『カロンの忠告、もしくはヒント』 管理人側視点
気が付けば、敵軍に取り囲まれていた。
「こんなところで死んでたまるか」
奥歯を噛んで叫ぶが、ここは崖の先端、逃げ場はない。
となれば、前進あるのみ。切って切って切りまくり、最後は夜空の星になってやる。
と覚悟を決め、立ちふさがる敵の大将を真正面に見据え、
「お前ら全員、道連れにしてやるからな、どこからでもかかってきやがれ」
の捨て台詞で、刀を上段に構えたその時、背中に奇妙な殺気。
な、なに?
振り返った瞬間、目もくらむような光の束が網膜に突き刺さった。
「くそっ、汚い手を使いやがって、てめぇら、それでも男か!」
と叫んで両手で光を遮った瞬間、周囲の景色が変わった。
訳が分からないまま、あたりを見回すと、自分の部屋だった。
え? でもどうして、頭の上に太陽が?
しばらく見つめているうちに、焦点があってきた。視線の先にあったのは、天井の蛍光灯。
「おはよ」
頭の中からの声で、僕の思考回路が動きはじめた。
昨夜の僕は、よっぽど疲れていたらしい。徹夜でカロンと昔話に花を咲かせよう。そのつもりだった。でも風呂からベッドに直行。電気を消すのも忘れて、ぐっすり眠った挙句に、怖い夢をみていたらしい。
「おはよう」と返したあと、付け足した。
「こっちの方は、夢じゃなかったみたい。よかった、よかった」
「なに喜んでいるの? こんな時間から」
「きみのことだよ」
「わたしが、どうかしたの?」
そこで僕は、あることを思い出した。
「そういえば、お帰りなさいをいってなかったよね。ごめんごめん」
「そうだったっけ?」カロンは、ほんのすこし間を置いてからつづけた。
「仮にそうだったとしても、どうして謝るの? わたしたちに、そんな堅苦しいものは必要ないでしょ」
突き放すような言い方。でも、僕の胸の奥は温かくなった。これは、カロンの照れ隠し。
「でも、むかしからこういうだろ。親しき仲にも礼儀ありって」
「あら、それって、初耳。どういう意味なの?」
僕はそれを無視して、早口でいった。
「お帰り、カロン」
「どういたしまして」
噛み合わないようで、噛み合っている。それが以前の僕とカロンの会話だった。数年ぶりだというのに、すでにそのリズムになっていることに喜びを覚えた。
枕もとの時計に目をやると、いつも目覚める時間だった。
「これから朝の仕事をするんだけど、きみの仕事の邪魔にならない?」
「そのことなら、ご心配なく。たとえあなたが逆立ちしたとしても、この中、なんの影響も受けないようになっているの」
ベッドからおりた僕は、着替えをしながら、一番先に訊きたかったことを、さりげなく口にした。
「今回は、どれくらいいるの?」
いったあとで、ドキドキドキと心臓が波打った。
「そうねぇ」ちょっと考えるような間が空いた。
「時間的なものは、わからないけど、あれ、が見つかるまではいるつもりよ」
一瞬、なにをいわれたのかわからなかった。
「あれって、何?」
「あら、やだ。もう忘れたの? あれといえば、ひとつしかないでしょ」
考えても無駄だと思ったので、怒られるのを覚悟でいった。
「ごめん、忘れた。何かヒントを」
ちょっと笑いを含んだ声が返ってきた。
「あれ、が原因で、あなたの記憶の一部が、どこかに行っちゃった」
思い出した。
「あ、そうか。僕と君が最初に出会った日の記憶」
「ピンポーン、大当たり!」
カロンの声は弾んでいた。でもそれとは逆方向に、僕の胸の中で、急激に膨らんでいくものがあった。僕は心細さに胸の震えを感じた。
そうなった場合、どうなるのだろう。僕とカロンの関係は……
この質問は、ここで打ち切れ。
心のどこかで、そんな声がしたような気がした。でもそれはできない。中途半端なところで中断すると、この先ずっと、落ち着きのない日々を過すことになる。
僕は勇気を奮って訊ねた。
「その記憶をどうするの?」
「消す」
やはりそうだ。わかっていながら、いきなり日本刀で、すぱっと切りつけられた感じ。思わずのけ反った僕は、作り笑いを浮かべて、ダイレクトに訊いた。
「そのあとの僕たちは、どうなるの?」
