第9話 真実の審問
王都の大審問場は、私が最後に見た時よりずっと大きく感じた。
石壁の天井が高い。傍聴席はすでに人で埋まっている。正面の高座に国王陛下。
隣にヴォルフさんがいた。後ろには騎士団がいた。
今度は一人じゃない。
大神官マティアスは被告席に座っていた。余裕の表情。ただ、あの爪がまた白い。嘘をつく時の、あの人の癖。
リーゼロッテは隣に座っている。可憐な微笑み。長手袋で手首を隠している。お義父様はその奥。堂々とした顔で正面を見据えている。
緊張している。……というか、ここに立てていること自体が信じられない。三ヶ月前、私は荷造りリストを書いて神殿を出た。今、国王陛下の前にいる。
「審問を開始する」
国王陛下の声が、石壁に反響した。
最初に立ったのは、副神官エミール様だった。
「八年前、伯爵の献金が大神官の判断に不適切な影響を与えていると進言し、辺境に左遷されました。復帰後、慎重に証拠を集めました。治癒記録の原本をご覧ください」
書記官が二枚の書類を並べた。原本と改竄版。
「原本にはクラーラ嬢の十年間の治癒実績が記録されています。改竄版では大部分が削除されており、筆跡鑑定の結果、大神官の手によるものと断定されました」
大神官の顎の線が強張った。余裕が、最初の亀裂を見せた。
次に、騎士団の騎士たちが証言台に立った。
一人目。腹部を裂かれた夜の騎士。「クラーラ軍医殿に命を救われました。高位治癒でなければ、あの傷は塞がりません」
二人目。疫病の村で治療を受けた村長。「辺境の聖女さまがいなければ、村は全滅していました」
三人目。オスカー。「副団長が三年かけて探した軍医が、ようやく見つかったんです。偽物にあの治癒はできません」
三人が証言を終えるたびに、傍聴席の空気が変わっていくのが分かった。大神官の爪がさらに白くなる。リーゼロッテの微笑みが薄れていく。
「続いて、聖印の鑑定を行います」
王立魔法学院の鑑定士が前に出た。
「リーゼロッテ嬢、右手をお出しください」
リーゼロッテの手が止まった。長手袋を外す。手首に禁呪具の痕が見えた。傍聴席から息を呑む音。
鑑定士が水晶をかざす。光が走り、聖印の紋様を読み取る。
「この聖印は、禁呪具による偽装です。紋様のパターンが本物と異なります。また、腕部に禁呪具の使用痕が認められます」
静寂。
「偽装です」という言葉が石壁に反響して、消えた。
大神官が立ち上がりかけた。「私はそのような魔道具の存在を知らな」
「献金記録をご覧ください」
エミール様が遮った。伯爵家からの献金額と時期。禁呪具が出回り始めた時期。一致している。
「知らなかったのではなく、黙認していたのではありませんか」
大神官が口を閉じた。
その時、被告側の弁護人が声を上げた。
「追放された偽聖女の証言に何の価値がある。神殿を追われた女の逆恨みではないか」
足音が響いた。
ヴォルフさんが、私の前に立った。剣の柄に手をかけている。
「この女性を侮辱する発言は、撤回を求める」
声は静かだった。でも、柄を握る手が震えている。あの日、門前で使者を追い返した時と同じ震え方。
審問場が静まった。国王陛下が片手を上げた。
「弁護人は発言を慎め。副団長、その手を柄から離しなさい。……続けなさい」
国王陛下が口を開いた。
「聖女追放に関連する不正として、審理範囲を拡大する。伯爵ヘルマンの財務記録を提出せよ」
騎士団の情報網が集めた記録が提出された。クラーラの母の不動産が署名偽造で伯爵名義に変更されていた。
お義父様の顔から、初めて血の気が引いた。
リーゼロッテの視点。
審問場の空気が、わたしの知らないものに変わっていた。
「偽装です」が、まだ耳の中で鳴っている。長手袋を外した手首の痕が、傍聴席の全員に見えている。
お姉さまが、こちらを見ている。恨みの目ではなかった。それが、いちばん辛い。
「わたしは……お父様に言われただけです」
声が出た。自分でも驚くほど小さな声だった。
嘘だ。
お父様に言われて始めた。でも、二年間嘘をつき続けたのはわたしだ。治せない子どもの前で聖女の顔をしたのはわたしだ。お姉さまの十年を奪ったのはわたしだ。
言い訳が、喉に詰まって出てこなかった。
国王陛下が判決を読み上げた。
リーゼロッテ。聖女称号剥奪。禁呪具所持の処分については、父親による強制の情状を考慮し、追って沙汰する。
大神官マティアス。治癒記録の改竄、聖印鑑定権限の濫用、仮罷免手続きの瑕疵。大神官職を罷免。追放刑。
伯爵ヘルマン。遺産横領、禁呪具入手の共犯、署名偽造。爵位の監査開始。遺産の全額返還命令。
判決が読み上げられるたびに、傍聴席からどよめきが起きた。
膿を出す処置は終わった。十年分の膿だった。
国王陛下が私に向き直った。
「クラーラ。そなたの名誉は回復された。聖女の称号をお返しする」
審問場が静まる。
聖女の称号。十年間、私の全てだったもの。奪われたもの。それが返ってこようとしている。
喜ぶべきなのだろう。……なのに、真っ先に浮かんだのはヴォルフさんの背中だった。私の前に立って剣に手をかけた背中。その向こうの、騎士団の仲間たち。
答えは、まだ言わなかった。
「陛下。一晩、お時間をいただけますか」
国王陛下が頷いた。
私は一礼して、審問場を出た。ヴォルフさんが隣を歩いている。騎士団が後ろを歩いている。
夏の陽射しが、王都の石畳を白く照らしていた。




