『カロンとの再会』 管理人側視点
カロンは、戻ってくる。いつかまたカロンと会える。絶対に。
今までずっと、そう信じていた。確信を持っていた。
というのは、うそ。
何の裏付けもないまま、心の片隅でそのような思いを抱き続けていただけの話。しみったれた未練。それ以外のなにものでもなかった。
それにしても驚いた。
ファミリーレストランの天井から降ってきた、カロンの声。危うく名前を叫ぶところだった。溢れそうになる涙を、目を閉じて辛うじて止めた。他のメンバーに気づかれずにすんだ。
驚きが、歓喜に、そしてそれが優越感に変わったのは、その直後。
「じゃあ、またあとでね」
冥王星のあとに聞こえてきた親しげな言葉に、他の四人が何の反応も見せないことに気付いた、あのときだった。
あ、これは、僕だけに向けられた言葉。僕だけに届いた声。
そう理解したとたん、これまで味わったこともないような幸福感に包まれた。
でも考えてみれば、僕とカロンの間に、専用のチャンネルが存在していて当然。何の不思議もない。だって僕とカロンの付き合いは、他の誰よりも長いのだ。
どうやら僕は、心の動きが表情だけでなく、声にも現れるタイプの人間らしい。この性格は、相手の心理を見抜くポーカーのようなゲームにおいては、致命的欠陥。
でも今日の場合、それが、助け舟の役を担ってくれた。
「カロンに会いたい」「はやくこの場を切り上げてくれ」「何十年も昔の話は、いつでもできるだろ」「カロンに会いたい。一秒でもはやく」
僕の心の叫びは、カモシンによって、いとも簡単に見破られた。でもそのおかげで、カロンの後を追うようにして、アパート近くまで送ってもらえたのだ。ありがたい。ありがたい。僕の欠陥に、感謝。
玄関のドアを開けると同時に、カロンの気配は濃くなった。
あわてるな、あわてるな。自分にそう言い聞かせながら、暗闇の中、ゆっくりとした動作で靴を脱いだ。
昼過ぎに、カーテンを閉め切った状態で、外出。そして、もう少しで日付が変わる時間帯での帰宅。それに、梅雨間近のこの季節。
しかし闇に包まれた部屋には、肌にまとわりつく湿気も、空気の淀みもなかった。
どうしてだろう。僕は首を傾げた。クーラーも、除湿器もない部屋なのに。なんなんだ、このさらさら感……
あ、そうか、とすぐに納得した。カロンだ。カロンの何かが、そのようなものを、どこかに吹き飛ばしてくれたんだ。
そんなことを考えながら、天井からぶら下がっている蛍光灯の紐を引っ張った。
しかし、明るくなった部屋に、カロンの姿はなかった。でも僕に落胆はない。にやりとした笑みが、自分の口元に広がるのを止められなかった。
たぶん、冷蔵庫の向こうに身をひそめている。
久しぶりの再会。何も言わずに、姿を消した後ろめたさ。照れと、気恥ずかしさに、頬を染めながら、僕を待っている。ひょっとすると、いきなりあいさつ代わりの、くすぐり攻撃を仕掛けてくるかもしれない。思わず、ギヒヒと笑いたくなる
「覚えていたのね、わたしのこと」
カロンの声が聞こえてきたのは、抜き足、差し足で、台所に向かおうとしたときだった。
とたんに、僕の動きはとまった。
声は僕の鼓膜の内側からだった。ある程度の予想はしていた。でも正直、がっかりした。
まずは、人間の姿をしたカロンと再会を祝う熱い抱擁。僕の頭の中に移動しなければならない事情があったとしても、それは、後回しにして欲しかった。
「当たり前だろう。一日たりとも忘れることはなかったよ」
甘い声でそう返そうとした。でも、できなかった。憎まれ口が、勝手に飛び出した。
「まさか、僕の頭の中に居座り続けていたんじゃないだろうね」
「それを、買いかぶりっていうの。よく覚えておいてね」
間髪入れずに返ってきた言葉のジャブに、心地良いめまいのようなものを覚えた僕は、本質的にはМなのかもしれない。
「こう見えても、わたし結構忙しいの、あなた一人だけにかまっている暇なんてないの。後々のこともあるから、このことも覚えておいてね」
その言葉の途中で、カロンの性格を思い出した。
