこちらを見ている。目が合っても、そらす気配はなかった。
居心地が悪い。情報も得たし、ギルドを後にした。
町を回る前に、手ぬぐいを返しておこう。
昨日の子が、店先で水やりをしていた。
昨日は気づかなかったが、軒先にまだ芽吹いていない鉢がいくつも並んでいる。
(この時期に種まきをする植物があるのか)
声をかけるより先に、女の子が顔を上げた。
「あ、解体の人!」
その呼び方は、どうにかならないだろうか。
「そういえば名前、聞いてなかったよね。あたし、リナ。あなたは?」
「……レイです」
「レイね。宿に泊まれた?」
「無事になんとか。昨日は、どうも。これ」
洗った手ぬぐいを差し出す。リナは手ぬぐいと俺の顔を見比べて、それから受け取った。
「わざわざ洗って持ってきたの?」
「借りたので」
「律儀じゃん! そういうの好きだよ、あたし」
それから、少しだけ口を尖らせた。
「でも、やっぱり善処してないじゃん」
昨日の、あれのことらしい。
(……この子相手に取り繕っても、意味がない気がしてきた)
リナは手ぬぐいを前掛けのポケットに突っ込むと、店の奥を親指で指した。
「せっかくだし、見てく? うち、包丁から斧まで、なんでもあるよ」
(俺の剣は刃毀れしないが、一応品揃えは見ておくか)
「あー、そうだな。ちょっと見させてもらうよ」
店の中にはなかなか質の良い武具が揃っていた。
(ただ、軽量な片刃のものはないか……でもこれだけ技術があるなら作ることも出来るかな)
思案していると、リナが一つ商品を持ってきた。
「解体やるなら、これ」
「骨に当たっても欠けにくいの。父さんの自信作で~」
(……本気で信じてるのか?)
昨日の言い訳を。獣に抱きつかれた、という、あれを。
リナの目が、ふと俺の腰に落ちた。
「ちょっと、その剣細すぎない?」
「そんなんじゃ、いざというときに身を守れないって。だから抱きつかれんの」
真顔だった。
そういう理屈になるのか。
「これなら、抱きつかれる前に終わるでしょ」
指差した先には斧があった。俺の胴ほどもある刃が付いている。
――グレートアックス
(ずいぶん物騒なのまで置いてるな)
「……考えておきます」
本気で心配しているのだろう、獣に抱きつかれることを。
何だか悪い事をしている気になる。
……訂正するなら、たぶん今なんだろう。
「ご心配、どうも」
結局無難に流してしまった。
「えー、なにそれ。そんなの、気にしなくていいのに」
無邪気な笑顔で、そう言った。
「あ、無理に買わなくても良いからね! じゃあごゆっくり!」
またしてもタイミングを逃し、しばらくグレートアックスを眺める時間を過ごすことになってしまった。
その間、カウンターの向こうのリナは、ずっとニコニコしながらこっちを見ていた。
ようやく店を出る時、店先に出ていたリナは、鉢の土に触れていた手を止めて、ひらひらと手を振った。
「またね、レイ」
急かすでも、引き止めるでもない声だった。
「……ああ」
それだけ返して、背を向けた。
年頃の女の子に、こういう時、どんな顔をすればいいのか。山で師匠と暮らした八年では、誰も教えてくれなかった。




