↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/4

血まみれの旅人

「孤独は愛すべきものだ。だが今のお前は孤独に依存している」


師匠は時々、こういうことを言う。返事に困るやつだ。


依存も何も、話し相手が師匠しかいなかったんだから仕方ない。そう言ったら、師匠は黙って魔術書をまた読み始めてしまった。


――その師匠も、今はいない。いや、死んではいない。俺が追い出されただけだ。


おかげで今の俺は、立派に一人だ。


孤独がどうこうというのは、まあ、そういうものなんだろう。


雪の轍を踏みながら、そんなことを考えていた。次の町までは、もう少しのはずだった。


――ウォオオーッ!


人のものではない咆哮が、雪の静けさを裂いた。

少し遅れて、何かが激しくぶつかる音。


それきり、何も聞こえなくなった。


(誰かが仕留めたか。それとも、仕留められたか……)


前者なら、世界が一つ平和になっただけだが、後者なら――。


街道を外れて走っていた。


獣道の雪に、足が膝まで沈む。木の幹を掴んで斜面を下りる。枝の向こうが開けた。


雪原を、魔物のオークが歩いていた。俺より一回りも二回りも大きい。片手に、鉄の頭のメイスを提げている。

夕日を背にした影が、雪の上に長く伸びていた。


その影の先、岩壁の根元に、男が一人もたれるように座り込んでいた。


動かない。


(悪い方か……)


獣道を飛び出しざま、背負っていた旅の荷を投げ捨てる。その勢いのまま、鞘から剣を抜く。


「……見なかったことにしたいんだがな」


抜いた刃に、結界を重ねる。刃が、白い光を帯びた。


俺に気づいたオークは身を震わせ、一層大きい雄叫びをあげた。


「そう怒るなよ。横取りなんて、よくある話だろ」


雪を踏むたび、足の下に薄く結界を敷く。膝まで沈むはずの雪の上に、靴底が乗った。


オークが雪を蹴り、一気に距離を縮めてきた。


巨体の割に、速い。


メイスが振り上がる。


半歩、左へ。鉄の頭が、さっきまで俺のいた雪をえぐり、雪煙が上がる。


オークはメイスを雪から引き抜き、その勢いのまま振り下ろしてきた。


ドォン、ドォン、ドォン!


一撃ごとに、雪が爆ぜる。躱す幅を、一撃ごとに削っていく。半歩が拳ひとつに、拳ひとつが紙一枚に。


今度は横薙ぎ。上体だけを反らす。鼻先を、鉄の風が通り過ぎた。


(……なるほど)


振るたびに、腕ごと体が流れる。叩きつけたあとは、頭が下がる。


何度目か。袈裟懸けの振り下ろし、その起こりを捉えた。


合わせるように振り下ろしの外側へ、斜め前に踏み込む。


背中のすぐ後ろで、メイスが雪を叩いた。


目の前の下がってきた首に刃を添える。


白く光る刃は、思ったよりも軽く通った。


巨体が、前のめりに雪へ沈む。


剣を構えたまま、見下ろす。動かない。静寂の中、雪が徐々に赤みを帯びていった。


剣を振って血を払い、刃から結界を解いた。


(さて)


雪に転がった荷を拾い上げ、岩壁の根元へ歩く。


男は、さっきと同じ姿勢で座り込んでいた。額から流れた血が、頬で固まりかけている。


ただ、目が開いていた。


男は何か言おうとして、咳き込んだ。咳が収まるのを待ってから、もう一度口を開く。


「……助かった」


返す言葉が、すぐには出てこなかった。


「……名前」


「レイです」


「レイ……」


口の中で繰り返して、男はまた目を閉じた。胸は上下し、生きてはいる。


膝をついて、傷を見る。


額が、ぱっくりと割れていた。血の量の割に、傷は浅い。岩壁に叩きつけられたとき、頭を打ったのだろう。左の脇腹に手を当てると、男が呻いた。骨までいっているかは、分からない。


(治癒の魔術でも使えれば、話は早いんだけどな)


あいにく、俺に使えるのは結界だけだ。


荷から布を出して、額にきつく巻く。応急の手当てとしては、それが精いっぱいだった。


日は、もう山の端にかかっている。このまま夜になれば、ここはすぐに凍りつく。


軽く頬を叩いてみたが、目はもう開かなかった。


街道に戻って峠を下れば、町があるはずだった。


(しょうがないか……)


荷を胸の前に回し、男を背負って、町を目指した。


巻いた布に、じわりと赤が滲んでいった。


雪を踏む音だけが、しばらく続いた。


町の門に着いたのは、日が暮れて、門に灯が入った頃だった。


門番が二人、駆け寄ってきた。男を見て、顔色を変える。


「カイルじゃないか! 生きてるか!?」


一人が男を受け取り、もう一人が俺を見た。


「何があった?」


「倒れていたところを通りがかったものでして」


「カイルがこんなになるなんて……」


(俺はこれ以上かかわらないぞ)


背筋を伸ばし、外套から懐中時計を取り出して、目を落とす。


「後のことは、頼めますか?」


ゆっくりと、わざとらしくならないよう浅い一礼をした。


門番はあっけにとられ、言葉に詰まる。


「……は、はあ。ご丁寧に、どうも」


師匠の客あしらいの、見よう見まねだ。

妙に品が良く、それなりの所作を心得る旅人。そういう手合いに深入りしたがる者は、まずいない。師匠譲りの懐中時計で駄目押しだ。


さて、宿だ。


歩きながら、改めて自分の格好を確かめた。


肩から背中にかけて、赤黒い。背負ってきた男の血だ。襟も袖も、似たようなものだった。


(この格好で泊めてくれる宿、あるか?)


通りのどこからか、鉄を打つ音がしていた。規則正しい、重い音だ。


(鍛冶屋があるなら、店の並ぶ通りはこっちか)


音を頼りに夜の街を進みながら宿を探す。

なかなか見つからず、気づけば鍛冶屋の店先まで来てしまった。

門番に聞けばよかったと後悔し始めていた。



「ちょっと!」


振り向くより先に、手首を掴まれた。


「血だらけじゃん! どうしたの!? ヤバいじゃん!」


赤髪の女の子だった。俺と同じくらいの歳だろうか。無造作に束ねた髪が、店の灯りを受けて、炉の火みたいな色をしている。煤のついた前掛けに、肘までまくった袖。手首を掴む指は、見た目よりずっと力が強い。


その目が、まん丸に見開かれていた。


「少し急いでおりまして、お気遣いは――」


「いいから座って!」


聞いていない。


そのまま手をひかれ、軒先の木の椅子に、半ば押し込まれるように座らされた。


「本当に、大丈夫なので」


「うちの父さんも、そう言ったの」


女の子は店の奥へ駆け込み、すぐに水の入った杯を持って戻ってきた。俺に押しつけて、また奥へ。


「腰痛めてんのに、大丈夫、大丈夫って」


声だけが、奥から飛んでくる。次は水を張った桶と、手ぬぐい。足元に置いて、また奥へ。


「で、結局こないだ、一週間も休むことになったんだから」


最後に、薬草やら包帯やらを抱えて戻ってきて、桶の横に下ろす。そのまましゃがみ込み、手ぬぐいを浸して、きゅっと絞る。その間も、口は止まらない。


「大丈夫って言う人ほど、大丈夫じゃないの。あたし、知ってるんだから」


父親の腰と一緒にされても困る。


絞った手ぬぐいを手に、女の子は下から俺の顔を見上げた。


「……で、どこが痛いの?」


どこも痛くない、と言う機会を、完全に逃した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。