プロローグ
前の人生で、彼は優しい人間だった。
頼まれれば断らず、損な役回りも、笑って引き受けた。それで誰かが楽になるなら、それでいいと思っていた。
一度目の人生は、短く、満足とまではいかなくとも、幸せではあった。
二度目の人生は、山あいの小さな村で始まった。
前世の記憶と新たな世界に少年は驚いたが、「そういうこともあるのか」と受け入れ、新たな生活を楽しんでいた。
父がいて、母がいた。朝は鶏の声で目を覚まし、夜は暖炉の前で眠った。穏やかな日々だった。
ある夜、魔族が来た。
理由はなかった。取引も、言い分もなかった。ただ奪い、ただ焼いた。
逃げ惑う人々が、一人、また一人と倒れていった。
父は、言葉を交わす間もなく命を奪われた。
手を引く母は、命が尽きる最後まで子を逃がそうとしていた。
少年は、何もできなかった。
あるのは深い悲しみ――そして、激情だった。
白い光が、少年を包んだ。熱も、悲鳴も、その外側にあった。
光が消えたのは、空が白み始めた頃だった。
村は、もうなかった。煙だけが、細く空へ昇っていた。
許せなかった。魔族というものが。
許せなかった。この世界のルールが。
許せなかった。甘えていた自分が。
まだ、できることがあったはずだ。
まだ、できるはずだ。
「あいつらを殺してやる」
◇
夜明け前の庭で、少年は剣を振っていた。
鍛えれば鍛えるほど、その体はむしろ細くなっていった。何年も、限界の先で振り続けてきた体だった。
掌の皮は剥け続け、厚くなることを知らず、柄は血で湿っている。それでも、剣が止まることなど無かった。
「もういい」
エルドが声をかけても、少年は振り返らなかった。
「まだ足りません」
返事はしている。だが、心はここにない。あの夜を、少年はまだ生き続けている。
「……これじゃ、許されない」
誰に聞かせるでもなく、少年はつぶやいた。
(許されない――
子どもが、自分に向ける言葉ではない
いくら聡い子どもといえど)
エルドは少年の額に手を当てた。
小さな膝が折れる。倒れかけた体を、片腕で受け止めた。
「許されぬのは、わしになったか……?」
受け止めた腕を、エルドはしばらく離せなかった。
その日から、少年はあの夜の炎に呑まれなくなった。
同時に、何かを心から欲しいと思うこともなくなった。




