第5話 辺境の聖女
「村が死にかけています」
血走った目の伝令が、駐屯地に飛び込んできた。
南東の村で原因不明の高熱が広がっている。発症から三日で意識を失い、五日で死に至る。すでに十二人が倒れ、うち二人が亡くなった。子供が三人含まれている。
子供が三人。
薬草袋を掴んで立ち上がった時、ヴォルフがもう門の前にいた。馬を二頭引いている。
「一人で行くな」
「護衛ですか」
「命令だ」
短い。でも、馬の手綱を渡す手は素早かった。
村は、静かだった。
静かすぎた。初夏なのに洗濯物が干されていない。畑に人がいない。家の窓が閉め切られ、中から低い呻き声だけが漏れている。
村長の家に通された。横たわる患者たちの顔は蒼白で、額に脂汗が浮いている。高熱。発疹はない。嘔吐あり。
「いつから」
「十日ほど前からです。最初は一人だったのが、あっという間に」
十日。急速な拡大。空気感染ではない。接触感染でもない。この広がり方は。
「井戸を見せてください」
村の中央にある共同井戸。桶で水を汲み上げて、光にかざした。
薄く濁った黄緑。
母さんの研究ノートに書いてあった。『水源が黄緑に濁る場合、上流の鉱脈から溶出した毒素が原因である可能性が高い。煮沸では除去できない。ハコベとゲンノショウコの煎じ液で解毒し、治癒魔法で臓器の炎症を鎮めること』
「上流に鉱山か採石場はありますか」
「ええ、春先に新しい坑道を掘り始めたと」
つながった。
「この水は飲まないでください。川の上流、鉱山より手前の水を汲んできてください。それから、ハコベとゲンノショウコを持てるだけ集めて」
ヴォルフが無言で村長に目配せした。村長が頷いて駆け出す。
私は袖をまくった。
一日目の夜。
煮立てた薬草の煎じ液を、一人ずつ飲ませていく。飲めない患者には布に含ませて唇を湿らせる。その後、一人ずつ腹部に手を当てて治癒魔法をかける。臓器の炎症を鎮め、毒素の残滓を浄化する。
一人に二十分。十二人で四時間。終わった頃には、指先の感覚がなくなっていた。
二日目の朝。
新たに三人が発症した。汚染された水を最近飲んだ者だ。煎じ液を飲ませ、治癒を施す。重症者の二巡目にも入る。子供は体が小さい分、毒素の影響が大きい。三歳の女の子の手を握りながら治癒をかけた時、小さな指が私の親指をぎゅっと掴んだ。
「おねえちゃん、あったかい」
……泣きそうになるのは後にしよう。今は、手を動かす。
二日目の夜。
ヴォルフが黙って水と干し肉を差し出してきた。食べろという目。食べた。味は分からなかったけれど、体に力が戻るのは分かった。
三日目の朝。
最初の患者の熱が引いた。次に、隣の患者も。子供たちの顔色が戻り始めている。
三日目の昼。
最後の重症者の治癒を終えた時、私はその場に座り込んだ。膝が笑っている。こめかみがずきずきする。生命力の消耗が限界に近い。
「全員、命に別状はありません」
村長に報告した声は、自分でも聞き取れないほど掠れていた。
「聖女さま」
村長が頭を下げた。
「辺境の聖女さま。ありがとうございます」
辺境の聖女。
その呼び名が、どこかに引っかかった。ありがたいのに、苦い。聖女はもう私の肩書きじゃない。でも、この人たちを救ったのは確かに私の手だ。
……それはそれとして。もう立てない。
帰り道のことは、あまり覚えていない。
馬に乗せられたところまでは記憶がある。ヴォルフの馬の前に座らされて、手綱はヴォルフが握っていた。初夏の風が汗で冷えた肌をなでて、虫の声が遠くなって。
次に気がついた時、駐屯地の門が見えた。
背中に温かいものがある。ヴォルフの腕だった。片腕で私の体を支えたまま、もう片方の手で手綱を操っている。どれくらいの距離をそうしていたのか。
「……あ」
「起きたか」
素っ気ない声。でも、腕はすぐには離れなかった。
門の前で馬を降りる時、ヴォルフの指が私の髪に触れた。草を取っている。いつの間にか絡まっていたらしい。それだけのことを、何も言わずにやって、背を向けた。
手の甲の血管が、まだ浮いたままだった。ずっと力を入れて支えていたのだ。
……なんだ、あの人。
そう思うのは、もう何度目だろう。
その噂は、王都にも届いた。
「辺境に聖女がいる。追放された偽聖女が、村をひとつ救ったらしい」
鏡台の前で、リーゼロッテの手が止まった。
長手袋の下、禁呪具の痕が熱を持っている。先週の治癒は失敗した。その前も。
「大神官様に伝えて。もっと強い魔道具が必要だと」
侍女が部屋を出ていく。
鏡の中のわたしの顔から、血の気が引いていた。