カロンは遠回しな言い方を嫌う。単刀直入を好む傾向がある。それに僕としても、聞きたいことがいろいろあった。カロンの方もそうなのかもしれない。できれば、そうであって欲しい。離れ離れになっていた期間に起きたあらゆる出来事を、聞きたい。話したい。じっくり時間をかけて。
「質問しても、いい?」
僕はちょっとした恐れを胸に、そう言った。
「聞くだけは、聞いてあげる」
つっけんどんな返事に、ほっとした。これは、カロンが上機嫌な証拠。怖いのは、言葉遣いが、妙に優しくなった時のカロン。
「きみは、このアパートのオーナーと関係があるんだよね」
「オーナー? なにそれ」
「新月の夜に、神隠しにあった娘さんって、きみのことだよね」
「その理由は?」
「だってきみの名前は、冥王星最大の衛星カロンと、まったく同じ」
「どうして、そんな短絡的な考え方をするわけ?」
カロンに話を遮られたところで、約束を思い出した。
「あ、ちょっと待って」僕は携帯電話を取り出しながら、ちょっとカマをかけてみた。
「きみも聞いていたよね。シロワンミさんの話」
「ああ、あれね」
その短いセリフで十分だった。カロンは一足先にアパートに向かったのではなかった。僕の頭の中に忍び込んだのは「じゃあ、またあとでね」のすぐあと。でもこの際、そんなことはどうでもいい。
呼び出し音三回で、カモシンがでた。
「何か、おかしなことはありませんでしたか?」
その冷静な声で、悟った。チカチカマンションも異常なし。
「いえ、まったく」僕はそう答えてから、改めて部屋の中を見回した。
「妖怪なんて、一匹もいません。いつも通りの部屋です。外の様子も同じでした。ご心配なく」
落ち着いた声で、しかもゆっくりとした口調でいったにも関わらず、探るような問いかけが返ってきた。
「でも、シロワンミさんの話にでてきた亡霊や、生霊が巣食う場所は、ちぎれ雲さんのアパートに間違いありません」
僕はそのあとを引き取った。
「ええ、わかっています。僕のところが、相撲番付でいう東の横綱。チカチカマンションは、西の横綱でしたよね」
電話の向こうで、スピーカーモードのスマホに耳を澄ませている三人の様子を思い浮かべながらつづけた。
「あの話を、皆さんが、どう受け取ったのか知りませんが、僕としては、こんなふうに解釈しています」
息をのむ気配が伝わってきた。僕は一呼吸おいてから、それを口にした。
「絶対に足を踏み入れてはならない場所。それは、神聖な土地。聖地。そういうことです」
十数秒の沈黙の後、カモシンの声がした。
「つまり、魑魅魍魎がうごめく、闇の世界に通じる場所とは正反対ということですか?」
最後に疑問符が付いていた。でもバーシュウレインの三人も、僕と同じ考えに行き着いているのは明らかだった。カモシンの口調は明るかったし、滑らかだった。ただ、僕の口からそのことを聞きたいだけなのだ。
とそこで、ふと思った。
「先ほどの『冥王星』の声の主は、カロンだったんですよ」といったら、彼女らはどんな反応をみせるのだろう。でも瞬時に思いとどまった。まだ早すぎる。いずれそのことを話す時期が来る。なんとなくそんな気がしたからだ。
「もちろんです。僕たちに憑依する悪霊なんていません。だいいちそんなものが、寄り付くはずがありません。だって、僕たちが寝起きするのは、聖地なんですよ」
意識して、力強い声でいうと、安堵のため息のようなものが聞こえてきた。
「では、明日の昼前に、お迎えに上がります。おやすみなさいませ」
カモシンの言葉で電話を切った僕は、テレビの前のソファに寝転んで、天井を見上げた姿勢で、カロンに訊いてみた。
「いまの君の位置から、僕の姿が見えているの?」
「物理的に無理。だってわたしのいるところは、あなたの頭の中なのよ」
とそこでカロンは、僕の言葉の意味に気づいたようだった。
「シャワーでも、お風呂でも、ご自由に。これからあなたの頭の中の片づけに取り掛からなきゃならないの。仮にあなたの姿が見えたとしても、そんな時間はないの、このわたしには」