「僕たち?」怪訝そうな声の後、明快な答えが返ってきた。
「あなたの場合、失われた記憶のすべてが戻ってくる」
僕はカロンに気づかれないように、そっと唾を呑みこんでから、恐る恐る訊ねた。
「で、きみの場合は?」
「消える」
「どこに?」
その問いに対する言葉が返ってくるまで、十数秒かかった。
「それはいえない」
僕の血の気が引くのがわかった。目の前が暗くなった。
ニュアンス的にいえば、永遠の別れ。でもそれを認めたくはない。すがる思いで、確認をとった。
「それって、二度と会えなくなるってことじゃないよね?」
しばらくの沈黙のあと僕の耳に届いた声からは、それまでの、素っ気なさは消えていた。カロンが僕より年上だったことを思い出させる、包容力を感じさせる声だった。
「あなたのそばに、わたしがいなければ、さびしい。そういう意味?」
そう、それだけでもよかったのかもしれない。でも自分の思いをより強く伝えたかった僕は、頭に浮かんだ言葉を、そのまま声にした。
「悲しい、虚しい、生きる意味がない」
「あらら、そうなの。でも、それだったら、大丈夫」
即座に返ってきたカロンの明るい声。それを僕はこう受け取った。
「あなたが望むなら、ずっと一緒にいてあげる」
当然のように、僕は涙ぐんでいた。しかし喜びは、一瞬のことでしかなかった。大丈夫につづいた言葉に、僕は打ちのめされた。
「あなたの記憶から消えるのは、最初の出会いの場面だけじゃないんだから」
いつもは回転の鈍い僕の思考は、フル回転。瞬時にその意味を読み解いた。
全身の力が抜けた。
カロンという文字にも、カロンという音の響きにも、何の反応も示さないそんな人生に意味はない。
「だったら、時間をかけるなよ」
気がついたときは、叫んでいた。
「結果的に、きみとの記憶のすべて消えるのなら、手当たり次第に消せばいいじゃないか。わざわざ、出会いの日の記憶を探す必要はないだろ。ごちゃごちゃいわずに、今すぐ取り掛かれよ」
いいながら後悔した。カロンは気が短い。
「いいわよ、あなたがそういうのなら、そうする」
カロンがその言葉を吐いた瞬間、僕の記憶からカロンのすべてが消える。たぶん昨夜の『冥王星』も……
重苦しい沈黙に胸が押しつぶされそうになったとき、カロンの声が聞こえてきた。
「あのね」
その調子に耳を疑った。鼻にかかった声。甘えたような声。
「まだ、いってなかったことがあるの……」
声の調子だけでカロンを判断するのは無理。経験上知っている。どう反応すればいいのかわからなかった。黙っていると、カロンはつづけた。
「ずっと一緒にいることも、可能なの」
言葉通りなら、喜ばしい展開。でもそれを素直に受け取ることはできなかった。
「だれと、だれの、ことをいっているの?」
いまどきの幼稚園生もいわないようなセリフで確認すると「決まっているでしょ」の後に、僕が望んだとおりのものが、はっきりわかる言葉で返ってきた。
「あなたと、わたし」
感激のあまり、崩れ落ちそうになった。でも気を引き締めた。相手は一筋縄ではいかないカロン。口約束だったとしても、要所要所を突く必要がある。
「この場限りのうそじゃないよね。難しい条件がついているんじゃないだろうね」
「ほんとのことよ。でも、難しいかどうかはわからない」
ほら、きた。
「そういって逃げるつもりだろ」
「何言ってるの!」
本気で怒っている声に、背筋が伸びた。この一連の会話、すべて信頼のおける話。これは、経験者だけが出せる結論。
「逃げているんじゃないの。難しい。簡単。それは、あなた次第ってことなの」
「僕次第?」
「そう。これから身の回りで起こる出来事に、あなたがどう対処するかで、わたしたちの運命が決まるの」
わたしたち、わたしたち、わたしたち……
僕はその心地いい響きを心の中で繰り返しながら、昨夜カロンが現れたときの状況を思い浮かべた。
「身の回りで起きる出来事の中には、バーシュウレインの三人や、シロワンミさんも含まれているってことなの?」
「ふふふふ」
頭の中から含み笑いが聞こえてきた。
「それは、いえない。自分で調べてみてちょうだい」




